第36話 それぞれへの裁定
「お前が冤罪を暴かなければ、陛下は動かなかった」
―― 王の裁定
卒業記念パーティから、数日が経ち、ロイドは、ブレンハルト家のタウンハウスに呼び出された。
通された先は、ヴィクトルの執務室ではなく、私室だった。
窓の外は、もう暮れかけていた。
春の夕方の光が、部屋の壁を、薄く染めていた。
扉が、開いた。
「やあロイド、よく来てくれた」
ヴィクトルは、ソファーから立ち上がって、ロイドを迎えた。
その顔は、ニコニコしていた。
学園に入る前の妹をいつまでも気にかける兄——タウンハウスで初めて会った時と、同じ表情だった。
ロイドは、げんなりとした顔で、軽く頭を下げた。
「……ご無沙汰しております」
「まあ座れ。茶でも飲め」
ヴィクトルは、自ら茶器の用意された卓を示した。
ハンスが、湯気の立つ茶を二人分、注いだ。
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ロイドは、勧められた椅子に腰を下ろした。
卓の上の茶器から、湯気が、ゆっくりと立ち上がっていた。
「……で」
ロイドは、低く切り出した。
「結果は、どうなったんですか」
ヴィクトルは、笑みを崩さずに、自分の茶を手に取った。
「ああ、沙汰が下りた」
「……」
「正式に、な」
ヴィクトルは、一口、茶を含んだ。
そして、卓に茶器を戻した。
「順番に話そう」
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「まず、王太子アルベルト殿下」
ヴィクトルの声は、低く、しかし淡々としていた。
「王太子の座を、剥奪された」
ロイドは、静かに茶器を持ち上げた。
その手が、わずかに、止まった。
「……剥奪、ですか」
「うむ。公の場での罪の訴えを、しかも虚偽の罪の訴えを、詳しく調査もせず追認した責任だ。王太子としての、王族としての信頼を、根本から損ねた——陛下のお言葉だ」
「……」
「代わって、第二王子フェリクス殿下が、新王太子に任命された」
ロイドは、茶器を一度、卓に戻した。
「……それは、また、大きな話に」
「ああ。だが、それで終わりではない」
ヴィクトルは、軽く指を組んだ。
「アルベルト殿下の婚約は、組み替えられた。シャルロッテ嬢との婚約は——元から、解かれている。あの大広間で、殿下自ら宣言した通りだ」
「……はい」
「そして、エミリア嬢——あの聖女との婚約が、改めて結ばれた」
「……」
「アルベルト殿下の望み通り、ではある。ただし王太子の座に返り咲くことは、もう、ない」
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「シャルロッテ嬢は……」
ロイドが、問いを継いだ。
ヴィクトルは、軽く頷いた。
「フェリクス殿下の婚約者へ、スライドした。侯爵家の娘として、淡々と受け入れたそうだ」
「……あの方らしい」
卒業記念パーティの大広間で、最後まで凛とした立ち姿を崩さなかった——その姿が、ロイドの脳裏に蘇った。
ヴィクトルは、もう一口、茶を含んだ。
「アルベルト殿下への、それ以上の罰は——与えられない」
「……隣国への配慮、ですか」
「察しがいいな。その通りだ」
ヴィクトルは、わずかに目を細めた。
「隣国との関係を、これ以上揺らせない。王太子の座を失うだけで、政治的には十分な代償だ。ただし——」
「ただし?」
「将来的に、エミリア嬢への入り婿となる方向で、話が進んでいる。教会がエミリア嬢を聖女と発表した以上、エミリア嬢は教会組織が抱えるのが筋だからな」
「……教会、ですか」
「うむ。エミリア嬢を教会に引き取らせる——これは、教会の禊。アルベルト殿下を教会に引き渡す——これは、王家の禊。互いに禊を交わすことで、聖女と教会の内側に、王家の血を一本通しておく——王家としても、教会としても、この血が楔となる」
「それだけでは、ないですよね」
「ああ。フェリクス殿下の政治基盤を盤石にするためにも、必要だ。アルベルト殿下を政治から切り離す。その上で、周りに余計な羽虫を群がらせない——そのためにもな」
ロイドは、低く息を吐いた。
「……政治、ですね」
「そういうことだ」
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「次に、側近たちだ。コンラート殿、オスカー殿、ルドルフ殿は、そのまま新王太子フェリクス殿下の側近へ移る」
「……レオンは」
ロイドが、続けて問うた。
ヴィクトルの目に、わずかな冷たさが、よぎった。
「側近から、解任された。クレアとの婚約は、当然、解消だ」
「……」
「婚約解消については、側近解任を『シュタイナー家側に問題があった』と見せる処理を被せる」
「実家の関与は」
「公には、問わない。あくまでレオン個人の独断と暴走、という処理だ」
ヴィクトルは、淡々と続けた。
「実家としても、家門を守るために、レオンを廃嫡し、家門から切り離す選択を取った。彼らにとっては、それが最善の自衛だった」
「……それは、また、合理的な」
「政治とは、そういうものだ。ただ、家門としての存続は許される。しばらくは表立った動きはできまいがな」
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ヴィクトルは、卓の上に、軽く指を置いた。
「陛下のお言葉を、伝えておく」
ロイドは、視線を、上げた。
「お前が冤罪を暴かなければ、陛下は動かなかった——そう、仰せだった」
ロイドは、しばし、黙った。
「……俺は、ただ」
「ただ、なんだ?」
「……ただ、観察していただけです」
ヴィクトルは、わずかに、笑った。
「観察していただけの男が、王太子と側近の前に進み出て、捏造を暴き、陛下の裁定を引き出した——そう聞こえたが」
「……」
「結果として、お前が動かなければ、陛下も動かなかった。それは事実だ」
ロイドは、再び、茶器を持ち上げた。
一口、含んだ。
茶の温度が、わずかに、下がっていた。
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「そしてもう一つ、陛下のお言葉を、伝えておく」
ヴィクトルは、低く続けた。
「あの男爵家の三男——ロイド・ハイデン——がいなければ、余も動けなかった——とも、仰せだった」
ロイドの手が、止まった。
「……男爵家の、三男」
「そのまま、覚えておいでだった。お前があの場で、名乗ったままに」
ロイドは、低く、息を吐いた。
「……身分のまま、ですか」
「うむ。隠す気もなかったのだろう。あれだけの場で進み出た男だ。陛下の目には、その身分込みで、お前の動きが映っていた」
「……」
ロイドは、茶器を、ゆっくりと、卓に戻した。
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「そして、これも伝えておく」
ヴィクトルは、声の調子を、わずかに変えた。
「ブレンハルト辺境伯家の政治的価値が、また一段、上がった——というのも、陛下のお言葉だ」
「……」
「家門の手柄として、整理される。お前個人の手柄ではなく、辺境伯家の独自調査が、国家に資する形で報告された——そういう構造に、なっている」
ロイドは、視線を、ヴィクトルに戻した。
「……つまり、俺の名前は」
「表には、残らない。記録としては、ブレンハルト辺境伯家の調査結果として処理される」
ロイドは、しばし、黙った。
そして、低く、頷いた。
「……それで、構いません。むしろ、その方が、ありがたい」
「ふむ。そう言うと思ったよ」
ヴィクトルは、軽く、笑った。
「お前は、表に出たがる男ではない。冒険者として、観察者として、それで十分だろう」
「……はい」
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「——ここからは私の推測だが……」
ヴィクトルは、続けた。
「王家の影は、レオンの動きを、追えていなかった」
ロイドの目が、わずかに鋭くなった。
「……王家の影?」
「噂くらいは聞いたことがあるだろう、陛下直属の情報機関だ。陛下の反応を見るに、聖女の件は追えていた。だが、レオンの件は追えていなかった。まあ、側近の一人に過ぎず、王太子に影響がないと思われていたのだろう」
「……」
「つまりは影にも、盲点はある——そういうことだ」
ヴィクトルは、それを、軽く言った。
しかしその言葉の奥には、何か、もう少し別のものが宿っていた。
ロイドは、その何かを、見逃さなかった。
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「……一つ、聞いていいですか」
ロイドは、低く、切り出した。
「うむ」
「……あんたは、最初から、知ってたんですか?」
ヴィクトルの顔から、一瞬、表情が消えた。
しかしそれは本当に一瞬で、すぐに、いつもの笑みが戻った。
「さあ、何のことかな?」
その笑みは、シスコンの軽さだった。
ニコニコと、人懐っこく、しかし——奥は、何も見せない笑み。
ロイドは、低く息を吐いた。
「……やっぱり、面倒くさいな、あんた」
「ははは。光栄だな」
ヴィクトルは、軽く笑った。
ロイドは、げんなりとした顔のまま、もう一口、茶を含んだ。
茶は、もう、ぬるくなっていた。
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「まあ、そう急ぐな」
ヴィクトルは、ハンスに合図を送った。
ハンスが、改めて、湯気の立つ茶を二人分、注いだ。
ロイドは、げんなりとした顔のまま、ヴィクトルを見た。
ヴィクトルは、ニコニコと、それを見返した。
春の夕方の光は、もう、ほとんど消えていた。
部屋の灯りが、二人の輪郭を、柔らかく照らし始めていた。
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