第34話 王の裁定
広間が、静かだった。
書簡の読み上げが、終わった。
レオンは、答えなかった。
ロイドの語りが、終わった。
王太子は、何かが、決壊しかけていた。
誰もが、息を、潜めていた。
次の、声を、待っていた。
しかし、誰も、口を、開けなかった。
ここから、誰が動けるのか——その答えは、たった、一人だけだった。
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その時——国王陛下が、椅子から、わずかに、身を、起こした。
「この件について——余が、裁定する」
声は、静かだった。
しかし、その静かさが、広間の隅々まで、確実に、届いた。
貴族たちが、一斉に、頭を、下げた。
ロイドも、王太子も、レオンも、クレア嬢も——頭を、下げた。
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国王陛下は、ゆっくりと、立ち上がった。
その動きに、皆が、頭を、上げた。
卓の前へと、歩み寄る。
二枚の書簡を、手に取った。
次に、捏造文書を、手に取った。
最後に、ロイドが提示した、観察記録の束を、手に取った。
王の指が、それぞれの紙の上を、ゆっくりと、確かめるように、なぞった。
そして、ゆっくりと、口を、開いた。
「ロイド・ハイデンの、提示した、証拠は——すべて、信頼に足るものと、認める」
王の声に、重みが、宿っていた。
「秘伝のインクの違い。観察記録の積み上げ。証人たちの証言。そして——書簡という、物的証拠」
王は、卓の上の、二枚の書簡を、もう一度、見た。
「これらは、いずれも、明白な事実を、示している」
広間が、わずかに、ざわめいた。
「ゆえに——」
王は、視線を、上げた。
「クレア・ブレンハルト辺境伯令嬢に対する、殺傷の罪状——」
王の声に、初めて、わずかな、重みが、加わった。
「——これを、事実無根と認める。捏造文書は、証拠としての、価値を、認めない。罪状は、すべて、取り消す」
広間が、ざわめいた。
しかし、すぐに、また、静まった。
王の言葉が、続くと、誰もが、知っていた。
「ただし——」
王は、王太子の方を、わずかに、見た。
「この場における、断罪の経緯。そして、それを、追認した、判断。これらの沙汰は——後日と、する」
王太子の顔から、すべての血の気が、引いた。
「また、レオン・フェルス・シュタイナーの関与。シュタイナー伯爵家の方針。それに連なる、ナディア・グリューネン、ソフィア・シュタイナー、ベス・ブラントの動き。これらも——後日、改めて、調査と裁定の対象とする」
王の声が、響いた。
該当する者たちが、それぞれ、わずかに、身を、強張らせた。
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ロイドは、王の言葉の、一つ一つを、追っていた。
(——事実無根。罪状は、取り消し。沙汰は、後日)
ロイドの中で、その認識が、形を取った。
クレア嬢の名誉は、ここで、回復された。
そして、王太子の追認の責任は——後日、別の場で、問われる。
この場での、決着は——クレア嬢の、勝利だった。
ロイドは、静かに、息を吐いた。
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王太子は、まだ、立ったままだった。
しかし、その姿勢は、もう、堂々とした、王太子のものでは、なかった。
視線は、卓の上を、彷徨っていた。
父王の前で、虚偽の冤罪を、追認した——その事実が、記録に、残った。
王太子の、未来に、消えない、傷として——刻まれた。
断罪の場で、「聖女に対する、このような所業は——看過、できない」と、堂々と、追認した、あの瞬間が——今、ここで、彼を、追い詰めていた。
あの時の、追認は、聖女を守るための、政治的判断のはずだった。
しかし、その判断が——逆に、自分を、追い詰める結果と、なった。
貴族たちの、さらには国王の前で、高位貴族への冤罪を、詳しく調べることもせず、追認した。
それは、王太子としての信頼を、根本から揺るがす事実だった。
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その時——王太子の隣で、シャルロッテが、視線を、わずかに、王太子の方へと、向けた。
婚約発表の場で、婚約者の位置から、降ろされて以来——彼女は、完璧な所作で、表情を、保ち続けていた。
頬の白さも、目の奥の影も、組んだ両手の指の強張りも、ロイドにしか、見えない、微細な動揺の中に、収めていた。
しかし、今、初めて——その表情が、わずかに、変わった。
それは、冷めた目だった。
もはや、婚約者ではない、一人の侯爵令嬢として——国王陛下の前で、虚偽の冤罪を追認した、王太子の姿を、ただ、距離を置いて見ていた。
愛情も、憎しみも、なかった。
ただ、物でも見るような——そんな、冷静さが、その目の奥に、宿っていた。
幼い頃から、王太子の婚約者として育てられてきた——その教育の、最後の感情解放が、今、この瞬間に訪れた。
完璧な所作の向こうにあった、シャルロッテという一人の女性が——改めて、自分の目で、王太子という男を評価した。
その評価は——もう、戻らない。
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ロイドの視線は、ゆっくりと、壇上の、もう一方の隅へと、移った。
そこには——聖女エミリア・リンデン嬢の姿が、あった。
青ざめたまま、立ち尽くしている。
殺傷の対象者として、震えていた彼女——その罪状も、王の裁定で、事実無根と、認められた。
しかし、その表情には、安堵は、なかった。
自分の知らないところで、聖女として、擁立された——その立場の、複雑さが、滲んでいた。
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壇上の奥では、王妃が、視線を、伏せていた。
怒り、でも、悲しみ、でもなかった。
ただ——すべてを、諦めた、顔、だった。
息子の失態を、母として、見届ける、諦め。
王太子としての信頼が、根本から揺らいだ——その事実を、母として受け入れる、諦め。
幼い頃から、王太子にすべてを注いできた——その政治的な結末を、ここで見届ける、諦め。
王妃の口元には、もう、何の表情も、浮かんでいなかった。
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クレア嬢は、まだ、立っていた。
背筋は、伸びたまま。
しかし、その表情が、初めて——崩れた。
涙では、なかった。
ただ、長い、息が、ゆっくりと、漏れた。
安堵の、吐息。
北方辺境伯の長女として、長く、保ち続けていた、緊張が、ここで、初めて、わずかに、緩んだ。
悪役令嬢として、組み立てられた、虚像。
その像が、王の裁定で、公的に、否定された。
クレア嬢の名誉は——ここで、確かに、回復された。
壁沿いで、メルの目から——ようやく、涙が、こぼれた。
堪える必要は、もう、ない。
お嬢様の名誉が、回復された。
虚偽の冤罪は、王の裁定で、無効と、された。
侍女として、ここまで来た——それだけで、十分だった。
涙は、悲しみでは、なかった。
深い、深い、安堵の、涙だった。
主の傍に、いられた。
主のために、証言できた。
侍女として、果たすべき役目を、果たした——その満足が、涙の、奥に、確かに、あった。
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ロイドは、視線を、ゆっくりと、王へと、向けた。
王は、もう、ロイドを、見ていなかった。
王太子への沙汰、関係者の処遇——その先を、見ているようだった。
ロイドの役目は——終わった。
ロイドは、静かに、足を、引いた。
広間の中央から、壁際の柱の影へと——来た道を、戻った。
誰も、ロイドを、止めなかった。
誰も、ロイドに、声を、かけなかった。
しかし、いくつかの、視線が、ロイドの背中を、追っていた。
壁際の柱の影に、戻ったロイドは、低く、息を、吐いた。
「面倒くさかった、な」
いつもの、口癖。
しかし、その奥には——確かな、達成の、感覚が、宿っていた。
観察者から、調査者へ。
調査者から、盤面を、動かす者へ。
そして、今——役目を、終えた者へ。
ロイドは、また、観察者に、戻った。
ただし、もう、以前の観察者では、なかった。
盤面の動かし方を、知った観察者へと——変化していた。
ただ、今回のロイドの戦いは、ここで、終わった。
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