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悪役令嬢が断罪されそうだったので観察していたら、国家レベルの陰謀だった ― 二つの婚約破棄  作者: 智信
第三部

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第32話 組み立てられた像

 その時、レオンが、口を、開いた。


「インクは、確かに、違うかもしれない」


 声には、低い、冷たさが、混じっていた。


「しかし、レターベース自体は、本物だ」


 レオンは、ロイドを、まっすぐに、見た。


「忘れるな。このレターベースは、ブレンハルト辺境伯家の、特注品だ。クレア嬢が、ご自身のために、特別に、作らせたもの——市場には、流通していない。クレア嬢、しか、所持していない、ものだ」


 レオンの声には、確信が、あった。


「私は、婚約者として、何度も、クレア嬢と、手紙の、やり取りを、してきた。だからこそ、それを、知っている」


 その断定に、広間が、わずかに、揺れた。

 婚約者としての経験——それは、貴族の論理として、揺るがしがたい、根拠だった。


「つまり、この依頼書のレターベースは、クレア嬢の手から、出たもの——他に、経路は、ない。クレア嬢が、外部の代筆屋に、ご自身のレターベースを、渡して、書かせた——そう、考えるのが、自然だ」


 「文書全体が偽物」という結論が、レオンの一言で、「クレアが第三者を使って犯罪を企てた」へと、ずらされようとしていた。

 貴族の論理として、それは、まだ、成立しうる、反撃だった。


---


「アルベルト殿下」


 ロイドは、王太子を、見た。


「証人を、お呼びすることを、お許しいただけますか」


「……許す」


 王太子の声は、もう、警戒を、隠さなかった。


「メル」


 ロイドが、低く、呼んだ。


 壁沿いに、控えていたメルが、ゆっくりと、前に、進み出た。

 目元には、まだ、わずかな、潤みが、残っていた。

 しかし、目には、覚悟が、宿っていた。


「メル・ヴォルフ。クレア嬢の、侍女です」


 ロイドが、紹介した。


「お前に、聞きたいことが、ある。クレア嬢の、お部屋に、ナディア・グリューネン嬢が、訪れていたのは、本当か」


「はい」


 メルの声は、震えなかった。


「ナディア様は、定期的に、お嬢様のお部屋を、お訪ねくださっていました」


「その時、お前は、何をしていた」


「ナディア様が、お見えになる際は——私は、いつも、席を、外すよう、言われていました」


 その瞬間、広間が、静まった。


「席を、外す——」


 ロイドの声が、続けた。


「つまり、ナディア嬢が、クレア嬢の部屋に、二人きりに、なる時間が、あった」


「はい」


「お嬢様のレターベースは、どこに、置かれていた」


「お嬢様の、執務机の上に、いつも、置かれておりました」


「鍵は」


「鍵は、かかっておりません。お嬢様は、ご自身の部屋に、信頼できる者しか、入れていないと、お考えでした」


「もう一つ、伺いたい」


 ロイドが、続けた。


「お前は、お嬢様の身辺の、ものを、管理する立場だ。レターベースの、数は、把握していたか」


「はい」


 メルは、頷いた。


「お嬢様の、特注のレターベースは、定期的に、補充されておりました。私は、毎日、お机を整える際、その数を、確認しておりました」


「では、聞こう。ある日、数が、合わない日が、あったか」


 メルは、しばらく、黙った。

 その記憶を、辿るように。


「……一度、ございました」


「いつだ」


「先月の、半ば——確かに、一枚、少なくなっておりました」


「その日は、何があった日だ」


「ナディア様が、お見えになっていた日です」


 その瞬間、広間が、また、静まった。


---


 ロイドは、視線を、クレア嬢へと、向けた。


「クレア嬢」


 クレア嬢の目が、わずかに、瞬いた。

 名を、呼ばれることに、まだ、慣れていない様子だった。

 しかし、すぐに、背筋を、伸ばし、ロイドを、見た。


「先月の、半ば——ナディア嬢が、お見えになった際、何か、席を、外された記憶は、ございますか」


 クレア嬢は、わずかに、目を、伏せた。

 過去を、思い返すように。

 そして、ゆっくりと、口を、開いた。


「……覚えが、ございます」


 その声は、低く、しかし、はっきりと、響いた。


「お聞かせ、願えますか」


「ナディア嬢が、私の所有する書物に、興味を示されました。その時、私は、隣の書斎へ、その書物を取りに、参りました。短い時間でしたが——ナディア嬢を、お部屋に、お一人にして、しまいました」


 クレア嬢の声は、変わらず、整っていた。

 しかし、自分の、その記憶が、今、この場で、意味を、持つことに、わずかな、戸惑いが、混じっていた。


「ありがとうございます」


 ロイドは、わずかに、頭を、下げた。


---


 ロイドは、視線を、レオンへと、戻した。


「シュタイナー殿の、ご指摘の通り——レターベースは、ブレンハルト辺境伯家の、特注品。クレア嬢しか、所持されていないものです」


 息を、低く、整えた。


「だからこそ——外部の代筆屋が、レターベースを、入手することは、不可能です。レターベースは、クレア嬢の、お部屋にしか、ありませんでした。そして——」


 ロイドは、両者の証言を、整理するように、続けた。


「ナディア嬢は、定期的に、お部屋に訪れていた。クレア嬢が、ご自身で書物を取りに、席を外された瞬間があった。その日、レターベースの数が、一枚減っていた。つまり——」


 ロイドは、視線を、レオンへと、戻した。


「クレア嬢が、外部の代筆屋に、ご自身のレターベースを渡して、書かせた——のではなく、ナディア嬢が、レターベースを盗み出して、別の場所で、捏造文書を作った。これが、真相です」


 レオンの、自ら閉じた論理の輪が——その閉じ方ゆえに、ナディア経由しか経路がない、という結論へと、ロイドを、導いた。


 王太子の顔から、再び、血の気が、引いた。

 レオンの目に、わずかな、焦りが、混じった。


---


「では」


 しかし、レオンは、まだ、引かなかった。

 声を、立て直して、再び、攻めに、出た。


「では、これまでの、噂は、どう説明する」


 レオンの視線が、広間を、見渡した。


「お茶会での、高慢な振る舞い。ホフマン子爵令嬢の、退学事件。聖女様への、誹謗中傷——すべて、クレア嬢の行動が、そのまま現れている。これらは、誰かがレターベースを盗み出したから、起きたことか? 違うであろう」


 文書の真偽から、人物像の真偽へ——攻撃の軸が、再び、ずらされた。


 ロイドは、息を、低く、整えた。


「いいでしょう」


---


 ロイドは、懐から、別の袋を、取り出した。

 厚みのある、観察記録の、束。


「この記録は、私が、観察者として、数ヶ月にわたって、記録したものです」


 ロイドは、その束を、王太子の前に、置いた。


「ソフィア・シュタイナー嬢と、その侍女ベス・ブラントの、行動記録です。日付、時刻、場面、誰と話したか——具体的に、記録してあります。お茶会の後、ソフィア嬢は——」


 ロイドは、わずかに、間を、置いた。

 観察対象を、ソフィア嬢へと、切り替えたのは、退学事件の後だった。

 しかし、その後の継続観察から、お茶会直後からのパターンも、推論できる。

 観察者としての矜持なら——「推論」と、明示するべきだ。

 しかし、ここで勝たねば、クレア嬢は、救えない。

 すべて、見抜いていた——と、示すことが、相手の動揺を、深める。


「——クレア嬢への接近を装いながら、侍女ベスに、侍女コース卓で、噂を流させていました。退学事件以降、噂はホフマン子爵令嬢の件と絡みながら、さらに累積していきました。聖女発表の後、二人の動きは、また、別の方向に加速しました」


 ロイドの声は、淡々と、しかし、確実だった。


「噂は、自然に広がったのではありません。誰かが、組み立てたものです」


---


 ロイドは、視線を、ニックへと、向けた。


「ニック」


 ニックが、会場の中ほどから、進み出た。

 いつもの、いたずらっぽい目は、なかった。

 代わりに、覚悟の、宿った目が、ロイドを、見ていた。


「ニック・ヴェーバー。クラスメイトです」


 ロイドが、紹介した。


「お前の言葉で、証言してくれ。学園の空気が、どう、変わってきたか」


「ああ」


 ニックは、王太子の方を、向いた。


「私は、一般の学生として、証言します。クレア嬢は、最初から、厳格な方だった。口下手で、不器用で、まっすぐで——しかし、誰かを害そうとした、そんなことは、ありません」


 ニックは、息を、低く、整えた。


「しかし、ある時から——噂が、流れ始めました。最初は、お茶会での振る舞いの噂。次に、退学事件への関与の噂。そして、最近は、聖女様への誹謗中傷の噂、命を狙っているという噂——」


 ニックの声に、苦さが、混じった。


「噂が、増えるたびに、誰もが、『やはり、あの令嬢は』と、頷いていました。しかし、クレア嬢は、何も、変わっていない。何も、していない。変わっていたのは——空気だけ、です」


---


 広間が、しん、と、静まった。


 ニックの言葉は、貴族の、論理的な、反論では、なかった。

 一般の、学生としての、率直な、観察だった。

 しかし、その率直さこそが——観察記録の、客観的な事実と、組み合わさって、決定的な、説得力を、持った。


 ソフィアの顔から、血の気が、引いていった。

 ベスの目が、青ざめて、泳いだ。

 二人の名が、観察記録の中に、繰り返し、現れている——その事実を、観察記録の最初の頁を、見た王太子が、すでに、把握していた。


 ロイドは、視線を、レオンへと、戻した。


「噂は、事実の反映では、ありません。誰かが、作為的に、組み立てた、像です。観察記録が、その作為性を、客観的に示しました。ニックの証言が、その作為性を、主観的に確認しました」


 レオンは、答えなかった。

 冷たい視線は、まだ、ロイドに、向けられていた。

 しかし、その奥には——追い詰められた、自負心の、亀裂が、見えた。


---


 噂で作られた「悪役」の虚構が、一つずつ、崩れていった。


 文書の偽造——崩れた。

 レターベースの盗み出し経路——明らかになった。

 噂の作為性——観察記録と証言で、暴かれた。


 しかし——ロイドは、息を、低く、整えた。

 まだ、決着には、至らない。


 なぜ、ここまでの、工作が、行われたのか。

 なぜ、クレア嬢が、悪役として、組み立てられねば、ならなかったのか。

 その、動機が——まだ、開示されて、いない。


(——最後の、一手)

今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、

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