第27話 崩れた像
「黒幕は一人じゃない。全員が自分の利益のために動いた」
―― 婚約解消の書簡
三月初旬。
ダグからの手紙が、いつもより早く、届いた。
文面はいつも通り、短かった。
待ち合わせ場所と、その日の夜の時刻。
いつもは休日に会うダグが、平日の夜に呼び出してきた。
それだけで、ロイドの背筋に、緊張が走った。
夜の入り口の風が、王都の最外層を、低く吹き抜けていた。
石畳には、夜の冷気が、まだ濃く残っている。
ロイドの足取りは、もう、迷いがなかった。
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ダグは、酒場の隅の卓に、すでに座っていた。
ロイドが向かいに座ると、ダグは、低く、口を開いた。
「リタが、書簡の写しと、失敗した下書きを、手に入れた」
ロイドの動きが、止まった。
書簡の写し——シュタイナー家の本宅とレオンの間の、密な書簡のやり取りの中の、一通分を、リタが書き写したもの。
そして、失敗した下書き——シュタイナー伯爵家の当主が、レオンへ宛てる手紙を書く際に、書き損じた一枚。破棄予定の紙の中から、リタが、密かに、拾い上げたもの。
「……写しと、下書き?」
「ああ。下書きの方は、当主自身の筆跡で書かれている。書き直しの跡が、ところどころに残っている。写しの方は聖女の発表前のものだ」
ダグは、卓の上に、丁寧に折りたたまれた紙を、置いた。
「リタは、よくやった。だが、これ以上は、無理は、させない」
「分かってるよ。リタも含めて、礼は、必ずする」
「ああ。期待しているよ」
ダグの目には、ロイドへの確認と、リタへの労いと——両方が、混ざっていた。
いつもの軽さは、消えていた。
ロイドは、紙を、ゆっくりと、開いた。
息を、低く、整えてから。
夜の酒場の灯りが、卓の上の二枚の紙を、わずかに、照らした。
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二枚の紙。
一枚目は、リタの筆跡で、急いで書き写した跡が、ところどころに残る写し。
二枚目は、シュタイナー伯爵家当主自身の筆跡で、書き直しの跡が残る下書き。
宛先は、どちらも——レオン・フェルス・シュタイナー。
ただし、日付は、別物だった。
一枚目の写しは——聖女発表の、ずっと前。
二枚目の下書きは——つい先日。卒業記念パーティに向けた、最終確認の文面だった。
ロイドの目が、文面を、追った。
まず、写し——聖女発表の、ずっと前に書かれた手紙。
——「婚約解消の準備、滞りなく進めている」
——「お前の提案、公の場で、辺境伯家の長女を、明確に退ける——家門の方針として認める」
——「時期は、お前の提案通り、卒業記念パーティの場が、最も適切と判断した」
——「クレア・ブレンハルト辺境伯令嬢を、どう退ける形にするか——その筋書きは、お前の裁量に委ねる」
そして、下書き——つい先日、書き損じたもの。
——「卒業記念パーティの段取り、最終確認しておく」
——「お前の側の準備は、滞りないか」
——「ソフィアからの報告では、噂は、想定以上に広がっている。ホフマン子爵令嬢の件も、噂の累積に貢献している」
——「家門としての準備は、完了している。あとは、お前の最後の仕掛けだ」
ロイドの中で、何かが、音を立てて、崩れた。
(——聖女発表の、ずっと前から)
退学事件の頃には、もう、計画は始まっていた。
いや——その更に前から、レオンの「仲裁」も、ソフィアの工作も、すべては、この一つの結末へと向かう布石だった。
頭の中で、これまでの像が、また別の形に組み直されていく。
いや——組み直される、というよりは。
崩れた。
これまで組み立ててきた像が、根本から、崩れた。
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「分かったか」
ダグの声が、低く、届いた。
「……ああ」
ロイドは、二枚の紙を、静かに、卓の上に戻した。
「婚約解消は——王太子の指示じゃなかった」
「ああ」
「レオンと、実家が——独自に、計画していた」
「ああ」
「聖女発表の、ずっと前から」
「ああ」
「俺は、ずっと——王太子が黒幕だと、思っていた」
「だろうな。俺も、お前の調査結果から、そう判断していた」
「だが、違った」
「違ったな」
ダグは、頷くだけだった。
ロイドが、自分の言葉で、整理することを、待っていた。
ロイドの中で、糸が、また、別の方向に、伸びていく。
これまで——
すべての糸が、王太子のところで、一つに束ねられていた。
退学事件の判。
ナディアの祖母の繋がり。
教会の関与。
聖女認定。
全部が、王太子という結節点に集まっていた。
しかし、今、見えた書簡は——
その結節点とは、別の場所に、もう一つの結節点があったことを、示していた。
(——黒幕は、一人じゃない)
ロイドの心の中で、その認識が、形を取った。
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「整理する」
ロイドは、低く、言った。
「王太子は、エミリアを聖女とする計画を進めていた。教会と組んで。なぜ、エミリアを聖女に擁立したいのか、その動機は、まだわからない」
「ああ」
「教会は、聖女の認定を、王太子と組んで動いた。その動機も、まだ、見えない」
「そうだな」
「レオンと実家は——別の計画を、進めていた。クレア嬢との婚約を、卒業記念パーティの場で、解消する筋書きだ。聖女の発表の、ずっと前から」
「そういうことだな」
「もしかしたら、王太子と教会は同じ思惑かもしれない。が、たぶん三者は、別々に動いていた。お互いの思惑を、必ずしも、すべて知っていたわけではない」
「だろうな」
「だが——三つの思惑が、たまたま、同じ時期に、同じ場所で、重なった」
「ああ」
「そして——その重なりの真ん中に、クレア嬢が、いた」
ロイドは、息を、低く吐いた。
茶会でクレア嬢が「悪役」のレッテルを貼られた日。
ホフマン子爵令嬢が退学した日。
ソフィア嬢が、義妹のように振る舞いながら、周りとの距離を作り続けた日々。
レオンが、仲裁という形で、クレア嬢の孤立を助長した日々。
そして、聖女認定、誹謗中傷、暗殺計画の噂——
すべては、この一つの結末へと向かう、布石だった。
「黒幕は一人じゃない。全員が自分の利益のために動いた。そして……クレアが、すべての被害を被ることになった」
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ダグは、しばらく、黙っていた。
そして、低く、口を開いた。
「クレア嬢を、救うのは、変わらないんだろ」
「ああ。変わらない」
ロイドは、静かに、頷いた。
怒りは、声を、大きくはしなかった。
むしろ、心の中で——静かに、しかし、確実に、深く、沈殿していった。
三者が、それぞれの思惑で、動いた。
それぞれが、自分の利益のために、駒を進めた。
そして、その盤面の真ん中で——クレアという一人の令嬢が、悪役の役を、押し付けられた。
誰も、彼女の意思を、問わなかった。
誰も、彼女の実像を、見なかった。
(——許せない)
ロイドの心の底で、その言葉が、確かに、形を取った。
冒険者として、いや、一人のロイドという人間として——目の前の冤罪を、放置できなかった。
その性格は、ここまで来ても、変わらなかった。
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酒場を出たロイドは、王都の街並みを、ゆっくりと歩いた。
夜の風が、最外層の路地を、低く吹き抜けていった。
月明かりだけが、石畳を、ぼんやりと照らしていた。
ヴィクトル様に、すぐに、お伝えしなければ。
ハンス経由で面会の申し入れを——
いや、この情報は、ヴィクトル様も、待っているはずだ。
二枚の紙は、内ポケットに、丁寧に、しまった。
「面倒くさいな」
ロイドは、低く呟いた。
いつもの口癖。
しかし、今回は——
静かな怒りが、その言葉の奥に、確かに、込められていた。
観察者から、調査者へ。
調査者から、ヴィクトル様と共に、盤面を動かす者へ。
そして、今——盤面の半分が、見えた者へ。
残りの半分は、ヴィクトル様の手の中にある。
三つの思惑。
一人の被害者。
残り時間は、もう少ししかない。
ロイドは、学園のある回層への門へと、足を向けた。
明日の朝一番で、ハンスへ連絡を取る。
ヴィクトル様への、面会の申し入れを、急がねばならない。
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