第24話 聖女降臨
「動き始めた盤面。駒が激しく動き回るであろう」
―― 聖女降臨
「私が聖女の転生? そんなわけない」
―― 聖女の日記
二月初旬。
学園の講堂に、全学年が集められていた。
臨時の集会、それも、教会の幹部が同席する場というのは、学園の歴史の中でも珍しい部類だった。
生徒たちの間には、すでに、低いざわめきが、流れていた。
何が起きるのか、誰も、はっきりとは、知らない。
王太子アルベルト・クラウゼン・エーヴェンガルド殿下が壇上に立ち、その右隣に、エミリア・リンデン子爵令嬢が、静かに俯いていた。
そして、教会の幹部が、王太子の左隣に並んでいた。
「本日、教会より正式に発表があった」
王太子の声が、講堂の隅々まで届いた。
「ここにいるエミリア・リンデン嬢――彼女が、聖女の転生であると、認定された」
ざわめきが、講堂を、一気に走り抜けた。
驚き、困惑、動揺——様々な感情が、波のように、生徒たちの間を駆け抜けていった。
壇上の教会幹部は、王太子の発表に、深く頷いた。
教会の正式発表、聖女の公式認定。
それは、反論を許さない宣言だった。
---
ロイドは、講堂の柱の影から、その光景を眺めていた。
頭の中で、糸が、また一段、固く結ばれた。
——王太子と教会。
——教会と聖女。
——王太子と聖女……いや、エミリア・リンデン。
ダグの調査が指していたものが、今、形を取った。
教会と王太子の、これまで影の中に隠れていた繋がりが、公式の場で明確に示された。
繋がりが表に出てきた——その意味は、決して小さくない。
(——教会が聖女と公認したこと。その発表を王太子が学園で行ったこと。教会と王太子の繋がりが意味を持った)
ロイドの心の中で、その言葉が、形を取った。
(——動き始める)
壇上の隅では、王太子の現婚約者シャルロッテ・ヴァイスベルク侯爵令嬢が、まっすぐに前を見ていた。
その表情は、崩れていなかった。
侯爵家の娘として、そういう訓練を、幼い頃から受けてきたのだろう。
一切の動揺を見せず、ただ、聖女の発表を、静かに受け止めている。
しかし、その立場が、これからどう動くのか——
ロイドの視線の先には、動き始めた盤面が、確かに、見えていた。
駒が激しく動き回るであろうという、予感と共に——
---
発表の翌日。
学園内は、聖女の話題で持ちきりだった。
廊下で、食堂で、生徒たちが囁き合う。「あのリンデン子爵令嬢が……」「王家と教会は聖女をどう扱うつもりなのだろうか?」と。
ロイドは、腐れ縁の悪友、ルーシー・ブルーメを呼び出した。
そこは、学園内の片隅、人通りの少ない並木道。
人に聞かれたくない話をするには、最適な場所だった。
「ロイド、久しぶりに呼び出して……て、聖女のことだろうと想像はつくけどね」
「ああ、その通りだ」
王太子側の思惑だけではなく、エミリアの思惑を確かめなければ、今回の聖女認定の輪郭を掴むことはできない。
駒として動かされているのか、自ら意志を持って動いているのか——その違いは、決定的だった。
「やっぱり……で、何が知りたいの? 私、別にあの子と親しいわけじゃないからね」
「分かっている。ひとまず、ルーシー、君が知っていることを、教えてくれ」
「うーん……エミリア・リンデン子爵令嬢ね。同じ学年で、何度か見かけたことはあるけど」
「印象は?」
「控えめ。目立たないようにしてる感じ。挨拶もか細くて、笑顔も小さい。学園の華やかな娘たちとは、対極にいる子よ」
「政治の駒に向いてるか?」
「向いてないわよ。むしろ、聖女みたいな目立つ役回りを一番嫌がりそうな子。だから、今日の発表、私も正直、信じられなかった」
「教会との接触は?」
「あ、それね。最近、教会の方と一緒にいるのを何度か見たって、噂はあったわ。でも、本人は何も言わないから、皆、気にしてなかった」
「本人は——どんな様子だった?」
「うーん……青ざめてる、って言ったら言いすぎかもしれないけど。少なくとも、嬉しそうではなかった。むしろ、どうしようもなく、抗えずに流されている感じ」
「どうしようもなく、抗えずに、か」
「あくまで私の主観だけどね。ただ、聖女に祭り上げられて喜ぶ顔じゃなかった、それは確かよ」
ロイドは、頷いた。
エミリアが望んで聖女になっているわけではない可能性——その輪郭が、ぼんやりと見え隠れしていた。
情報の確認は、ここまでだ。
ここからは——本題に入る。
「ルーシー、頼みがある」
「なに、いいわよ」
ルーシーの返事は、相変わらず、早かった。
「エミリア嬢の——本心が知りたい」
「本心ねぇ……」
ルーシーは、しばらく、考えた。
「直接訊くのは無理。親しい人もいなさそう。となると——書き残してるもの、よね。たとえば、日記とか」
「ある、なら」
「あるかどうか分からないけど、ああいう控えめな子ほど、日記つけてそうよ」
ルーシーは、にっと笑った。
「忍び込めばいいんでしょ? 任せなさい」
「無茶はするな」
「あんたに言われたくないわよ。観察した上で、悪友に貴族令嬢の部屋に忍び込ませる男が、無茶じゃないって?」
「……返す言葉もない」
ロイドは、軽く、頷いた。
ルーシーは、軽く手を振って、立ち去っていった。
度胸のある悪友。
貴族令嬢の部屋に忍び込むことを、まるで、ちょっとした用事をこなすような気軽さで請け負った。
---
数日後、ルーシーから、一冊の写しが届いた。
それは、エミリアの日記の、要所だけを書き写したものだった。
その日の夜、ロイドは、寮の自室で、それを読んだ。
窓の外には、月が低くかかっていた。
日記の中の彼女の声は、ロイドが想像していたよりも、はるかに、切実だった。
——「私が聖女の転生? そんなわけない」
——「教会の方が、何度も『あなたは聖女の生まれ変わりです』と言ってこられる。でも、私は、何も知らない」
——「王太子殿下も『やはり、あなたは聖女だったのですね』とおっしゃられる。違うと、違うと伝えたいのに」
——「聖女になんてなりたくない。私は、ただの——リンデン子爵家の娘」
ロイドは、頁を、ゆっくりと、閉じた。
短い文字の中に、彼女の声が、確かに、込められていた。
声にならない悲鳴のようなもの。
(——エミリア嬢も、被害者か)
頭の中で、像が、また別の形に組み直されていく。
聖女を巡る動きは、王太子と教会の、二者の合意で進められている。
王太子は、政治的な意図で聖女を求めた。
教会は、政治的な復権のために聖女を必要とした。
二つの思惑が一致した先で、エミリアという少女が、舞台の中央に押し上げられた。
エミリア自身は——その計画に選ばれた、駒でしかない。
推測ではあるが、確度は高い。
ロイドは、寮の窓から、夜空を見上げた。
学園内で観察を始めた頃、追っていたのは、依頼主の妹の周りに広がる小さな違和感だった。
それが今、王太子と教会と聖女——王宮の門の中まで、届いている。
学園の中で見ているだけでは、もう、追いつかない。
ロイドは、もう一度、日記の写しに、目を落とした。
短い、しかし、はっきりと拒絶を込めた文字たち。
彼女もまた、自分の意志とは別のところで、駒として配置されていた。
その事実が、ロイドの肩の上に、新しい重さとなって乗っていた。
——ヴィクトル様に、お伝えしなければ。
ロイドの心の中で、その決意が、形を取った。
観察と調査で見えた像のすべてを——ヴィクトル様にお届けする。
学園の中で見えるものを、王都で調べ上げたものを、あの方へ送り届ける——それが、自分の役目だ。
ロイドは、日記の写しを、丁寧に、封筒の中にしまった。
明日、ハンスに連絡を取ろう。
ヴィクトル様への、面会の申し入れを——
その思考が、まとまった夜だった。
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