第21話 動かない味方
その夜、自室に戻ったロイドは、ランプの灯りの下で、机に向かっていた。
観察を始めた頃から今夜までのすべて——三冊の手帳が、机の上に揃っている。
窓は閉ざされ、真冬の冷気は外で静かに渦巻いていた。
学園に戻ってからも、頭の中の像は、整理しきれずにいた。
ハンスへの報告は終えた。
ヴィクトルへの伝達も、いずれハンス経由で届くだろう。
ここから先、自分にできることは——
ロイドは、ペンを取った。
新しい頁に、これまでの情報を、改めて並べ直す。
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『これまでに判明した構造:
第一段階——ソフィアが、噂で「悪役」のレッテルを作る。
第二段階——レオンが、クレアに「助言」を与え、口を封じる。
第三段階——レオンが、北部貴族たちに「声掛け」をして、味方を遠ざける。
第四段階——レオンが、退学事件の偶然を利用して、レッテルを固定する。
第五段階——シュタイナー家の動きを、王太子が承認している。
動機: 未判明。
王太子の関与の性質: 主導 or 便宜、未判明』
ロイドは、ペンを止めた。
書き出してみると、改めて、この構造の大きさが、手の重みに変わってくる。
冒険者として、罠の仕掛け人を追っていたら、その先に領主の館が見えてきた。
それが今日の昼の感覚だった。
しかし、領主の館の中まで、自分は踏み込めない。
そこは、ヴィクトルの領分だ。
ならば、自分にできるのは——
学園の中で、見える範囲を、もう一度、洗い直すことだ。
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ロイドは、改めて流れを整理するために、クレアの観察記録の冒頭から、辿り直していく。
クレアの側にいる人物。
メル——侍女。常に主の背後に控え、生活の細部を支えている。
メルの忠誠は、観察してきた中で、揺らいだ瞬間が一度もない。
メルは、シロだ。
ソフィア——義妹。
クレアの隣に立ち、笑顔で話しかけ、丁寧に距離を詰めてくる。
表向きは「友好的な義妹」。
しかし、その接触の直後に、必ず、噂が広がる。
工作の実行者——ソフィアは、すでにクロと、確定済みだ。
北部貴族派閥——
茶会の頃には、学年を越えて十数名が集まっていた。
しかし、今は、ほとんどが離れた。
そして、残った数少ない者の一人——
(——ナディア・グリューネン)
ロイドの目が、その名前で、止まった。
北部貴族の男爵令嬢。
クレアの数少ない味方として、今も食堂の卓に、共に座っている。
ナディアの存在は、これまで「クレアの味方」として、観察記録の脇に置いていた。
しかし——
ふと、心の隅で、何かが、引っかかった。
冒険者の勘——あるいは、観察者の勘。
罠の輪郭を、目の端で捉えた時の、あの感覚。
(——ナディアは、何をしている?)
ロイドは、もう一度、ペンを取った。
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ナディアの行動を、思い起こすままに、書き出していく。
クレアの隣の席。
食堂の卓。
廊下の挨拶。
短い会話。
それだけだった。
ナディアは、クレアの「味方」として、共にいる。
しかし——「味方」として、何をしているか?
北部貴族派閥が、日に日に離れていく中で——ナディアは、その離反を、止めようとしたか?
離れていく者に、声をかけたか?
残った者を、繋ぎ止めようとしたか?
ロイドは、過去の頁を辿った。
しかし、その記録は、どこにもなかった。
ナディアは、ただ、クレアの隣に座っているだけだった。
味方として、共にいる。
ただ、それだけ。
観察記録の中で、ナディアの行動は、いつも「静かな付き添い」だった。
クレアが話す時に、頷く。
クレアが食事を取る時に、共に食べる。
廊下で挑発を受ければ、共に通り過ぎる。
それだけ——だった。
しかし——その「静かな付き添い」こそが、改めて見直すと、不自然だった。
北部貴族派閥が崩壊する過程で、誰かが声を上げるべき場面は、何度もあった。
ヘルガの退学事件の直後。
北部貴族の若手数家が離れた時。
中堅家門が距離を取り始めた時。
そのどの瞬間にも——ナディアは、動かなかった。
(——味方であるはずなのに、何もしていない)
ロイドの心の中で、その違和感が、形を作っていく。
味方であるなら、派閥の離反を見ていられなかったはずだ。
声を上げ、説得し、繋ぎ止めようとしたはずだ。
少なくとも、何かしらの動きはあったはずだ。
もしも、性格が気弱で、動きには出せなかったとしても——
メルが見せるような、主を案じる悲しみや、悔しさの色——そういう感情の揺らぎが、あったはずだ。
それすら、ナディアの表情には、現れなかった。
そう、ナディアは、動かなかった。
悲しみや、悔しさの色もなかった。
離反を、ただ、見ていた。
そして、最後まで残った数少ない者の一人として、今も、クレアの隣にいる。
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ロイドは、ペンを止めた。
頭の中で、別の場面が、浮かび上がっていた。
数日前——
訓練帰りの夕暮れ、中庭の片隅で、ロイドはメルを見かけた。
書庫から戻る途中だったのか、書物を抱えて、ベンチに腰を下ろしていた。
その表情は、いつもの控えめな侍女のものとは——少しだけ、違って見えた。
主への気遣いの色が、無防備に、表に出ていた。
そして、メルの口から、独り言が漏れた。
「……また、お嬢様に『二人にしてほしい』とおっしゃるのね」
その声は、ロイドの耳に、確かに届いた。
メルの視線は、ベンチから少し離れた寮の方角——お嬢様の自室がある方向へ、静かに向けられていた。
主の元へ戻る前の、その短い独り言。
ロイドは、声をかけなかった。
ただ、通り過ぎながら、その言葉を、観察記録の片隅に、刻んだ。
(——お嬢様に「二人にしてほしい」)
その「二人」とは、誰と誰のことか。
クレアの周囲で「二人だけ」になり得る相手——
食堂で常に隣り合い、廊下で静かに付き添うナディア。
その近さを考えれば、答えは明らかだった。
点と点が、線として、繋がっていく。
(——ナディアはクレアと「二人だけ」になることを、求めている)
普通の派閥の上下関係であれば、侍女がいても、構わないはずだ。
むしろ、侍女がいる方が、貴族同士としては自然だ。
なのに、ナディアは「二人だけ」を求めている。
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ロイドは、低く、息を吐いた。
頭の中で、像が、また組み直されていく。
ナディアは、クレアの味方として、共にいる。
しかし、派閥の離反を止めない。
そして、クレアの自室を訪れ、その時にメルを外させている。
もしも——もしも、ナディアが「味方」ではなく、別の役割を持っているとしたら——
冒険者の経験則が、心の中で、低く響いた。
(動かない者は、動かない理由を持っている)
森の中で、群れの中に動かない獣がいるとき——
その獣は、怪我をしているか、罠の番をしているか、あるいは——
獲物を、別の方向から、見張っているか。
動かない理由は、必ず、ある。
観察者は、それを、見極めなければならない。
ロイドは、新しい頁を開いて、明日からの方針を書き込んだ。
ソフィアとベスに加えて、ナディアの動きも、別の軸で追う。
しかし——ナディアの家門背景は、学園の中では絶対に掴めない。
王太子の判が判明した今、敵の構図は急速に複雑化していた。
主導か便宜か、その判別のためにも、グリューネン家の他国・他派閥との繋がりを、最短で知りたい。
いつもなら次の休日にダグへ直接伝える。
しかし、今回は——休日を待っていられなかった。
ロイドは、便箋を引き寄せ、短く書いた。
『ダグへ。
追加の依頼だ。
グリューネン家——男爵家、北部貴族派閥所属。
他国・他派閥との繋がりを、最優先で頼む。
ナディア・グリューネン令嬢の周辺も、可能であれば。
ロイド』
封をして、明朝、郵便で発送する。
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「面倒くさいな」
ロイドは、低く呟いた。
いつもの口癖。
しかし、今回は——
味方の顔をした影を、観察対象に加える、その重さを、含んでいた。
味方であるはずの者が、味方でないかもしれない——
その疑念は、観察者として、最も重い種類のものだった。
なぜなら、その疑念は、観察対象本人——クレアにとっても、最も残酷な可能性だからだ。
窓の外で、真冬の風が、寮の壁を、低く叩いていた。
明日からの観察に、静かに、覚悟を加えながら。
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