第20話 王族の判
ダグからの次の呼び出しは、約束通り、二週間後に届いた。
手紙の文面は、いつもと同じく簡素だった。
しかし、ロイドはその簡素さの中に、前回とは違う気配を感じ取っていた。
筆跡の余白が、少しだけ、詰まっている。
書き手が、急いで書いた時の、あの形。
その週末の朝、ロイドは、いつもと同じ道のりを辿った。
最外層の冒険者ギルド支部近く、いつもの酒場へ。
---
ダグは、すでに座っていた。
卓の上に、前回より厚い帳面が置かれていた。
ただし、今回は、卓の隅に寄せられていた。
ロイドが向かいに座ると、ダグは、いつもの軽い笑みを見せた。
しかし、目の奥には、笑みのない色が、宿っていた。
「来たな」
「待ったか?」
「待ってはいない。が、そんなことはいい……で、先に一つ、確認させろ」
ダグは、低い声で言った。
「お前、本当に、この件に踏み込む気か?」
いつもとは違う、確認の問い。
ロイドは、わずかに、眉を上げた。
「ここまで来て、今さら、引く気はない」
「……そうか、やはりそうだよな」
ダグは、頷いた。
頬を掻く仕草も、いつもよりも、少しだけ、長かった。
「……だったら、覚悟して聞けよ」
---
ダグは、帳面を開いた。
走り書きの文字が、ぎっしりと並んでいた。
「外務局の承認記録、取れた」
「本当に取れたのか」
「冒険者ギルドの人脈じゃ届かないところに、別の人脈を一つ繋いだ。詳しいことは聞くな。お前のためにもならん」
ロイドは、頷いた。
冒険者の世界の暗黙のルール——人脈の出所を詮索しない。
今回も、その線を守るだけだ。
「で、承認の判は、誰のものだった」
ダグは、帳面の一点を、指で示した。
「王太子だ」
ロイドの動きが、止まった。
「……王太子?」
「ああ。アルベルト・クラウゼン・エーヴェンガルド殿下。書類の最下段に、確かに、その名と印があった」
ロイドは、しばらく、黙った。
頭の中で、像が、根本から組み直されていく。
ヘルガの留学手続き——その最終承認に、王太子の名。
貴族家門の子弟の留学は、外務局を通した手続きが必要だが、形式的なものだ。
形式的とはいえ、王族の承認となれば、別の意味を持つ。
「形式的な判じゃない、ということか?」
「形式なら、外務局長の判で済む。王太子の判が押されるのは、よっぽどの案件か——よっぽど、誰かに頼まれた時だ」
ダグは、帳面を閉じた。
「ああ、ここから先は、お前の領分だ。俺の仕事じゃない」
---
ロイドは、卓の上で、指を組んだ。
頭の中で、これまでの像と、今の新情報を、改めて重ね合わせた。
レオン・フェルス・シュタイナー。
シュタイナー家の次期当主。
そして——王太子の側近。
側近が私的に動いた計画に、王太子が判を押した。
この事実が意味するのは——
ロイドの口から、低い声が漏れた。
「王太子が、絡んでいる、のか」
「絡み方は二つだろうな」
ダグが、すかさず受けた。
「一つは、王太子が指示してる側。レオンが手を動かしてるのは、王太子の指示だ、というパターン」
「もう一つは」
「王太子は、ただ便宜を図っただけ。側近のレオンに頼まれて、形式的な判を押したというパターン。王太子自身は、計画の中身を知らないかもしれない」
「どっちか、わかるか」
「現状の情報じゃ、わからん」
ダグは、首を振った。
「だが、どっちにしても、王族が絡んでる。冒険者の手に余る話だ」
---
ロイドは、ゆっくりと、息を吐いた。
頭の中で、これまで観察してきた像が、別の色を帯び始めていた。
兄妹の連動した工作。
ヘルガの退学事件の演出。
その背後に、王太子の判。
承認の判は——王太子のものだった。
その事実が、頭の中で、何度も、形を取り直していた。
もしも王太子が指示している側なら——
クレアを「悪役」に仕立てる計画は、王族の意思である可能性がある。
もしも便宜を図っただけなら——
レオンには、王太子に便宜を頼める立場と、頼める理由がある。
どちらにせよ、シュタイナー家の動きの背後には、王族との繋がりがある。
ロイドは、低く呟いた。
「面倒どころじゃないな、これは」
「だろうな」
ダグは、肩をすくめた。
「俺の調査は、ここまでだ。これ以上、王族の周りを嗅ぎ回ると、こっちの首が危ない」
「悪い。十分すぎる仕事だ」
「気にすんな。冒険者の仕事として、ちゃんと報酬は払えよ」
ダグは、ニッと笑った。
笑みの奥に、今回の調査の重さが、滲んでいた。
---
酒場を出た後、ロイドは、最外層の路地に、立ち尽くしていた。
冬の風が、頬を撫でていた。
頭の中では、像が、まだ整理しきれずに、回り続けていた。
観察対象が、義妹のソフィア一人から、兄妹二人へ。
そして今、その背後に、王太子の影が見え始めた。
獲物の輪郭が、想定をはるかに超えて、大きくなっていく。
冒険者として、目の前の罠を放置できない——
その理由で動き始めた調査が、王族の領域に手を伸ばし始めている。
義理堅さが、いつもの「面倒くさい」を超えた領域に、足を踏み入れさせていた。
(——あのシスコンに、どう報告するか)
ロイドの心に、まず浮かんだのは、その問いだった。
妹を護衛する役を引き受けたとはいえ、王族絡みの政治の領域は、ロイドの手に余る。
ハンスを通じて、ヴィクトルに伝える必要がある。
学園内の観察報告とは、別の重みで。
---
ハンスとの待ち合わせのカフェで、ロイドは、席に着いた。
ハンスは、いつものように、先に座っていた。
今日の報告は、いつもとは違う——その予感を、ハンスも感じ取っているのか、表情がいつもより、わずかに、引き締まって見えた。
ロイドは、近況の確認を一通り済ませた後、本題に入った。
「先日報告した、シュタイナー家の動きの件——続報があります」
「……続報、ですか」
「ヘルガ・ホフマン子爵令嬢の退学について、レオン・フェルス・シュタイナー様が、隣国留学を仕立てたことが、確認できました」
「はい。それで——」
「その留学手続きの承認書類に、王太子殿下の判が、押されていました」
ハンスの表情が、わずかに、固まった。
いつもの淡々とした顔の奥に、別の色が、はっきりと、走った。
「……それは、確かなことですか」
「ええ。冒険者仲間の調査で、外務局の承認記録を確認しました」
「……」
ハンスは、しばらく、黙った。
ロイドは、続けた。
「王太子殿下が、指示しているのか、便宜を図っただけなのか——そこまでは、わかりません。ただ、王族との接点があることは、確かです」
「……承知いたしました」
ハンスの声は、いつもよりわずかに、低かった。
「この件は、私の判断を超えています。ヴィクトル様に、すぐにお伝えします」
「お願いします」
ハンスは、頷いた。
いつもの淡々とした応対の中に、別の重さが、加わっていた。
---
カフェを出た後、ロイドは、王都の街並みを歩いた。
冬の風が、王都の層を、上から下へ吹き抜けていく。
学園の中で、ロイド自身が、ソフィアとベスの動きを追う。
学園の外で、ダグが、シュタイナー家の事情を探った——その結果が、王太子の判だった。
二つの線が、思っていたよりも、はるかに高い場所で、結びついていた。
ロイドの肩に、重さが、加わっていた。
観察者の重さではなく、巻き込まれた者の重さ。
貴族の、そして政治の闇に引き摺り込まれるような、そんな重さ。
「面倒くさいな」
ロイドは、低く呟いた。
いつもの口癖。
しかし、今回は——冒険者の手に余り始めた、その自覚を、含んでいた。
冬の風が、最外層の路地を、抜けていった。
ロイドは、しばらくその場に立ち止まってから、ようやく、学園へと、足を向けた。
今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、
評価・ブックマークで応援いただけると嬉しいです。




