第19話 準備された逃げ道
ダグからの呼び出しは、依頼からちょうど二週間が経った頃に届いた。
手紙には、いつもの酒場の名と、次の休日の時刻だけが書かれていた。
簡素な、しかし、確実に意味を持つ筆跡。
その週末の朝、ロイドは、いつもと同じ手順で学園を出た。
学園のある回層から外へ抜け、北広場から乗合馬車に乗る。
二つの門を越え、最外層の冒険者ギルド支部近くの酒場へ。
二週間前と、まったく同じ道のりだった。
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酒場の隅の卓に、ダグはすでに座っていた。
前回と同じ位置、同じ姿勢。
ただし、卓の上には、薄い帳面が一冊、置かれていた。
「お、来たな」
「ああ。しかし、予定通りとはいえ、やはり早かったな」
「人脈だよ、人脈」
ダグは、同じ台詞を、同じ口調で返した。
肩をすくめる仕草も、前回と同じ。
しかし、目の奥には、前回にはなかった輝きがあった。
冒険者が、想定外の獲物の痕跡を見つけた時の、あの輝き。
ロイドは、向かいに座った。
「で、何が出た」
「先に、結論を言うぞ」
ダグは、帳面を開かないまま、ロイドを見た。
「退学した令嬢——ヘルガ・ホフマン子爵令嬢。あいつ、ノルドライヒ帝国に留学してる」
「ノルドライヒ帝国に留学?」
「ああ。退学じゃなくて、留学先への移籍って形だ。家門の体面を守る、貴族らしい処理だな」
「……ヘルガは、退学を、嫌がっていなかったのか?」
「むしろ、感謝してるらしい」
ダグは、低い声で言った。
「海外留学は、ちょうどよい逃げ道だったってことだ。隣国であれば、すべてをやり直せるしな。今は、向こうの学園で楽しくやってるそうだぜ」
ロイドは、わずかに、眉を寄せた。
退学事件の夜、教官に連れられて教室を去ったヘルガの姿が、脳裏に浮かんだ。
あの俯いた背中は——絶望の姿ではなかったのか。
「ヘルガ自身が、その留学を望んでいた、ということか?」
「いや。それが、実に面白いところなんだな」
ダグは、ようやく帳面を開いた。
走り書きのような文字が、ぎっしりと並んでいた。
「この留学を持ちかけたのは——レオン・フェルス・シュタイナー、小シュタイナー伯爵だ」
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ロイドの動きが、止まった。
「……レオンが?」
「レオンがホフマン家に手紙を送ってる。隣国の学園を紹介する内容だ。家格にとらわれない自由な校風、ホフマン家の家風にも合う、と」
「よくそんな手紙の情報を知ることができたな」
「ま、そこは蛇の道は蛇ってところだ。急な留学のために金に糸目をつけずに商人にいろいろ依頼していたらしいからな。そこからだ」
「そうか。ということは、ホフマン家は、その手紙の内容を受け入れたんだな」
「ああ、渡りに船だったしな」
ダグは、帳面の頁を、指で示した。
「ホフマン家は、ヘルガ嬢が学園で浮いてることを把握してた。本人からの手紙でも、辛い様子が伝わってたそうだ。家門としても、どう処理するか悩んでいたところに、レオンからの紹介が届いた」
「タイミングが——よすぎるな」
「だろ?」
ダグは、頷いた。
「しかも、レオンは、隣国の学園に事前に話を通してた。受け入れ態勢を整えた上で、ホフマン家に紹介した。完璧な、お膳立てだ」
ロイドは、しばらく、黙った。
頭の中で、いくつもの像が、組み直されていく。
退学事件——
あれは、クレアがヘルガを正論で追い詰めた結果ではなかった。
退学処分が下りる前から、レオンが、ヘルガの「逃げ道」を準備していた。
ヘルガが学園で苦しめば苦しむほど、その逃げ道に飛びつく確率が上がる。
そして、最終的に学園を去る。
傍から見るとそれは「退学」という形に見える。
退学の引き金になったのは、表向きは、クレアとの茶会での衝突。
しかし、衝突そのものは、ヘルガが先に家格を理由にクレアを嘲笑したことから始まっていた。
クレアは、それに正論で返しただけだ。
だが、結果として——クレアには「ヘルガを退学に追い込んだ令嬢」というレッテルが、貼られた。
「退学事件自体が、レオンの計画だったのか……」
ロイドは、低く呟いた。
頭の中で、像が、もう一度、組み直された。
退学は、追い詰められた結末ではない。
準備された、逃げ道だ。
「……全部、仕組まれてたってわけだ」
「学園で浮いてしまったのは自業自得だと思うがな」
「しかし、ヘルガは、自分が脚本の一部だってことに、気づいてない」
「ヘルガ嬢が気づいていないのは、当然だな。本人にとっては、確かに、救われた話だ」
「救われたんだろうな、実際」
ダグは、肩をすくめた。
「だが、その救いを踏み台に使った奴が、別にいるってだけだ」
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ロイドは、卓の上で、指を組んだ。
頭の中で、これまで観察してきた像を、改めて並べ直した。
第一段階——ソフィアが、クレアに近づき、噂で「悪役」のレッテルを作る。
第二段階——レオンが、クレアに「助言」を与え、口を封じる。
第三段階——レオンが、北部貴族たちに「声掛け」をして、味方を遠ざける。
そして、第四段階——レオンが、退学する令嬢の「逃げ道」を準備し、退学事件そのものを演出する。
四つの段階が、すべて、繋がっていた。
ソフィアの噂、レオンの「仲裁」、そして退学事件。
どれも、単独で見れば「親切」「善意」「偶然」に見える。
しかし、並べれば——一つの、緻密な計画だった。
計画の目的は、ただ一つ。
クレアに「悪役」のレッテルを、固定すること。
「兄妹だけじゃ、ここまでできないだろ?」
その声が、ロイドの思考を切った。
ダグは、低い声で続けた。
「隣国の学園を紹介するには、コネがいる」
「……シュタイナー家だけの力じゃない、と」
「俺はそう見るな」
ダグは、頬を掻いた。
「シュタイナー家は、確かに伯爵家だ。それなりの家門だ。だが、隣国に枝を伸ばしてるって話は、聞いたことがない。今回の動きは、シュタイナー家の力量を、明らかに超えてる」
「それは、つまり——誰かが、後ろにいる」
「ってことだ。少なくとも、俺の目から見ればな」
ロイドは、ゆっくりと、息を吐いた。
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「もう一つ、気になる点がある」
ダグは、帳面の別の頁を開いた。
「ヘルガ嬢の留学手続き。隣国に渡るには、家門の判断だけじゃ済まない。国の承認が要る」
「承認?」
「お前、それでも貴族か?」
「仕方ないだろ」
「まあ、普通は留学なんかしないからな」
「で、その続きは?」
「ああ。貴族家門の子弟が海外の学園に移る場合は、外務局を通した手続きが必要になる。形式的なものとはいえ、誰かが承認の判を押してる」
「それは——調べられるのか?」
「外務局の書類は、冒険者ギルドの人脈じゃ、簡単には届かないところにある。だが——調べる方法は、ある」
「頼めるか」
「言うまでもねえだろ」
ダグは、ニッと笑った。
「次の報告までは、もう少し時間がかかるぞ。同じくらい、見てくれ」
「分かった」
ロイドは、頷いた。
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卓を離れた後、ロイドは、酒場の外に出た。
冬の朝の冷気が、頬を打った。
しかし、頭の中で、像はまだ、回り続けていた。
退学事件は、レオンの計画。
しかも、レオン一人の力では、ここまでの計画は組めない。
隣国の学園とのコネ、外務局を通した手続き、学園内部での処分タイミング——
どれも、伯爵家一つでは、用意できない範囲だった。
シュタイナー家の後ろに、誰かいる。
その「誰か」が、シュタイナー家を動かして、クレアに「悪役」のレッテルを貼らせている。
動機は——まだ、見えない。
しかし、輪郭の片端は、確かに、伸び始めていた。
「面倒くさいな」
ロイドは、低く呟いた。
いつもの口癖。
しかし、今回は——
獲物の影が、想定よりも大きくなり始めた、その重みを、含んでいた。
冬の風が、最外層の路地を、抜けていった。
ロイドは、北広場へと、足を向けた。
ハンスへの報告内容を、頭の中で、慎重に、組み立てながら。
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