第18話 学園の外へ
「冒険者の情報網は、貴族の手の届かない場所に張り巡らされている」
―― 冒険者仲間の情報網
次の休日の朝。
ロイドは学園を出て、王都の最外層を目指した。
学園のある回層から外へ抜け、北広場から乗合馬車に乗る。
二つの門を越えると、貴族の子弟を見かけることのない、完全な市井の喧噪が広がっていた。
目的地は、冒険者ギルド支部近くの酒場——ダグとの待ち合わせ場所だった。
初冬の朝の空気は、学園のある回層ではまだ清く澄んでいたが、外の回層に進むにつれて、生活の匂いが混じり始めていた。
肉を焼く煙、職人の鎚音、商人の呼び声——王都の日常の音。
学園の静謐とは、まったく別の世界だった。
久しぶりの一般人の、そして冒険者の街——その匂いに、ロイドの肩が、わずかに緩んだ。
学園での日々は、観察と分析の連続だった。
貴族社会の隙のない作法、見えない悪意、表と裏の使い分け。
常に気を張り、誰の前でも油断できない世界。
しかし、ここは、違う。
ここでは、強い者は強い、弱い者は弱い。
信頼も、絆も、そして裏切りも、剥き出しの形で目の前にある。
ロイドは、その空気に、わずかな安堵を覚えた。
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約束の酒場の隅の卓に、ダグはすでに座っていた。
大きな体を背もたれに預け、何を読むでもなく、店の入口を眺めている。
ロイドが入ってくると、ダグはニッと笑った。
「よう。生きてたか、貴族の若様」
「死んでない。お前こそ、元気そうだな」
「相変わらず、元気が取り柄の、しがない冒険者だよ」
ダグは、肩をすくめた。
「お前の方こそ、いい暮らししてんだろ。学園で」
「飯はうまい。それだけは認める」
「そりゃ、それだけでもけっこうな話だ」
ロイドが向かいに座ると、ダグは店主に手を上げて、何かを注文した。
すぐに店主が、二人分の飲み物と、軽い肴を運んでくる。
この酒場は、ダグの行きつけらしい。
店主との目配せに、慣れた関係性が見えた。
「珍しいな。お前から呼び出すなんて」
「そういう用件だ」
「依頼か」
「依頼だ」
ダグは、店主が運んできた飲み物を一口含み、渋い顔をしてロイドを見た。
「またあのシスコンの仕事か?」
「いや」
ロイドは、首を振った。
「これは、俺の判断だ」
ダグの表情が、変わった。
軽口の色が消え、目に、別の集中が宿った。
ロイドが本気の時の顔を、ダグはよく知っていた。
「……話せ」
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ロイドは、低い声で、要点を伝えた。
学園内で観察してきた、ある令嬢の状況。
それは、ある兄妹による工作だ——という確信。
しかし、動機が、学園内では見えない。
名前は、出した。
シュタイナー家。
ソフィア、ベス、レオン。
話を聞きながら、ダグは、何度か頷いた。
眉を寄せたり、視線を逸らしたりはしなかった。
ただ、聞いた。
ロイドが話し終えると、ダグは、軽く息を吐いた。
「貴族絡みかよ」
「悪い」
「いや、いいんだけどな」
ダグは、頬を掻いた。
「で、何を調べればいい?」
「シュタイナー家の動き。屋敷の出入り、訪問者の頻度」
ロイドは、要点を区切りながら、伝えた。
「あとは——王都の貴族社会での、シュタイナー家の立ち位置。そして、シュタイナー家やレオン・フェルス・シュタイナーの政治的背景。誰と組んで、誰と対立しているか」
「政治か」
「政治だ」
「……俺、政治詳しくないぞ?」
「人脈で拾えるところでいい。詳しい解釈は、後で俺がやる」
「了解」
「情報収集をするなら、酒場、商人ギルド、出入り業者——お前の方が、こういうのは速い」
「俺の世界の話だな、それは」
ダグは、しばらく考えてから、頷いた。
「……分かった。引き受けるよ」
「悪いな」
「言っとくが、俺の判断で引き受けるからな。あのシスコンに頼まれたわけじゃない」
「俺もそうだ」
ロイドとダグは、苦笑いを交わした。
「で、引き受けてもらった上で、可能であればだが、どこと手紙のやり取りがあるか。それがどのくらいの頻度か、も調べられたらお願いしたい」
「そこまで必要か」
「ああ、できれば……な」
「分かった」
ロイドは、礼を返した。
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話を切り上げて、ダグは席を立った。
「じゃあ、二週間くらいで、第一報は持ってくる」
「二週間で?」
「ああ」
ロイドは、わずかに、眉を寄せた。
「……早いな」
「人脈だよ、人脈」
ダグは、肩をすくめた。
ロイドは、何か違和感を覚えた。
貴族家門の動きを、二週間で第一報まで持ってこられるほどの人脈——
冒険者ギルドの情報網としては、確かに有能だが、それにしても速すぎる。
まるで、もう既に、何らかの足場が、シュタイナー家周辺に張られているかのような。
しかし——
冒険者の世界では、人脈の出所を詮索しない。
それが、暗黙のルールだった。
冒険者の情報網は、貴族の手の届かない場所に張り巡らされている。
それが、ダグの強みだった。
追求すべきは、シュタイナー家の動機であって、ダグの人脈ではない。
ロイドは、違和感を、心の隅に置いた。
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ダグと別れた後、ロイドは、ハンスとの待ち合わせのカフェへと向かった。
最外層から乗合馬車で戻り、北広場へ。
いつもの、北広場近くの静かな店。
ハンスとの、定期連絡の場所。
ハンスは、いつもの席で、すでに待っていた。
「ロイド殿。ご機嫌よう」
「ハンスさん」
ロイドが向かいに座ると、ハンスは、いつもの淡々とした口調で、近況の確認を始めた。
クレアの様子、学園内の動き、教官との関係——
ヴィクトルからの過保護な確認項目を、淡々と。
ロイドは、それらに、淡々と答えた。
観察報告書の形に整えた内容を、口頭で繰り返す。
しかし、今日の報告には——一つ、これまでとは違う内容を含めた。
「クレア嬢を取り巻く工作の実行者が、確定しました」
ハンスの目が、わずかに、動いた。
「……実行者、ですか」
「ソフィア・シュタイナー嬢と、その侍女のベス・ブラント。そして、おそらく、レオン・フェルス・シュタイナー様も関与している」
ハンスは、しばらく、黙っていた。
いつもの淡々とした表情の中に、何か——別の色が、混じったように見えた。
驚き、ではない。
むしろ、何かを確認するような色だった。
「……それは、確かな情報で?」
「はい、自分の目で確認しています。観察記録は、いつものように、報告書にまとめます。動機については、まだ追跡中です」
「承知いたしました」
「学園外の調査を、冒険者仲間に依頼しました。シュタイナー家の動きと、レオン様の政治的背景について」
「冒険者の方に、ですか」
「ええ。学園の中だけでは、見えない部分が出てきていますので」
ハンスは、もう一度、わずかな間を置いた。
「……ヴィクトル様にも、お伝えしておきます」
「お願いします」
ハンスの返答は、いつも通りだった。
ダグのことは隠したつもりではあるが、ハンスはきっと、依頼先を予想しているのだろう。
しかし、その返答までの間が——いつもより、わずかに、長かった気がした。
(何か気になる点でもあったのか?)
ロイドは、心の中で呟いた。
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ハンスとの面会を終え、ロイドは、王都の街並みを歩いた。
初冬の風が、王都の層を、上から下へと吹き抜けていく。
学園の中で、ロイド自身が、ソフィアとベスの動きを追う。
学園の外で、ダグが、シュタイナー家の事情を探る。
二つの線が、いずれ、一つの絵にまとまるはず。
動機の輪郭が、その絵の中で、きっと浮かび上がる。
ただし——それぞれの線が、どこまで届くかは、まだ分からない。
ダグの人脈が、シュタイナー家の核心にまで届くか。
ロイド自身が、学園の中で、新たな動きを引き出せるか。
すべてが、まだ、不確定だった。
しかし、不確定であることと、動き出していることは、別の話だ。
動き出した時点で、輪郭の片端は、もう、見え始めている。
あとは、辿るだけだ。
冒険者が、森の中で、獣の痕跡を辿るのと、同じように。
「面倒くさいな」
ロイドは、低く呟いた。
いつもの口癖。
しかし、今回は——
駒が動き出した、確かな手応えを、含んでいた。
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