第16話 笑顔の裏側
「ソフィアは、指示を出している。ベスは、それを受けている」
―― 工作の記録
翌日から、ロイドは動き始めた。
観察対象を、クレアからソフィアに切り替える。
ソフィアの一日の動線を、距離を取って追う。
冒険者として獣を追うときの、気配を消した尾行。
森の中で獣を追う時の鉄則は、距離だった。
近すぎれば気配を感じられる。
遠すぎれば動線を見失う。
ちょうどよい距離を保ち、動線の癖を読む。
学園の廊下も、食堂も、寮の周囲も——森と、構造は変わらない。
壁、柱、植え込み、人の流れ。
身を隠す物は、森よりむしろ多い。
朝、寮の女子棟から出てくる時刻。
午前の教室への移動経路。
昼休みの食堂での卓選び。
午後の授業の合間の動線。
夕食後の寮への帰路。
ソフィアは、いつも一人ではなかった。
背後に、一人の侍女が、必ず付き添っていた。
茶色の髪、控えめな身なり、目立たない歩き方。
主の影として、自然に存在する侍女だった。
ロイドの記録に、その侍女の名は——まだ書かれていない。
---
三日目の昼休み。
ロイドは、食堂の壁際から、ソフィアの卓を眺めていた。
ソフィアは、いつも通り、クレアの卓に「お義姉様」と挨拶に来た。
短い会話の後、軽く頭を下げて、別の卓へと移動する。
その時——
ソフィアの背後の侍女が、別の方向へと歩き出した。
主と別行動。
ロイドは、視線を、その侍女に固定した。
歩く先には、明確な目的が、見えた。
侍女は、隅の卓——侍女コースの学生たちが集まる席——に近づいた。
軽く頭を下げ、椅子を引いて、座る。
顔見知り、らしい。
話を始めた。
ロイドは、距離を縮めた。
壁伝いに、聞こえる範囲まで、慎重に。
「皆さま、ちょっとお耳に入れたいお話が——ブレンハルト家の令嬢のことで」
侍女が、声をやや潜めて切り出した。
「またですの?」
隣の侍女コースの学生が、目を丸くする。
「ええ。今度は、ご自分の侍女に、随分とつらく当たられているとか」
「まあ……」
別の学生が、扇で口元を隠して反応する。
「ソフィア様も、いつも気にかけて見ておられて、お辛そうにされて」
侍女の声には、悲嘆と心配の色が、絶妙に混ぜ込まれていた。
「ソフィア様は、本当に、ご苦労が絶えませんわね」
「あの方が、レオン様の婚約者でなければ、ソフィア様もこんなにお辛い思いをされずに済みましたのに」
「メル様も、いつまで耐えていらっしゃるのかしら、お可哀想に」
周りの学生たちが、次々と相槌を返す。
侍女は、淡々と話を続けた。
声には、悪意も善意もない。
ただ「事実を伝えている」という落ち着いた口調だった。
しかし——
その内容は、すべて、嘘だった。
クレアがメルにつらく当たる場面を、ロイドは見たことがない。
むしろ、メルはクレアを支え、クレアもメルを信頼している。
信頼の薄い主従に、あの肩の覚悟の硬さは、生まれない。
(——これか)
ロイドは、心の中で呟いた。
噂の出元が、目の前にいた。
しかも、侍女の伝え方は、巧みだった。
断定はしない。
「らしい」「だとか」「お聞きしましたわ」と、伝聞の形で滑り込ませる。
責任は元の話者に押し付けられる構造で、聞く側は「事実」として受け取る。
こういう噂の流し方は、侍女個人が思いついたとは、考えにくい。
タイミング的にも、話の内容的にも、確実に誰かに指示されている。
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話し終えた侍女が、卓を立った。
また別の方向へと歩き出す。
ロイドは、自然な距離を保ちながら、追った。
食堂を出て、廊下を進み、中庭のベンチで少し休み、再び動き出す。
その途中で、別の侍女が彼女に声をかけるのを、ロイドは目撃した。
「ベス様、お疲れさまでした」
ベス。
その名が、ロイドの記録に、初めて入った。
脳裏で、これまでにソフィアを見かけた場面を辿り直す。
ソフィアが廊下を歩く時、半歩後ろを付き従っていた侍女。
ソフィアが教室に向かう時、常に同行していた侍女。
ソフィアが中庭で誰かに挨拶する時、少し離れて待機していた侍女。
いつも、ソフィアの近くにいた。
(ベス。シュタイナー家の侍女)
名前と顔と所属が、一つに繋がった。
---
その日の放課後。
ロイドは、中庭の隅、植え込みの陰から、ソフィアたちを観察していた。
授業を終えた生徒たちが、ばらばらと中庭を抜けていく時間。
次第に人通りが、疎らになっていく。
ソフィアが、中庭の端の方へと歩いてきた。
ベスが、いつものように、背後に付き従っている。
二人は、中庭の隅、樹木の陰になった場所で、足を止めた。
周囲を見回す。
他に人はいない——と判断したらしい。
ソフィアが、低く、ベスに何かを囁いた。
ベスが、頷く。
短いやり取り。
しかし、密かさが、明らかだった。
ロイドは、別の植え込みの陰から、息を潜めて観察した。
距離が遠く、声は聞こえない。
しかし——二人の表情と所作から、その「会話の性質」は、はっきりと読めた。
ベスが何度か頷く。
その頷き方が、明らかに「指示を受けた者」の頷き方だった。
単なる相槌ではない。
内容を確認し、記憶に刻み、明日からの動きに反映する——そういう頷き。
ソフィアの表情も、対称的だった。
いつもの「義妹」の控えめな笑顔は、そこにない。
代わりにあったのは、業務を伝達する主の、淡々とした顔つきだった。
ソフィアは、指示を出している。
ベスは、それを受けている。
(——間違いない)
ロイドの心の中で、確信が、固まった。
---
その夜、自室。
ロイドは、三冊目の手帳を開いた。
二冊目は、ちょうど終わりに達していた。
新しい一冊目のページに、新しい表題を書く。
『工作の記録
対象: ソフィア・シュタイナー(シュタイナー家次女)
実行者: ベス(シュタイナー家侍女)
【目撃ログ】
一日目〜三日目: ソフィアの動線を尾行。常時ベス同伴。
三日目(昼休み・食堂):
ベスが侍女コース卓に接触、クレア嬢の言動を歪曲した噂を淡々と拡散。
内容: 「クレア嬢が侍女に冷たい」「ソフィア様が気を配って苦労している」
ロイド確認: 噂の事実関係はゼロ。完全な捏造。
三日目(放課後・中庭隅):
ソフィアとベス、人目を避けて密談。
所作からソフィアが指示・ベスが受領の構造が読み取れる。
声は届かず、内容は不明。
【所見】
ソフィアの「友好的な義妹」の表向きの行動の裏で、ベスが噂工作を実行している。
二人で連動する構造を確認。
仮説段階の観察は、本日をもって確信に変わった』
ロイドは、ペンを止めた。
紙面を、しばらく見つめた。
(——こいつらだ)
仮説が、確信に、変わった瞬間だった。
---
ロイドは、椅子の背に体重を預けた。
天井のランプを、見上げる。
工作の「実行者」は分かった。
しかし——
(なぜ?)
心の中で、新しい問いが立ち上がった。
ソフィアは、クレアの「義妹」だ。
しかも、表向きは、クレアの数少ない味方として振る舞っている。
兄の婚約者を、なぜ陥れる必要がある?
ベスは、ソフィアの侍女。
主の指示で動いているはずだ。
ベス個人の意思ではなく、ソフィアの意思。
動機が、見えない。
婚約解消したいだけなら、もっと直接的な手はあるはずだ。
兄レオンや当主である父親を動かして家門間の合意で婚約を解消すれば済む。
わざわざ義姉の評判を、わざわざ落とす必要は、ない。
あるいは——
評判を落とすこと自体が、目的なのかもしれない。
婚約解消の理由を、クレア側に作るための工作。
「あんな悪役令嬢では困る」と、社交界に印象づけるための仕込み。
しかし——
動機は、まだいい。
工作の実行者が、確定した。
その事実が、何より重い。
ロイドは、新しいページに、書き加えた。
『次の段階:
工作の動機を、追う。
ベスの行動記録を、継続する』
ペンを置いた。
「面倒くさいな」
いつもの口癖。
しかし、今回は——
獲物の輪郭が、見えてきた手応えを、含んでいた。
明日からも、ベスの動きを追う。
ダグへの依頼を、本気で切り出す。
それは、森の中で、痕跡を辿る冒険者の、当たり前の作業なのだから。
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