第14話 動きの輪郭
季節が、また一段、進んだ。
並木道の枝は完全に葉を落とし、寒風が並木のあいだを通り抜けていく。
朝の空気は、もう、白く吐息になっていた。
ロイドの観察記録は、二冊目の終盤に差し掛かっていた。
動こうと決めて、数日が経つ。
——しかし、どう動けばよいか、その見通しが、まだ立っていなかった。
---
その日の朝、ロイドはニックと並んで中央棟の二階廊下を歩いていた。
午前の授業が始まる前の、生徒たちが教室へ向かう時間。
ふと、廊下の角を曲がった先で、足が止まった。
廊下の向こうから、クレア・ブレンハルトが歩いてくるのが見えた。
メルを背後に従え、いつもの完璧な姿勢で。
その先で——
横手の教室から、王権派の令嬢たちが、連れ立って出てきたところだった。
令嬢たちは、廊下の中央にゆっくりと進み出ると、ちょうどクレアが通る道筋に並んだ。
偶然——のように見える、計算された配置。
ロイドは、ニックの肩を軽く叩き、廊下の柱の影に身を寄せた。
「待て」
「……ああ」
ニックも、視線を女子学生たちに止めた。
クレアが、令嬢たちの前に到達した。
メルが、わずかに緊張した気配を背後に走らせる。
先頭の女子学生が、深く膝を折ってお辞儀をした。
わざとらしいほどに丁寧な礼。
「ブレンハルト嬢、ご機嫌よう。本日も、ご立派なご様子で」
クレアが、足を止めた。
完璧な敬礼で応える。
「ご機嫌よう」
左側の女子学生が、声を継いだ。
「ホフマン家のヘルガ様も、お元気にされていらっしゃるかしら」
わずかな間。
ヘルガの名前は、退学以来、誰もが避けてきた話題だった。
その名を、わざわざ持ち出した。
次に、右側の女子学生が、声を継いだ。
「家門のご事情、と伺いましたが——ブレンハルト様のご助言が、よほど心に響いたのでしょうね」
ご助言、と言いつつ、明らかに「追い出したのでは?」と言っている。
「次は、どなたが、ブレンハルト様のご助言を頂けるのでしょう」
先頭の女子学生が、また口を開いた。
くすくす、周りの令嬢たちの笑い声が漏れる。
クレアの表情は、変わらなかった。
反論も、否定もしなかった。
ただ、短く——
「ご機嫌よう」
同じ言葉を、もう一度、口にした。
そして、令嬢たちの脇を、ゆっくりと通り過ぎた。
メルが、その後ろを、強張った表情で歩く。
クレアに言葉を投げかけた令嬢たちは、クレアの背中に向けて、もう一度、揃って深く頭を下げた。
それは、完全に、同時に……舞台役者のように。
その後、ゆっくりと頭を上げ、満足げな視線を交わし、他の令嬢たちとともに廊下の反対方向へと去っていった。
ロイドとニックは、しばらく柱の影で、その後ろ姿を見送った。
「……あれ、台本だな」
ニックが、先に口を開いた。
「だな」
「三人で、台詞を回してた。お辞儀も、揃ってた」
「……あれは練習している」
「ああ。茶会のヘルガ嬢の時とは、構造が違う。あれは、一人が勢いで仕掛けて、クレア嬢の正論で粉砕された。今のは——三人で役を分けて、クレア嬢を反応させない設計になってる」
「台本を書いたのは、誰だと思う」
ロイドが、低く問うた。
ニックは、しばらく考えてから、答えた。
「分からん。でも——王権派の中で、あの三人だけが妙に揃ってた。家門もばらばらなのに、息が合いすぎてる」
ニックの一般学生視点は、嘘がなかった。
ロイドは、廊下の窓の外を見た。
秋の朝の光が、澄んで差し込んでいた。
(誰が、これを仕組んだのか)
心の中で問いを置いた。
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その日の昼休み。
食堂の一角で、ロイドはそれを目撃した。
レオンが、王権派の令嬢たちに話しかけている。
穏やかな笑顔。
話の内容までは聞こえないが、しばらくの会話の後、令嬢たちは深く頷いて去っていった。
仲裁、らしい。
婚約者の婚約者として、行き過ぎた挑発を抑える役回り。
しかし——
ロイドは、令嬢たちの去り際を見ていた。
その表情には、「叱られた」という後悔は、なかった。
むしろ、「役目を果たした」という、安堵に近い表情だった。
(仲裁、と見せかけて——指示の確認、か?)
ロイドの観察者の目が、低く呟いた。
まだ、確信ではない。
しかし——疑念の輪郭が、わずかに濃くなった。
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翌日の昼休み。
ロイドの観察対象は、食堂の北部貴族の卓だった。
卓は、相変わらず三人。
クレア、ナディア、そして、ソフィア。
メルが、いつものようにクレアの背後に控えている。
ソフィアが、「お義姉様」と笑顔で接近していた。
穏やかな所作、控えめな声量。
完璧な義妹の姿だった。
会話は、二、三十分ほど続いた。
やがて、ソフィアが「失礼します」と席を立った。
軽く頭を下げ、別の卓の方へと去っていく。
その姿が、視界から消えた——直後。
食堂の別の隅で、女子学生たちのささやき声が、明らかに音量を上げた。
「あの方、本当にお変わりにならないわね」
「ソフィア様も、お気の毒に」
「義妹として、お優しすぎるくらいよ」
ロイドは、低く息を吐いた。
(——また、これか)
心の中で呟いた。
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午後の授業の合間。
ロイドは、頭の中で観察記録のページをめくっていた。
ソフィア・シュタイナーの動き。
いつ、どこで、どれくらいの時間、クレアの傍にいたか。
そして、その直後に、何が起きたか。
パターンが、はっきりと浮かび上がってくる。
(ソフィアが近づく → 友好的に振る舞う → 離れた直後、状況がさらに悪化する)
偶然か。
あるいは——
(仕掛けているのか?)
ロイドの内心の問いに、別の問いが重なった。
しかし、それはまだ仮説に過ぎなかった。
ソフィア本人が何かをしているとは、目撃していない。
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夕食後の共有談話室。
ロイドとニックは、いつもの茶を前にしていた。
窓の外で、秋の風が並木道を揺らしている。
「今日も、変な空気だったな」
ニックが、視線を落としたまま呟いた。
「廊下のあれか?」
「あれもだが——あの後、食堂でも、ずっとざわついてた」
「だな」
「いつまで、こんな空気が続くんだろうな」
ニックは、深く息を吐いた。
ロイドは、湯気の立つ茶を眺めながら、心の中で答えを留めた。
(——空気の出元が、わかりかけている)
ニックには、まだ言えない。
仮説の段階で、口に出すべきではない。
森の中で罠を見つけたとき、まず仕掛け人の輪郭を確かめる。
声を上げるのは、その後だ。
ロイドは、茶を一口含んで、答えた。
「……まあ、しばらくは続くだろうな」
ニックは、それ以上、何も訊かなかった。
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ニックと別れ自室に戻ったロイドは、観察記録の整理を始めた。
手帳の新しいページに、時系列を書き込んでいく。
『ソフィア・シュタイナーの動き:
本日: 昼休み、クレア嬢の卓に約25分接近。直後、別卓で「冷たさ」が話題化。
数日来、類似の接近と直後の悪評拡散を、複数回観察。
接近の長短に関わらず、離脱後の数刻のうちに、必ず噂が湧き上がる。
所見:
ソフィアの接近・離脱と、悪評の拡散には、時系列上の一致あり。
ソフィア本人の工作行為は、未目撃。
しかし、パターンの偶然性は、もはや極めて低い』
ペンが、止まった。
ロイドは、紙面を見つめた。
(——重なっている)
ソフィアという「友好的な義妹」の影と、クレアを覆う「悪役」のレッテルが、時系列上で重なっていた。
ソフィアが現れた直後、必ず、何かが悪化する。
偶然では、説明がつかない頻度で。
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ロイドは、椅子の背に体重を預けた。
前夜までの焦りが、頭をよぎった。
動こうと決めたのに、動き出せない自分への、苛立ち。
罠の輪郭が、霧の向こうにあった、あの夜。
しかし、今夜は——少し違った。
(——狙うべき方向が、見え始めた気がする)
まだ、確信ではない。
まだ、ソフィアが「黒」だと、決めつけられる証拠もない。
しかし——
観察者の目では、足りなかった。
冒険者の目で見て、初めて、痕跡の偏りが見えてきた。
森の中で、罠の気配を感じる。
ただし、ようやく——その仕掛け人の影が、ぼんやりと浮かんできた。
ロイドは、手帳に短く書き留めた。
『次の段階:
ソフィア・シュタイナーの動きを、追う』
ペンを置いた。
「面倒くさいな」
いつもの口癖。
しかし、今回の「面倒くさい」は——焦りではなく、覚悟の重みを、含んでいた。
動き出す、次の一歩が——見え始めていた。
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