第12話 退学という罠
「退学は事実。しかし、その上に「悪役のレッテル」が誰かによって置かれた」
―― 退学という罠
季節は深まり、秋が学園に染み始めていた。
並木道の葉は、深い黄色に染まりつつあった。
朝晩の風には、もう冷たさが混じっている。
ロイドの観察対象は、学園全体に広がっていた。
クレア・ブレンハルトの周辺だけでなく、王太子グループ、エミリア・リンデン、教官たちの動き、派閥の流れ。
ヴィクトルの「学内全体の動きを注意深く見ていてくれ」という指示に従い、ロイドの観察記録は二冊目の半ばまで埋まっていた。
数週間が、淡々と過ぎていた。
目立った異変はなく、クレアの悪評だけが、ただただ緩やかに蓄積していく、そんな日々だった。
しかし、その日常が——突然、崩れた。
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その日の夜。
夕食を済ませた後の、共有談話室。
ロイドとニックは、いつもの日課でお茶を飲んでいた。
窓の外で、秋風が並木の葉を揺らしている。
ふと、ニックが茶を飲む手を止めて、声を低くした。
その表情には、いつもの軽口とは違う、わずかに緊張した色があった。
「お前、聞いたか?」
「いや。何かあったか」
ニックは、誰もいない談話室を一瞥してから、それでも声を落とした。
「ヘルガ嬢、退学だってさ」
ロイドが、茶を口に運ぶ手を止めた。
ニックの言葉が、頭の中で意味を結ぶまで、わずかな間があった。
「……ホフマン子爵家の?」
「ああ。入学直後の茶会で、クレア嬢に正面から黙らされた、あの令嬢だ」
ロイドの記憶に、あの茶会の光景が一瞬、蘇った。
扇で顔を隠して呟いたヘルガの嘲笑。クレアの完璧な反撃。
あの後、ヘルガは学園での目立った活動を控えていた。
「退学? 正式に?」
「ああ。今日、家門からの正式な発表があったらしい。理由は——明確には公表されていない」
「家門の事情、というやつか」
「らしい。ただし——」
ニックが、わずかに眉を寄せた。
「噂の方は、もう、決まり切ったような勢いで広まってる。一日かけて、学園中に染み渡った」
「どんな噂だ」
「『クレア嬢に追い詰められて、退学に追い込まれた』」
ロイドは、思わず低い声を漏らした。
「……何を、馬鹿な」
「だろ?」
ニックは、首を振った。
「俺もそう思う。茶会の件、確かに『言い方がキツい』とは言ったよ。でも、あの一件で人を退学に追いやるなんて、飛躍しすぎだ」
「だな」
「だが——皆、もう、その噂を信じ始めてる」
ロイドは、しばらく茶を見つめた。
湯気が、ランプの光の中で、ゆらりと揺れていた。
昨日まで緩やかに蓄積していた評判悪化が——一気に、別の段階へ跳ね上がろうとしていた。
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翌朝。
寮を出て並木道を歩くロイドの耳に、すれ違う女子学生たちの会話が、聞こえてきた。
「あのクレア嬢に追い詰められたんですって」
「茶会の件、覚えてる? あれは確かに……ちょっとひどかったわ」
「人を退学に追いやるなんて、相当よ」
(昨夜の話のとおりだ)
ロイドは、心の中で呟いた。
一日も経たないうちに、噂は形を変えながら、誰の口からも自然に発せられるものになっていた。
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ロイドは、噂の出元を探していた。
しかし、はっきりとした出元は、見えなかった。
あちこちで令嬢たちが似た言葉を口にしているが、誰が最初に言い始めたのか、誰も覚えていない。
まるで霧のように、噂は学園全体を覆っていた。
誰かが意図的に流しているのか、自然発生なのか——その判別すら、できない。
ロイドの冒険者の勘が、再び反応した。
森の中で、罠の気配を感じ取る、あの感覚。
しかし——罠を仕掛けた者の姿は、まだ見えなかった。
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数日後。
噂は、もう、止められない速度で広がっていた。
——クレア嬢に追い詰められて、ヘルガ様は学園を去った
——派閥を私物化して、邪魔者を排除している
——正論で人を黙らせる、冷酷な令嬢
茶会のあとに「ちょっと高慢」と言われていた印象が、今や「人を追い出すほど酷い」に跳ね上がっていた。
退学という事実が、レッテルに重みを加えていた。
「ちょっと言い方がキツい」程度なら、笑い話で済む。
しかし、人が一人、学園を去ったとなれば、話の重さが違う。
しかも、当人不在で、本人の口から真実が明かされることはない。
噂は、ヘルガの不在を「動かぬ証拠」として確定する形で、広がり続けた。
学園全体の空気が、確定した。
クレア・ブレンハルトは——「悪役」になった。
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クレアは、いつも通りだった。
朝、誰よりも早く登校。
昼、ナディア・グリューネンと隣の席で食事。
休み時間、教室で読書。
噂が学園を駆け巡っているにもかかわらず、表情も態度も、何一つ変わらない。
弁解もしない。
反論もしない。
ただ、いつも通り。
しかし——廊下ですれ違う生徒たちの視線は、明らかに変わっていた。
以前は単に距離を置く程度だったのが、今は、明確な敵意を含むような、蔑むような視線になっていた。
ささやかな冷笑、避けるような身体の向き、あからさまな目配せ。
どれも、ヘルガの退学以降に増えた反応だった。
クレアは、それらすべてを受け流していた。
反応せず、ただ前を向いて、自分の道を歩く。
完璧な作法を保ったまま。
メルが、その傍らで、唇を強く噛んでいた。
主の孤立を間近で見ているが、侍女の立場では、何もできない。
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ある日のお茶の席。
ニックは、視線を落としながら、ぽつりと呟いた。
「もう完全に悪者扱いだぞ、クレア嬢」
「だな」
「噂が事実みたいに、皆が口にしてる」
「そうだな……でも、クレア嬢は、何も変わってない」
ロイドは、茶を一口飲んでから、静かに答えた。
「変わってない。前から何一つ、変わっていない」
ニックが顔を上げ、ロイドを見た。
「変わったのは、周りの方だ」
ロイドが続けた。
「俺たちが見てるクレア嬢と、噂が伝えているクレア嬢が、もう完全に違う。森の方が変わったんだ」
「森?」
「比喩だ」
ニックは、首を傾げただけだった。
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その夜。
ロイドは、寮の自室で観察記録を開いていた。
二冊目のページに、新しい項目を書き加える。
『観察期間: 五ヶ月+。
観察結果:
ヘルガ・ホフマン、退学。理由は家門公表の範囲では明確でない。
退学事件をクレア・ブレンハルトの影響として、学園全体に噂が広がっている。
学園全体に「悪役のレッテル」が確定。
クレア・ブレンハルトは、入学初期から行動パターンに変化なし。
所見:
退学は事実。しかし、その上に「悪役のレッテル」が誰かによって置かれた。
誰かが、空気を作り、レッテルを貼った。
ただし、その「誰か」は、まだ特定できていない。
ヘルガ・ホフマンの退学理由そのものについても、要追跡』
ペンを止めた。
紙を、しばらく眺めた。
(観察だけでは——もう、止められない)
ロイドは、心の中で呟いた。
クレアは変わっていない。
だが、レッテルは確定した。
このまま観察を続けても、レッテルはもっと深く色濃く彼女に貼り付くだけだ。
護衛とは名ばかりの依頼。
観察報告だけで、依頼は満たされる。
ヴィクトル様への報告書を書き、ハンスへ渡す。
それだけで、ロイドの仕事は終わる。
冒険者として受けた仕事の範囲は、それで完結する。
しかし——
(このまま観察するだけで、いいのか?)
冒険者の頭が、答えを返してきた。
森が変わったなら、森の方を見る。
誰かが森を変えたなら——
(誰が、森を変えたのか。それを、突き止める必要がある)
観察対象を救うための仕事ではない。
しかし、観察対象が誰かの罠に嵌められ続けるのを、黙って見ているのも違う。
義理堅い、と父によく言われた。
巻き込まれると投げ出せない、と兄たちにもよく揶揄われた。
ロイドの目が、ゆっくりと、変わった。
観察者の目から、冒険者のものへ。
「面倒くさいな」
ロイドは、小さく呟いた。
「だが——もう、放っておけない」
声に出した瞬間、心の奥で、自分の意志が、確定した。
森を変えた者を、見つけ出す。
観察者から、冒険者へ。
自分の意志で踏み込む、次の一歩だった。
これにて第一部は終了となります。
お付き合いいただき、ありがとうございます。
とうとう物語が大きく動き出しました。
これから、どういう流れでプロローグに繋がっていくのか、その流れは第二部で確認してみてください。
そして、明日からは、その第二部となります。
引き続き、第二部もよろしくお願いします。
今後の参考になりますので、面白い・続きが気になると思っていただけたら、
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