第11話 観察の結論
「こいつは、悪人じゃない。だが——誰かが、悪役にしようとしている」
―― 観察の結論
観察開始から、四ヶ月が経とうとしていた。
季節は、盛夏から晩夏へ。
学園の並木道の青葉が、強い日差しの中で深い緑をたたえていた。
ロイドの観察記録は、もう一冊では足りなくなっていた。
二冊目のページに、新しい項目が並ぶ日々が続いていた。
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ある日の夕食時。
ニックが、寮の食堂で食事を取りながら、ロイドに小声で話しかけてきた。
「お前、最近のクレア嬢の評判、聞いてるか?」
「いや、何かあったか」
「最近、評判がどんどん悪くなってる」
ロイドは茶を一口含んでから、ニックを見た。
「どんなふうに?」
「『高慢』はもう序の口だ。最近は『北部の連中を従えて、王都派を見下している』『派閥を私物化している』『侍女に冷たい』とまで言われてる」
「派閥を私物化している? 侍女に冷たい?」
「ああ。聞いたことあるか?」
「いいや全く。そもそも、侍女に冷たくしているところを見たことがない」
「だろうな。俺もない。けど、噂ではそうなっている」
ニックは肩をすくめた。
「……誰が、その噂を流してる?」
「分からん。気づいたら、皆が同じ話を口にしてる。出元が見えない」
ロイドは、その「出元が見えない」という言葉を、頭の中で繰り返した。
それこそが、観察者にとって最も警戒すべき兆候だった。
ロイドは黙って茶を飲み続けた。
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その夜。
ロイドは、寮の自室で観察記録を開いていた。
違和感を、書き出してみる。
『一、クレア・ブレンハルトは変わっていない。
観察期間四ヶ月、行動パターンは入学初期から変化なし。
二、周囲の態度は変わっている。
北部貴族の離反、王都派の警戒、噂の悪化。
三、誰かが、空気を作っている。
偶然の積み重ねでは説明できない速度で、評判が悪化している』
ペンを止めて、紙を眺めた。
観察の結論が、固まりかけていた。
(こいつは、悪人じゃない)
ロイドは、心の中で呟いた。
(こいつは、悪人じゃない。だが——誰かが、悪役にしようとしている)
まだ、誰が、とは言えない。
だが、その「誰か」が動いていることは、確実だった。
ペンを再び持って、最後に一行を書き加えた。
『次の定期連絡で、この違和感を伝える』
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数日後の昼下がり。
ハンスから「本日、ヴィクトル様が王都にお越しになり、面会の手配が整いました」と前触れの伝言があった日だった。
場所は、学園一階の実務用来客室。
ヴィクトル本人の身分は、表向き伏せられていた。
北方辺境伯家の次期当主が学園を正式訪問すれば、それだけで派閥の話題となる。
それを避けるため、ハンスの「事務的な打ち合わせ」の同行者として、地味な旅装で人目を避けて訪れる形を取っていた。
来客室の扉の前に、ハンスが立っていた。
「お疲れ様です、ロイド殿」
「……どうも、ハンスさん」
ハンスが扉を開けた。
中には——
地味な旅装に身を包んだ、金髪の青年が、穏やかに笑っていた。
次期当主としての正装ではない、執事の同行者として通せる程度の風体。
ヴィクトル・シルト・ブレンハルト。
北方辺境伯家の次期当主。
「ロイド、久しいな」
「お久しぶりです、ヴィクトル様」
ロイドは、丁寧に頭を下げた。
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ハンスは茶を用意して、退室した。
来客室には、二人だけが残った。
「で、妹は元気か?」
ヴィクトルが、すぐに身を乗り出した。
「食事は? ちゃんと食べているか? 偏食はないか? 北部の食材を恋しがってはいないか?」
「……報告書通りです」
「睡眠は? 授業中に居眠りしていないか? 寮の部屋は静かか?」
「……報告書通りです」
「友人は? ナディア嬢以外にも、信頼できる相手はいるか? 寂しがってはいないか?」
「……報告書通りです」
「メルとの関係は? メルは妹の気持ちをきちんと理解できているか?」
「……ヴィクトル様」
ロイドが、わずかに声を強めた。
ヴィクトルが、こちらを見る。
「で、本当はなんで来たんですか?」
ヴィクトルが、口元だけで笑った。
その笑顔の奥で、シスコンの仮面が、わずかに剥がれた。
「……お前は、本当に、容赦がないな」
「あなたが、容赦のない依頼を続けるから、こちらも容赦がなくなるんですよ」
「違いない」
ヴィクトルが、姿勢を正した。
目が、鋭くなった。
「で、ロイド。書面では伝わらない、何か気になることはあるか?」
来た。
ロイドは、深く息を吸ってから、口を開いた。
「……少し、気になることがあります」
「ほう」
「妹君は変わっていない。観察期間四ヶ月、行動パターンに変化はありません。しかし——周囲の態度が、変わってきています」
「具体的には」
「北部貴族の離反、王都派の警戒、根拠のない噂の悪化。偶然の積み重ねでは説明できない速度で、評判が悪化しています」
ヴィクトルが、わずかに目を細めた。
「……それは、興味深いな」
「興味深い、ですか」
「ああ。誰かが、何かを作っている、という感覚か」
「……はい」
「お前の冒険者の勘か?」
「観察の結論です」
ヴィクトルが、口元だけで笑った。
その笑顔の奥に、別の表情が見えた気がした。
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「分かった」
ヴィクトルが、姿勢を正した。
「お前の観察を、もう少し続けてくれ。報酬も継続する」
「了解しました」
「ただ、一つ、伝えておく」
ヴィクトルが、わずかに声を低くした。
「最近、王族の周りが、少し騒がしい」
「……王族?」
(——中庭で目で追っていた視線。並木道で寄り添うように歩いていた距離)
ロイドの記憶が、これまで観察してきた光景と、ヴィクトルの言葉を、わずかに結びつけ始めた。
アルベルト殿下とエミリア・リンデン。
あの異様な親密さは、単に「目で追う」というだけのものではなかった。
「ああ。具体的なことは、私の口からは言えん。だが——お前の観察対象の周辺だけでなく、学内全体の動きを、注意深く見ていてくれ」
(——あれのことなのか?)
「学内全体、ですか」
「そうだ」
ヴィクトルが頷いた。
「お前の目は、特殊だ。妹の周囲を観察する目で、もう少し広く、学内を見渡してくれ」
ロイドは、しばらく沈黙した。
依頼の範囲が、わずかに広がった。
観察対象が、クレアだけではなくなった瞬間だった。
(具体的なことは、私の口からは言えん——か)
ヴィクトルが、わざわざ自分を呼び寄せて、口頭でこの話を伝えた意味。
書面では伝わらないニュアンスを、ロイドの目に直接届けたかった、ということだった。
「……了解しました」
「頼むぞ。お前の目だけが頼りだ」
ヴィクトルが、再び穏やかな笑顔に戻った。
しかし、その笑顔は、いつもの「シスコン全開」のそれとは、わずかに違っていた。
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面会が終わった。
ロイドが来客室を出ると、ハンスが背後の扉を閉めた。
ロイドは、ふと立ち止まり、ハンスに小声で言った。
「ハンスさん」
「はい」
「ヴィクトル様の口調が、いつもと少し違いました」
「……気づきましたか」
「はい。なにかありましたか?」
「具体的なことは、私にもまだ伝わっていません。ただ、ヴィクトル様が動かれるときは、常に、それなりの理由があります」
「……分かりました」
「お気をつけて、ロイド殿」
ハンスが、丁寧に頭を下げた。
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次の日から、ロイドの観察対象が、わずかに広がっていた。
クレアの周囲だけでなく、王太子グループ、エミリア・リンデン、教官たちの動き、学園全体の空気。
ある日の午後、並木道で。
ロイドは、ふとクレアの方角を見た。
クレアが、レオンとすれ違っていた。
以前であれば、レオンはクレアに声をかけ、「仲裁」のフリで穏やかに話していた。
しかし、今日は——
クレアは、立ち止まり、頭を下げた。
レオンは、わずかに会釈をしただけで、通り過ぎた。
そして、それ以上、振り返らなかった。
(婚約者なのに、もう、声もかけなくなったか)
ロイドは、心の中で呟いた。
以前の「優しい仲裁」は、もう、なかった。
ただ、距離だけが、確定したように、固まっていた。
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その夜。
ロイドは、ハンスへの定期報告を文書化していた。
『観察期間: 四ヶ月+。
観察結果:
クレア・ブレンハルトの行動パターンに変化なし。
しかし、周囲の評判悪化が加速している。
婚約者レオンが以前より距離を取り始めた。
学園全体に、不穏な空気が広がりつつある。
所見:
誰かが、空気を作っている。クレア本人ではない。
その誰かは、まだ特定できていない』
書き終えて、紙を封筒に入れた。
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窓の外で、晩夏の風が並木の葉を揺らしていた。
「本当に面倒くさくなってきたな」
ロイドは、小さく呟いた。
冒険者の勘が、また反応していた。
森の中で、罠の気配を感じ取った時の、あの感覚。
それは、学内の、王族の周りの、何か。
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