32 初恋とのお別れ
第二章終了です!
「教会都市の教会への寄付でしたらこちらのカードに振り込んでいただければ送金できます」
教皇の背後の上級精霊様が王太子ブライアンに申し出ると、カカシはするりとブライアンの両手から手を引き抜き、シーナの後方に下がった。
王太子ブライアンは一瞬でもカカシからそばから離れたくないのか上級精霊様の差し出すカードを検品しようとする護衛の手を払いのけてサッサと決済を済ませてしまった。
三人の護衛のこめかみに青筋が立っているのも気にすることなく王太子ブライアンはカカシの方にフラフラと吸い寄せられた。
見かねたトニーが声をかけた。
「殿下、私共は入浴の最中でしたので無作法にも水着のままでございます。急ぎのお話がまとまったところですから着替えのため我々は御前を下がらせていただきたく存じます」
入浴中?と首を傾げた王太子ブライアンは僕達の奥に五色の湯と足湯の浴槽を見つけると、上半身裸のトニーとゆったりとした着衣のカカシをチラッと見た。王太子ブライアンはキラキラの王族スマイルのままだったが、瞳に憤怒の炎が燃え滾っていた。
……貴様!カカシ様と混浴したのか!と言いたい王太子ブライアンの心の声を簡単に推測できる。
『すべての被災地を浄化し彷徨える魂達に天界の門への道筋を示したご褒美に神々がこの地に湧かせてくださった温泉です。我々がここで楽しむことを神々がお望みなのです。尚カカシ様はお一人で足湯に浸かっておられたので我々は同じ湯に浸かっておりません。……』
トニーは腹話術のように口を開けずに小声で囁き、声を風魔法で王太子ブライアンにのみ届けた。
僕に聞こえたのは王太子ブライアンの憤怒に燃える眼差しにも微動だにせずにいるトニーの喉がかすかに動いたので、興味本位で聴力強化して聞き取ったからだ。
『……死霊系魔獣討伐にかかわったすべての人々のご褒美として癒しの湯を賜ったのです。切り傷回復、疲労軽減、美肌効果……』
「死霊系魔獣討伐隊はこの湯で回復してよいのか!」
王太子ブライアンの殺気だった眼差しが、この上なく晴れやかな輝きに変わった。
「伯父上も長きにわたる遠征の疲れをこの湯で軽減なさってはいかがでしょうか?」
僕は無邪気な子どもの笑顔を浮かべ、薬効あらたかな温泉に興味を示した王太子ブライアンの手を取って温泉の方に引っ張った。
「実は、私も気になっていたのですよ。神事の後に湧くご利益のある温泉の効果は、この地が完全に回復する頃には効果が薄れてしまうのです。湧き出たその日に入浴できるなんて、こういう場面に立ち会うことが多い聖職者でも一生に一度あるかないかです」
ホクホク笑顔の教皇はいつの間にか手に持っていた上級精霊様から水着とタオルを受けった。
教会のトップがわざわざ現場まで出向いてくれたのはご利益のお相伴にあずかりたかったからなのかも知れない。
シーナはポイポイっとトニーに男性用水着の試作品を放り投げると、カカシとニーナを連れて魔術具の部屋に引っ込んだ。
切ない瞳でカカシの行方を追っていた王太子ブライアンはがっくりと肩を落とした。
もしかして、カカシとの混浴を期待していたのかな?
「私の着替えはこちらのテントを借りてもいいかな?」
教皇が僕達のテントを指さすと僕とトニーは頷いた。
「伯父上と護衛騎士で四人なのに水着が三枚しかないね。ああ、パレオの水着が一枚あるから大丈夫だね」
「アルフレッド殿下。我々は王太子殿下の護衛ですので、湯に浸かるわけにはいきません」
「神々のご褒美を拒否するなんてできないよ。部隊を引き上げる前に全騎士たちを入浴させるのだから、さっさと入らないと効率が悪いですよね。伯父上」
本音は、着替えが終わって魔術具の部屋から出たカカシに突進しようとするだろう王太子ブライアンを三人の護衛が湯の中に沈めてほしい。
……無理だよ。
つぶらな瞳でノンが突っ込んだ。
うん。わかっている。
「先にお風呂をいただくよ」
教皇の水着はシーツを被っているような上下つなぎの沐浴着だった。
驚くことに、上級精霊様も沐浴着に着替えていた!引き締まった肉体がカッコいい!
「僕も、もう一回入ろうかな。伯父上。着替えましょう。みんな行くよ!」
「私が殿下のおそばにおります」
渋る護衛達は魔法陣が隠れているトニーの入れ墨がほんのりと光ると、おお!活火山のトニー殿!と口から漏れたが、意向を窺うように王太子ブライアンを見た。
「すべての敵を焼き尽くすトニーがいるから問題ない」
鶴の一声に護衛達の頬が上がった。
教皇と上級精霊様と一緒に僕とノンが疲労回復の湯に浸かっていると、ブーメランパンツにパレオを巻いた王太子ブライアンとステテコ水着の護衛達が合流した。
王太子ブライアンはブーメランパンツを気に入ったのか見せつけるようにパレオをずらして巻いている。
トニーが王太子ブライアン一行に入浴前に清掃魔法で体を清めて入るように指導していると、着替えを終えたカカシ達が魔術具の部屋から出てきた。
いつものアオザイを着たカカシの胸はシーナみたいにぺったんこだった。
あのアオザイには胸を小さく見せる魔法陣でも仕込まれているのだろうか?
おっぱいの大きさなど王太子ブライアンには関係なかったようでパレオをぱらりと解いた王太子ブライアンがカカシの方に吸い寄せられそうなると、いい湯加減ですよ、と教皇が声をかけた。
ナイスアシスト!
正気に戻った王太子ブライアンが疲労回復の湯に浸かると、ハァ、といい声が出た。
「いやぁ。みっともないところをお見せしました。カカシ様が初恋の方に似ているので、つい見惚れてしまいました」
王太子ブライアンは教皇に言い訳をした。
僕の脳内に僕に似た少年が家庭教師と思われるプラチナブロンドに緑の瞳の女性をうっとりと眺める映像が浮かんだ。
洗礼式前のお行儀の先生に憧れる王子様か……。熟女好き、というより初恋人の面影を求めて自分より年上の女性に見惚れてしまうのかな。
よかった。特殊性癖の伯父じゃなくって。
額の汗を拭っている掌がほんのりと二回光った。僕の後ろ盾はヘンタイじゃないらしい。
シーナとカカシとニーナは昼食の支度をしているのか、いつもより豪華な椅子やテーブルを土魔法で作っている。
王太子ブライアンは死霊系魔獣の討伐方法を教皇と話しているが、視線は時々カカシに向かう。
護衛たちは、困惑気味するかのように眉を寄せている。
王太子ブライアンは見ているだけ、いや、隙あれば触れようとするが、カカシを口説く素振りはなかった。そんなに眉を顰めるような事だろうか?
いや、視線だけでもセクハラかな?
僕の脳内で、テーブルの上にお弁当箱を並べるカカシとシーナが、腰の曲がったよぼよぼな頃のカカシと似非占い師の姿のシーナの映像になった。
これは何だろう?
僕はハッとして三人の護衛を見た。
もしかして、あの映像は精霊魔法で姿を変えているカカシとシーナの姿で、三人の護衛たちにはカカシとシーナがこう見えているのかもしれない!
掌がほんのりと二回光ると、僕は腹筋の身体強化が間に合わず、ブホっと吹き出してしまった。同じタイミングで犬かきをしていたノンが腹筋を揺らしている。ノンもあの映像を見たのだろう。
「のぼせたのかい?」
引きつりそうになる腹筋を抑えながら、一見溺れているように見えるノンを救助した。
湯船から上がった僕とノンをトニーが風魔法で乾かした。
「ずいぶんと日常的に魔法を使うのだな」
感心したように声を上げた王太子ブライアンの言葉に護衛達は頷いた。
「ええ。緑の一族のシーナと共に旅をするようになってから、危険回避能力が上がったので魔力の節約を気にせず、魔法を日常的に使用できるようになりました」
効率的な魔力循環で体から漏れ出る魔力を抑えたから魔力に余裕が出たのだと、後ろ盾になった王太子ブライアンにも教えない事になっていた。
ラウンドール王国王宮で王太子ブライアンの実子の邪魔になる、と判断されたら、僕は王太子ブライアンと決別することになるからだ。
「着替えてきます」
僕とノンはテントにさがると、声を出さずに思う存分笑った。
だって、いくら年上好きといえど、王太子ブライアンがよぼよぼのお婆さんに一目惚れしたように護衛達に見えていたなら、こめかみに青筋を立てて眉間にしわを寄せるだろう。
ヒーヒー笑いながら着替えを済ませてカカシ達に合流すると、僕と目が合ったカカシとシーナの目元が笑っていた。
状況を理解していながら真顔で教会への寄付の話をまとめたカカシとシーナの面の皮の厚さが羨ましい。
「王太子殿下一行と合流することを予想して、たくさんお弁当を仕込んだの?」
「いや、ここでアルとニーナはお別れだからお別れ会にしようと考えたんじゃよ」
カカシの返答に寂しそうに瞳を潤ませたニーナが頷いた。
「当初の予定では、ラウンドール王国王太子自らが乗り込んでくる可能性は結構低かったんだけど、被災地一帯の浄化に王太子ブライアンに懐いている精霊達も参加したことで、若見えになったカカシ様の存在が王太子の精霊達にバレちゃったようね」
「王太子の癖に精霊達の干渉にもろに受けて、馬にまで身体強化の魔法をかけて儂を探すとは、私の精霊も予測しなかったんじゃ」
『王太子ブライアンは人格者だ、と先入観があったため、見逃していました』
カカシの中級精霊の言い訳がましい精霊言語が脳内で聞こえた。
「次期国王が緑の一族の族長と邂逅する事なんて滅多にないから全力を尽くして辿り着いた、と考えたら将来の名君なんだけどね」
フフフ、とシーナは笑いながら言った。
「見方が違うと凄い人物に見えますね」
護衛たちの一件を知らないだろうニーナの言葉が壺に入った僕とノンは、今度は笑い声を抑えることができずゲラゲラ笑った。
「ずいぶん楽しそうだね」
王太子ブライアンが湯船から上がったのか護衛の必要がなくなったトニーが笑い転げる僕とノンに声をかけた。
「今ね、グフフ。シーナとカカシ様は精霊魔法で中年男性占い師とよぼよぼな老婆に見えるようになっているんだ。アハハ……」
「親しい人や、精霊達の干渉を受けている人には効果がない魔法だから、教皇猊下や王太子ブライアン殿下には素の私達が見えるけれど、三人の護衛達には女装のおっさんと皺皺の老婆に見えるんだ」
笑って説明ができなくなった僕の言葉を引き継いだシーナの説明に、トニーとニーナが噴き出した。
「ご馳走を前にずいぶん楽しそうですね」
「教皇猊下もお召し上がりになりませんか?」
「美味しそうですが、正午の礼拝を欠席するわけにはいかないのです」
「でしたら、こちらをお持ち帰りください」
カカシとシーナは教皇にお弁当箱を差し出した。
「正午の礼拝の祭壇にお供えさせていただきます」
教皇がお弁当を受取ると上級精霊様と教皇は消えてしまった。
「転移魔法をはたで見ると突然現れたり消えたりするんだね」
「転移の魔法陣を使用すると仰々しく光るが、精霊魔法は亜空間を経由するせいか、はたから見たら光っていないんじゃ」
離宮で僕とトニーが僕の寝室から中庭へ転移した時は魔法陣が派手に光っていたことを思い出した。
「ずいぶんと楽しそうな声がしていましたが、どうされたのですか?」
着替えを終えた王太子ブライアンがカカシに尋ねた。
「教皇猊下が大聖堂島に帰還なさる前に歓談をしただけです。猊下は私が聖女時代に大変お世話になった方です」
シーナが、元聖女、と言うと三人の護衛たちの鼻の穴が膨らんだ。
おっさん聖女って結構なパワーワードなのに吹き出さないなんてエライ!
「皆さんを王城にご招待したいのですが、王都までご一緒願えませんか?」
「シーナがアルの護衛として付き添う。儂は族長としての仕事があるから、この昼食を兼ねたお別れ会でおしまいじゃ」
「いろいろありがとうございました。一族の皆さんによろしくお伝えください。ニーナ。一緒に鬼ごっこをしたり魔力循環の練習をしたりしたの楽しかったよ。一生忘れない思い出になった」
王太子ブライアンが管を巻く隙を与えないように別れの言葉を前倒しで口にすると、儚い初恋!尊し!と言うかのようなキラキラした眼差しを王太子ブライアンは僕とニーナに向けた。
カカシにしつこく絡まなかった事にホッとしたように護衛達は頬を緩めた。
その後のお別れ会で、被災地に緑の一族は来ないのか?と王太子ブライアンはカカシに食い下がり、米の栽培に適した南方地域に行きたい、とそっけなく断られていた。
お握りをたくさん作って良かったな。
昼食を終えて片付けると、いよいよカカシとニーナとお別れの時間になった。
ニーナが気丈に涙を堪えているのに、みっともなくカカシに言い寄れない王太子ブライアンは王族スマイルでカカシとニーナに手を振った。
転移魔法を披露するカカシは仰々しく両手を天高く上げると、さようなら、といい終わる前にニーナと共に姿を消した。
王太子ブライアンと三人の護衛は魔法陣なしで転移したカカシの転移魔法について興奮してシーナに尋ねたが、シーナは族長のなさる事はわかりません、とシーナはそっけなく答えた。
王太子ブライアンは僕の横にススっと近づくと口を開けずに囁いた言葉を風魔法で僕の耳元に声を届けた。
『カカシ様にメロメロになった事は、妻には内緒にしておいてくれないかい』
伯父上は恐妻家だったんですか!
僕が無言で頷くと王太子ブライアンは安堵したように肩を落とした。
この人が当面、僕の保護者なんだよなぁ。
ラウンドール王国でも波瀾万丈そうだから、頼りにしてますよ、伯父上!
次回は閑話になります。




