12
朧げな意識の中でこの国の民衆たちが声を上げていた。夜の中に轟音が響く。
「賢王フェリクスに逆らった者には死を! 王女アイリスには死を!」
私は十字架に張り付けられていた。フェリクス兄様の邪魔者でしかない私は処刑される。別に王様になりたいという大願を抱いていたわけではない。ただ平穏に生きていければそれでよかったのに、未熟な私はフェリクス兄様に打ち勝てずこうして終わろうとしていた。悪魔と契約し、その力に縋ろうとしても悪魔は私の呼び掛けに応じなかった。唯一望みがあるとすれば私に力がなかったばかりに被害が最小限で済むことだ。私が派閥を率いていれば私に優しくしてくれた者まで処刑に巻き込まれていただろう。
だからこの時ばかりは、私は無力な自分に感謝した。
あとは私の死によって王国は安定を取り戻す。フェリクス兄様がどういった政策を取るかは分からなかったが、優秀な彼ならば父亡き王国を栄えさせてくれるだろう。
この場にいる人間たちが私を殺せ、と叫んでいる。私の十八歳の誕生日が過ぎたことなどここにいる者達は誰も気付いていないだろう。誰にも必要とされていない私らしい最期の時かもしれない。
首筋に刃を当てられる。少しでも動いたら首が斬られてしまう状況に私は恐ろしさで身が凍り付いていた。それでも抗える術などないのだから。
疫病神である私の、誰からも必要とされない人生の終わりを受け入れよう。覚悟を決めて目を閉じると頬を一滴の涙が流れ落ちた。同時に私は誰にも聞こえないような小さな声で呟いた。覚悟は決めていたはずなのに、最期の最後で誰かに縋ってしまう。
「――――誰か……助けて……」
「おう、いいぜ」
不意に聞こえた声、聞き覚えのない男性の声に私は思わず目を開けてしまう。いつの間にか十字架に吊るされていた私の枷が外れていた。というより私を吊るしていた十字架自体が破壊されている。何が起きたのか全く理解ができなかった。
私の目の前には見たこともない男性が立っている。背丈は高く、年齢は二十代半ばくらいだろうか? 髪の色は黒色で顔立ちは整っていて精悍な顔をしている男性だった。彼は胸板の厚い筋肉質な体つきをしており、彼の腰に差している剣は既に鞘から引き抜かれていた。彼が手にしている剣の刀身には血が付着しており、先程まで私を殺そうとしていた処刑人らしき男達が彼によって斬り伏せられていた。瞬く間に私を取り囲んでいた者たちが全員倒れてしまっている。
あまりの出来事に呆然としているのは私だけではない、彼の登場によって私の処刑を望んでいた民衆たちも静まり返っている。
「よし、さっさとここからトンズラするぞ、アイリス」
「えっ?」
彼は私の名前をいきなり口にすると私の身体を抱えて走り出した。突然の状況の変化についていけずに戸惑う私だったが、そんなこと彼はお構いなしといった様子だ。
「どけよ! 道をあけろ!」
彼は叫びながら道を切り開いていく。処刑台から城の中へ。この人は私の事を助けようとしているのだろうか。どうして私なんかの為にここまでしてくれるんだろう?
こんな風に男の人に抱えられるなんて初めての経験だった。でも不思議と嫌だと感じない。話したこともない男の人の筈なのに私は自然と体を委ねてしまっている。
しかし私はそこで我に返った。私の死は国で決められたルール。それに背くということは王国を敵に回すということ。そうなれば私だけでなく、彼まで巻き込んでしまう。
「もう、いいですから! 私を助けたら貴方まで死んでしまいます!」
「心配すんなって。俺を信じろ」
何の根拠もない言葉だというのに何故か安心感のある言葉に私は二の句が継げなくなっていた。彼は不敵な笑みを張り付けて敵だらけの城の中を駆け巡る。
処刑台から城の外に出るためには城の中を経由してエントランスに出なければならない。事前に計画を立てていたのか、彼の足取りははっきりと城の外へと向かっていた。
♦♦♦
俺が愛した"アイリス"と別れて、時を戻した。時を戻したら俺が持っていた持ち物は引き継げないはずだったが、"アイリス"からもらった銀の短剣を俺は何故か持っていた。今の俺はその短剣を持ち得ないはずなのに、それだけは俺の懐に忍ばせたままそこに在る。それは俺と"アイリス"の日々が嘘偽りでない何よりの証拠。"アイリス"がどこかで見守ってくれている気がして嫌でも気が引き締まるってもんだ。
そして迎えたアイリスの誕生日。いざという時に備えてアイリスの使用人だった少女にも話はつけてある。俺の覚悟も決まって、準備は整った。
十字架に張り付けられたアイリスの姿を見る。悪魔と契約して得た力から俺はアイリスの記憶を覗き見た。自国の王女が兄貴に殺されようとしているのにその死をヘラヘラ笑って望む王国の民衆にも、それに従っている王国の騎士たちにも反吐が出る。時を戻しても何も変わらない現実に残酷さを感じる。
"アイリス"、お前はこんなに悲しい世界で戦い続けてきたんだな。
「――――誰か……助けて……」
か細い声が耳に届く。それが誰の声なのかはすぐに分かった。ずっと傍で聞いてきたアイリスのものだ。俺は迷わず飛び出した。
彼女は俺が愛した人ではない。俺が愛した彼女はもういない。俺はその線引きをはっきりとつけていた。それでも俺はアイリスを助けたい。今の俺とアイリスは赤の他人だ。けれど悪魔の力を使って回帰した時にアイリスを助けるって決めた。それが俺の最後の在り方だとはっきりと決意した。
「おう、いいぜ」
助けを求める彼女の声に応える。俺の返事を聞いたアイリスが目を開けた。彼女は俺が知っている"アイリス"よりも遥かに純粋そうで。そのギャップに思わず笑いかける。
あいつは人生経験が今のアイリスより豊かだった分、少し捻くれたところがあったからな。まぁ、そこがいいんだが。
アイリスを助けるため、俺は敵地へと飛び込んだ。邪魔する奴らは容赦なく斬り伏せていく。
あいつを拘束する十字架を破壊して、俺はアイリスを抱きかかえる。呆気にとられた様子のアイリスだったが、今は事情を話している時間はない。
「よし、さっさとここからトンズラするぞ、アイリス」
「えっ?」
戸惑うアイリスの返答を待たずに、俺はアイリスを抱えたまま城の外を目指して走った。目指す場所は城門、そこまで行けば何とかなるはずだ。
しかし、それを黙って見逃してくれるほど相手さんは甘くなかったらしい。前方からは大勢の騎士たちが押し寄せてくる。
「どけよ! 道をあけろ!」
叫びながら斬りかかってくる騎士たちを薙ぎ払っていく。そいつらには目もくれずに俺は先へ進む。騎士たちを退けながら走って城の中へ、そして"アイリス"の記憶で見た城の中を疾走する。
「もう、いいですから! 私を助けたら貴方まで死んでしまいます!」
俺の腕の中にいるアイリスが叫ぶ。確かにこのままだと俺は確実に死ぬだろう。だけどな、アイリス。これは俺の最後の意地なんだ。あいつを失って、助けられなかった俺の最後の意地。
不思議だよな。姿も形もあいつと同じなのに、今腕の中にいるアイリスを見ても俺は彼女に全く惹かれない。既に心に決めた人がいるからだろうか。だから今からアイリスに優しい言葉をかけても浮気とかじゃねえからな、"アイリス"。
「心配すんなって。俺を信じろ」
俺はアイリスに微笑みかけて、そのまま城の外を目指す。後方からは俺を追いかける足音が聞こえてきた。やがてその足音を振り切ると城のエントランスに辿り着く。
そこには一人の騎士が立っていた。その騎士の名前はバルデッド・アークゼオス。俺と相対するのは王国最強の騎士であり、シンナイト。
「アイリス王女を単身で助けるその意気や良し。しかし俺がここにいる限り、お前たちが死ぬ運命は覆らん」
「そりゃどうかな。やってみなきゃわからねぇだろ?」
アイリスを腕から降ろして、俺はバルデッドへと剣を構えた。




