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そして、現れる。闇の中から『コワイモノ』が。
俺は乾いた瞳で現れたソレを鋭く睨みつけた。
「お前がアイリスの『敵』か?」
「ふふっ、心外ですねぇ。これは正当なる契約の結果ですよ」
目の前に現れた黒い影はそう言って嗤った。
肌感で理解した。こいつはアイリスの命を貪りにきた何かだ。普通の存在ではない。黒山羊のような頭部を持つ人型の何か。俺が今まで見てきた中で最悪の部類に入るだろう化物だ。俺の全身全霊を尽くして目の前の化け物に抗えば何とかなるかもしれない。勝算は五分五分といったところか。目の前の化け物は普通の人間では手の負えない怪物だ。それでも俺ならば対抗策はある。
目の前の化け物は薄気味悪い笑みを浮かべて答えた。
「これはアイリス様と私の契約。その契約に則って私はアイリス様の魂を回収しに参りました。部外者である貴方に邪魔される謂れはないはずですが」
「残念だが、アイリスは俺の大切な人なんだ。傍観なんかできねぇな」
「ほう……面白いですね。悪魔であるこの私を相手にして人間にそこまで強気な発言ができるとは」
やっぱりこいつの正体は悪魔か。契約とか言っていたがとんでもない奴とアイリスは契約を交わしてしまったようだな。
「上から人を見降ろしてる気になってるならやめた方がいいぜ。こっちは"祝詞"を使ってお前の相手をしてやってもいいんだ」
俺たちがお互いに全力で戦えば目の前の悪魔も俺もただでは済まないだろう。だが、このままこいつを放置すればアイリスの魂が連れていかれるのは目に見えている。そんなことを許すわけにはいかない。悪魔に連れていかれた魂は永劫の苦しみの中、地獄を彷徨うとされている。アイリスが消えてまでそんな責め苦を味合わされるのを俺は黙って見過ごしていられない。それが彼女と悪魔の元で交わされた正当な契約によるものであっても、俺は許せない。絶対に止めて見せる。
そう思ったところで、悪魔は愉快そうに笑い出した。
「ふふ。私の契約のルールを超えてアイリス様が一日長く永らえたのも驚きましたが、貴方は本当に規格外な方ですね、アルヴァース様」
目の前の悪魔は俺の名前と正体くらいは流石に知っているようだな。俺の殺気に悪魔は冷や汗を流しながらも余裕までは崩さない。
「それで? どうするんだ。お前はここで大人しく尻尾巻いて逃げてくれるのか?」
俺が挑発するようにそう言うと、悪魔は肩を震わせながら言った。
「ふふふっ……! そうはいきません。しかし貴方とこのまま戦うのはこちらも失うものが多すぎる。ですからアルヴァース様、私と契約をいたしませんか?」
「契約だ?」
俺が聞き返すと悪魔は不敵に笑って見せた。
「ええ、アイリス様の魂を見逃す代わりにアルヴァース様、貴方が代わりに私と契約するのです。貴方ほどの魂であればアイリス様の魂を放棄してでも価値がある。貴方も私と戦うのは得策ではないと思っているでしょう?」
確かに悪魔の言う通りだ。俺もこいつと戦って無事で済むとは思えない。俺だけならばまだいいが、俺が負けてしまえばアイリスまで悪魔に魂を弄ばれる。俺があと十年若かったら自信のままに悪魔へと挑んでいただろうが、それは愚策だ。
悪魔との契約か……
あまり気乗りしない話だが、背に腹は代えられない。俺は悪魔の提案を受け入れることにした。悪魔契約は死後の地獄の苦しみと引き換えに超常の力を得るという契約。それを知っていて迷わずに俺は突き進む。アイリスが傍にいたら叫んででも俺を止めただろうな。
「いいだろう。その契約結んでやる。お前がアイリスの魂を見逃す代わりに」
「アルヴァース様は私と契約を結び、その死後に魂を私へと引き渡す」
そしてお互いに右手を差し出し合い、その手を取り合う。そして、その瞬間に俺の右手首に数字が現れた。これで契約成立ということらしい。
その瞬間、ズキリと俺の頭が痛む。
流れ込んでくるのはアイリスの記憶。この力の使い方とアイリスが王女として生きてきた絶望と後悔の日々が俺の頭の中にリフレインする。繰り返される日々、その絶望が悪魔の力を通して伝わってくる。
「そうか、アイリス。お前は……」
アイリスが何を考えていたのか。彼女の本当の願い。それを理解した。彼女は俺と出会う前からずっと一人で戦い続けてきたんだな。俺はその孤独を癒す手助けができただろうか。
悪魔との契約で俺の右手首に『6』という数字が刻まれた。
そして俺に今、『やり直す』力が与えられた。それは悪魔による超常の力。悪魔は歪に微笑んで俺を見ている。
「俺がここで死ねばアイリスも蘇る。回帰のルールも俺を主軸に回り始め、アイリスが十八歳で死ぬという運命も書き換わる」
それでも俺と時を重ねたあの"アイリス"は二度と戻ってこない。時の回転を俺が戻しても蘇るアイリスは俺を知らない、俺が全く知らないアイリスだろう。
「その通りでございます、アルヴァース様」
恭しく俺に頭を垂れる悪魔を疎ましく思いながらも俺は決断を下す。
俺に迷いはない。一度知ってしまえばもう目を背けられない。それに十字架に張り付けられたあいつは最期に助けを求めていた。
俺は腰に携えている大剣を自分の首筋に当てる。
「その代わり、一度時の回帰を始めてしまえば貴方の死は貴方が最初に亡くなった時で必ず固定されます。今ここで貴方が死ねば貴方は同じ時間、同じ日に繰り返し死ぬ定めとなる」
「良いじゃねえか、そういうの。好きな奴の誕生日に確実に死ぬってわけだろ? 上等じゃねえか。正確には一日オーバーしてるけどよ」
俺は不敵な笑みを浮かべて見せる。悪魔は一瞬呆気に取られたような表情を見せたが、すぐにまた口角を上げた。
「赤ん坊からやり直す気は俺にはねぇ。戻るのはほんの少し前でいい」
「いくら貴方様といえど戻す時間の指定などできるはずが――――」
「うるせぇ。俺を常人の物差しで測ろうとするな」
俺は悪魔の言葉を無視して自分の首を大剣で一閃し、切り落とす。痛みを感じる間もなく、俺の意識は暗転し、再び生まれ変わる。
待っていろ、アイリス。これから俺は最後の意地を貫き通しに行こう。




