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 戦って、命を救って、命を奪う。その繰り返しが俺の人生だった。戦いが一区切りついて、俺は自分が気に入っていた王国にある森の奥地で過ごしていた。そうして日々を過ごす中で出会ったのがアイリスという女だった。ちょっと生意気でそれでも可愛げのある特別に俺の眼を惹く女。彼女との出会いは唐突だったが、別れも唐突になるところだった。彼女は本当に俺がちょっと目を離したら、いつの間にかすぐ消えてしまいそうになる。


 だから目が離せない。いやそれは言い訳か。本当に目が離せない理由なんて最初から決まっていた。


 アイリスがベッドから立ち上がって俺に抱き着いてくる。目に涙を溜めて、抱き着いてきた。


「良かったじゃねえか、立ち上がれるくらいに元気になって」

「良くない! よくないぞ、この馬鹿!」


 俺が使う力は『命』の力。俺の命をアイリスに移して永らえさせた。本当は死ぬはずだったアイリスの運命を捻じ曲げた。それでも結果までは覆らない。俺の命で動くアイリスの命はコップを逆さまにした水のように外へと流れ出ている。アイリスに命を移した俺も、俺に命を移されたアイリスもアイリスの命が一日しか持たないことを理解していた。俺がこれから生きるはずだった十年の対価で得られた彼女の時間は一日だけ。


 その時間を少ないと思うか? 自分の十年の対価が大切な人の一日だというのは残酷なことだろうか?


 俺はアイリスの事を何も知らない。誰かに狙われているということしか知らなかった。きっと身分の高い女なんだろうということくらいは推察していたが、こんな風に彼女の命がいきなり消えようとするなんて思いもしなかった。力が必要なら俺が盾になってやれる。けれど呪いにかかったように命を奪われたら。


 彼女の死を防ぐ手立てがあるのなら俺の全てを捧げてもいいと思った。俺の二十年を捧げてアイリスが二日生きられるのならそうしよう。俺の三十年を捧げてアイリスが三日生きられるならきっとそうするだろう。


「何で良くないんだ?」

「お前が、お前の命が! お前は馬鹿だ! 私はすぐ消えてしまうというのに、お前は!」


 泣きながらアイリスは俺の胸に顔を押し付ける。そんな彼女を抱きしめ返すと、彼女は更に強くしがみついてきて嗚咽交じりの声を上げる。その柔らかい感触に俺はニヤニヤと笑っていた。


「何だ、アル。その顔は」

「いやお前の身体の感触が柔らかくて気持ち良いなって思ってな」

「……この馬鹿」


 力ない彼女の抗議の言葉。それに笑い声を上げながら俺は自分の胸の中で泣くアイリスを見つめていた。こうしてアイリスが傍にいる何気ない時間が俺にとって大切になっていた。合理性など何もなく、俺の感情がアイリスを求めていた。俺がそうしたかったから本能のままにアイリスを助けていたのだ。


「私がお前に助けられても生きていられるのは良くて一日。それなのにお前は私に途方もない時間を、私へ」


 涙を流すアイリスが震える声で言葉を紡ぐ。俺はお前にそんな顔をしてほしかったわけじゃなかったけれど。


「時間って大切なことか?」

「え?」


 俺の言葉にアイリスが少し戸惑ったような表情を浮かべた。その拍子に彼女の涙が止まる。それを拭いてやりながら俺は言葉を続ける。


 結局のところ俺がアイリスの為に費やした時間の重みはアイリスには分からない。俺にとってはそれが何より価値のあることだったと言葉で刻む必要がある。


「時間ってのは長ければ長いほど良いわけじゃねえって俺は思うんだ。この先お前が俺の傍にいない十年より、俺にとってはお前との、この一日の方が大切だった」


 そう言ってもう一度アイリスを抱き寄せる。アイリスは俺の言葉に思い切り目を見開いた後、ただされるがままになっていた。


 ああ、そうだ。俺はこいつの事が好きなんだ。だから助けたかった。ずっと気付いていたが、気付こうとしなかった俺の感情に今になって俺は素直になった。今更過ぎる自覚に俺は苦笑しながらアイリスを抱きしめ続ける。アイリスは俺の腕の中でもぞもぞと動いて、それから俺の顔を見上げた。そして照れたように微笑んで、また泣きながらアイリスは俺を見る。


「……私は疫病神だぞ」


 絞り出すようにして言ったアイリスに俺は小さく噴き出した。そういえば最初に出会った頃もアイリスは俺に自分でそう言っていたな。


「でも俺は不幸になっていない。むしろお前に出会って幸せになれたさ」


 俺が言うとアイリスは俺の胸にまた顔を埋めて静かに泣き始めた。


「……私と関わった人は皆消えるんだ」

「俺は傍にいる」


 アイリスの頭を撫でながら俺は呟く。アイリスが俺に抱いている想いと俺が彼女に抱いた想いは違うかもしれない。俺がアイリスに抱いたのは恋情で、彼女が俺に対して持っているのは友情のようなものかもしれない。嫌われているわけではないと思うが、俺はあんまり女に対する接し方が上手くないと自覚があるからな。甘い言葉なんて吐こうとするなら途中で笑っちまうかもしれない性質だし。だから、俺はアイリスに言えるだけの言葉を精一杯伝えるしかない。限られた時間だからこそ、その重みを理解して俺はこの一瞬にアイリスを愛そう。そしてずっと目の前の"アイリス"を愛そう。


「お前もこれから不幸になってしまうかもしれない。変わってしまうかもしれない……っ」

「俺は変わらない。前に言ったろ? 俺は一途な男なんだよ」


 俺はアイリスの身体を強く抱き締めた。アイリスも俺の背中に手を回して抱き着いてくる。アイリスの身体が震えていて、それが酷く悲しく思えた。彼女の心を守る鎧を剥ぎ取って、その奥にある彼女の心を優しく包み込んでやりたいと思う。


「アイリス、俺にはお前が必要だ」

「……っ!!」


 俺の言葉に驚いた顔でアイリスは俺を見つめてくる。俺はアイリスの頬に手を添えて顔を上げさせる。涙で濡れた彼女の瞳が俺を映している。その唇に触れようと顔を近づけると、アイリスがゆっくりと目を閉じた。そうして、そのまま俺たちは初めてのキスをした。


 ♦♦♦


 アイリスと他愛もない話をした。何気ない日常の話。俺が旅をして来た中での出来事を話して聞かせたり、逆にアイリスの話を聞いたり。そうやって一日を過ごして、その日の夜に俺達は森の奥にある花畑に向かう。ここは俺がこの森の中で一番綺麗だと思った場所。俺たちは手をつないで二人で並んで座っていた。そうして過ごす時間がとても心地よくて、幸せな時間だった。


「アル、聞いているのか?」

「ん、ああ、悪い。ちょっとぼーっとしてた」

「全く、何を考えているんだ?」


 聞き心地のいい透き通るような綺麗な声で何かを話しているアイリスが俺に呆れたような表情を見せながら笑って、それから俺の手を握ってきた。その手が温かくて、俺も彼女の手を握り返す。


「明日はどうしようかって考えていた。明日もお前がもしかしたら、傍にいるんじゃないかって」

「そうなれば良いんだが、私はもういないからな……明日からはアル一人だ」


 アイリスは寂しそうな顔で俯いて、握った手に力を込める。俺は彼女の手を引いて自分の方に引き寄せて抱きしめた。


 アイリスの命は今日で終わる。それは俺にも分かっている。彼女の中で満ちていた俺の命の輝きが消え失せていくのが解る。それでもこんなことがあっていいのか、と叫びたくなる。


「アル……私はお前と一緒にいられて良かった」

「……ああ、俺もだ」


 アイリスの身体が淡く光を放つ。その光が花畑を照らすように、光輝いていく。


 アイリスは俺の顔を見つめて微笑む。その顔を見て、俺は彼女の身体を抱きしめる力を強めた。彼女がいなくなってしまうという事実を認めたくなくてこの手で彼女を強く抱きしめた。


 アイリスの身体が光の粒となって散っていく。俺の腕の中に確かにいた、彼女の感触が消えていく。俺は必死にアイリスの身体を抱き寄せようとするが、彼女の身体はするりと抜け落ちてしまう。


 消えかかっていたアイリスは俺に微笑みかけて口を開く。


 ――――アル、あなたを愛しています。


 アイリスは俺に向けてそう言った。アイリスの身体が光に包まれ、そして消えていく。


「俺もお前を、アイリスを愛している」


 彼女の言葉に返すように俺もアイリスに想いを伝える。そしてアイリスは大輪の花が咲いたような美しさで笑って、光となって消えていく。空に昇って、還っていく。


 俺の声は彼女に届いていただろうか。


 アイリスの居なくなったこの場所で、俺は彼女が消えた空を見上げる。俺はアイリスが消えた空を見つめ続けた。涙が溢れて止まらなかった。俺は声を上げて泣いた。俺の腕の中にはもう何も残っていない。あの暖かさが、温もりがない。俺は涙を流し続けていた。ずっと、ずっと、泣き続けて。やがて、空が白んでくるまで。


 俺はずっとアイリスの事を想い続けているだろう。


 そして、現れる。闇の中から『コワイモノ』が。


 俺は乾いた瞳で現れたソレを鋭く睨みつけた。


「お前がアイリスの『敵』か?」

「ふふっ、心外ですねぇ。これは正当なる契約の結果ですよ」


 目の前に現れた黒い影はそう言って嗤った。

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