前世、わたしは何者であったか
ロン・ハモンドが盗賊の頭目に斬りかかる。扱いなれた風情で振るわれた剣が、きれいな十字を描いた短剣に防がれた。
「おっと、姫君まで斬るつもりか?」
「――正十字。西の剣だな……」
「おいおい、無視するなよ」
「人質をとった悪党と戦うすべは心得ている。王族の護衛、正騎士ジャック・バッカスとは俺のことだ!」
「はいはい、憧れるのは自由だけどよ」
楽しげに剣の切っ先を避けながら、盗賊の頭領は笑う。
「鍔がでかいのは案外使いにくいもんだな。剣、交換してくんねぇかな?」
ロンのほうも、極めて冷酷に微笑を返した。
「おまえが選んだものだろう。いらないなら捨てればいい」
「そういうわけにもいかなくてね」
盗賊は剣技に長けていた。身軽に動き回るくせに、放つ一撃がやたら重い。ロンいわく前世が正騎士だったとしても、今世での彼は訓練のひとつも受けたことのない身だ。どれだけ斬りかかってもあっさりとかわされ、返される攻撃でついに彼は剣を弾き飛ばされた。
「くそっ、思い出すのがもっと早ければ」
魔導士のもとまで飛びずさったロンが舌打ちする。同じく剣をかまえているカーリー・リヴリンは、眉を寄せて柄を握り直した。彼女が彼の代わりに剣を振りかぶることはなかった。
「……おまえが飛び出さないなんて、それは成長なのか?」
「この身体じゃ――いいえ、私の身体では、この剣を満足に扱えません。懐かしい気はいたしますが、手に馴染まない……。それは私がカーリー・リヴリンだからであって、それ以外の人物にはなれない証拠なのです。もう、カーラ・リットニアはこの世におりません。彼女がよみがえることは、この先けっしてありえないのです」
ロンは、胸を突かれたようにわずかに目をすがめた。
魔導士はそれを横目に見て、相変わらずの無表情で王女へ視線を戻す。
魔導士が口を挟まないことに、ロメリーは、安堵していた。
前世を生きた、もう一人の自分の人生を思い出したくなかった。そんなものはいらなかった。今の自分が生きていくのに、必要なものではないと思うのだ。
吟遊詩人がうたう恋物語のように、英雄譚のエピローグのように、感動的な再会ができるとは思えなかったからなのかもしれない。
殺伐とするばかりの世界だったとは言わない。楽しいことだってたくさんあった。それでも、生き方を選べなかったあの当時、誰もが歯がゆい思いをし、後悔を残し、強制的に不本意なことをさせられもした。そんなしがらみだらけの世に生きた人々が、この、今の、比較的自由な世界に生まれ直してどうして笑い合えるというのだ。
前世の物語は、自分が死んだ瞬間完結した。そこで終わってくれなくては、苦痛が増すだけだ。だって、生きててよかったなんて、言えないだろう。すでに死んでいるのだ、記憶にだけ生きる昔のあの人たちは。
例えば恋人がいたとして、それは前世の人間として愛し合うのか? それとも今世の人間として愛し合うのか? 生まれも育ちも違う、前世と今世の自分が同じ人物であるはずがない。
生まれ変わりは、外見だけが変わるようなものなのだろうか。
違うと思ったから、ロメリーは嫌だった。
「どうした? 威勢だけはよかったが、もう終わりでいいか」
鋭い刃を王女の首筋に当て、盗賊はつまらなそうに言う。人をひとり抱えてさえ、彼は強い。迷いがない、といったほうが正しいかもしれない。
「終わりでかまわないわ。私はあの人の生きざまをなぞるだけよ。さあ、殺せ、魔導士。私ごと盗賊を殲滅なさい」
考えの読めない深い色味の瞳を、王女は目蓋に隠す。
「あなたはそれでいいのですか」
低く唸るような魔導士の問いかけに、彼女は動揺しない。
「殺せばいいのよ。戦争したいならすればいい。何度だって、何度だって、繰り返せばいい。そしていつか遠い先の世、世界に争いがなくなった頃にまた生まれ直すわ」
盗賊は一瞬きょとんとしてから、ふっと吐息した。
「そんな世界が来るかね? 何百何千年と待つことになるんじゃねぇか?」
茶化すような言い方だったが、王女はそれでいいと答えた。それまでは生まれなくていい。いつまでも待ち続けると断言した。
「だって、そのときなら、笑ってまた会えるかもしれないでしょう?」
暗い色をしていた彼女の瞳が、瞬間的に淡い光を帯びた。晴々しい蒼穹を写した、リリアン王女の瞳の色。薄く張った涙が、ロメリーにその色を見せた。見せてくれた。
次に生まれたときにもまた、前世を共有できる仲間と会えるかどうかはわからない。本当は今、再会を喜びたかったのだろう。手に入らないと思っていたものを、もう一度手放さなければならない痛みと悲しみが、伝わってくる。
前世での、苦いことも痛いことも、国のため仲間のために犯した罪の重さも、今の世の価値観で量りたくない。だから記憶なんてないほうがいいと思うし、仲間になんて会わないほうがいいと本当は思っている。
けれどもやっぱり、もう一度会いたいと思う気持ちは、理屈抜きにとても強いものなのかもしれない。痛みも絶望も越えて、罪も何も関係なく、ただ、一目会って、
「あのときは辛かった」
ではなくて、
「美しい丘を一緒に見たね」
と懐かしむだけのことが、強い願いとして胸に凝っている。
そういう気持ちは、ロメリーにもわかった。
よく、わかった。
「さよなら、カーラ・リットニアさま。ジャック・バッカスさま。……魔導士、さま。――私はサロメさまではありません。あの方がお連れになったただ一人の侍女、スーニャ・メトミニカです」
「あなたが……スーニャだったのか」
痛ましいものを見たというふうに、ロンが瞑目する。けれども魔導士はかすかに睫毛を震わせ、そして言った。
「あなたがサロメ王女でなくとも、この話を終わりにはできない。もう一度戦争をしようというのなら、今度ばかりは黙って見ているわけにいかないと思う」
「……え」
「サロメ王女が隣国へ嫁いだあとに何があったかは知らない。ただ死んだとだけ風の噂で聞いた。だが俺はそのとき、ついていけばよかったとは思わなかった」
ロメリーは胸の奥の奥が、ずくりと痛むのを感じた。
「薄情だろう。手を貸すつもりはハナからなかったし、死んだと聞いても復讐しようとはしなかった。ただ、ずっと、胸に穴が空いたような喪失を感じている。今もだ」
これを後悔と呼ぶのだと最近気がついた。魔導士は苦笑して、続ける。
「後悔は、後悔のままなんだろうな。復讐しても、たぶん消えないし、きっとこの後悔までがサロメ王女との記憶なんだ。それで、俺の中の物語は終わっているんだよ」
「それで? じゃあ今目の前にいる王女との記憶は、どこで終わらせる気なのかね?」
挑発するように、盗賊が言う。魔導士の視線が鋭く彼を射抜いた。
「これ以上喪失感が増したら俺は穴だらけだろうが」
「だったら抵抗してみるか? 国を敵に回して?」
「やってみようと思う。俺はもうじゅうぶん生きたから、それで死んでもかまわん」
「天国にはあんたの愛しのサロメさまがいるから、ってか?」
ロンとカーリーがすさまじい目付きで盗賊を睨むが、魔導士は声を荒げることなくあっさりとうなずいた。ローブの内ポケットから彼が大事にしてきた日記帳を取り出し、これが道標だといわんばかりに掲げて微笑んでさえみせる。
「悪くないだろう? そういうのも」
盗賊はそれを聞いて高らかに笑った。
「ああ、あんたにしては最高だぜ」
ふざけるな……。何が最高だ。最悪じゃないか。
ロメリーは、神官の威厳も女性らしさも、この瞬間どぶに投げ捨てた。




