前世、わたしはまだ存在していなかった
ゆらりと立ち上がり、カーリーの視線を受け止める。
次に、ロンが、リリアンが、ロメリーに気が付いて目を向ける。
「そんなに死に急ぐな、魔導士」
丁寧な言葉は使わなかった。
はっとした様子で魔導士が振り返る。盗賊は、面白そうなおもちゃを見つけたみたいに、口の端をつりあげた。
「――おまえたちときたら、ちっともおとなしくしていない。せっかく新しい生を得たというのにいつまで業を背負うつもりなんだか。よほど未練があるようだが、それはなぜだろうな。償いきれない罪でも犯したか」
目を見開いた魔導士よりも先に答えたのは、カーリーだった。
「私はサロメさまをお救いすることができませんでした。その後悔が、ずっとずっと私を戒めているのです。次こそは、次こそはとささやくのです!」
「ならばリリアン王女を救えばその後悔は消えるか?」
「いいえ、けれど後悔の上塗りはごめんです!」
まるで上司の問いに答える兵隊のように、カーリーはきっぱりと言い切った。ロメリーの口調がまるで男のように豪胆でも、彼女は躊躇しない。
幽霊を見たような顔で、ロンがロメリーを凝視している。魔導士も、リリアンも、答えようとしている気配はない。けれど、たぶん、みんな同じ思いを抱いている。ロメリーも、そうだから。
「後悔は消えない。わたしもそうだ。けれど、わたしはおまえたちを恨んではいないぞ。申し訳ないことをしたとずっと思っていた。巻き込んで、申し訳なかった。それでも言おう。『わたしの死出の旅についてきてくれてありがとう』」
リリアンが、拘束されているにもかかわらず声をあげて泣き出した。大粒の涙があとからあとから溢れ出してくるのに、拭うことができないまま慟哭する。魂を吐き出してしまいそうな、激しい嗚咽だった。
「……っああ、……ああ、なんてこと……っ」
「まさか……っ、こんな日が来るとは……!」
カーリーは口元を押さえ、ロンは胸に手を置いて顔をくしゃくしゃにしている。ふたりとも、目に見えるほど手を、唇を、肩を、震わせていた。
そこへぽつりと、魔導士の声が落ちる。
「サロメ……王女……?」
ロメリーは彼が手に持った日記帳を、魔法で吹っ飛ばしてやった。あっというように全員がそれを目で追ったが、割れた窓の向こうへ落下していくのを誰も止められなかった。
「おっと、やり過ぎたかな。だが知っての通りわたしは物を浮かせておくことができないのでな。でもまあいいだろう? あんなものを後生大事に持たれているのは書き手としてむず痒い気分だ。それともまだ必要だったか? 魔導士殿」
「……――いや、いらないでしょう」
泣き笑いのような情けない表情で、魔導士は首を横に振る。さすがに泣いてはくれないかと思ったが、それでいいのだ。
ロメリーはサロメではない。サロメとしての扱いをされてしまったら、ロメリーという人間がいなくなるのと同じことだ。過去の人間にこの身体を明け渡すつもりはない。
「さて、ではサロメの思いをお伝えできたので、わたしたちはわたしたちのやるべきことをいたしましょうか。魔導士、リリアン王女を傷付けずに盗賊を追い払うことはできますね。戦争の件に関してはわたしどもが教会に訴えかけましょう。――今や王よりも神のほうが強いのです。神官をナメないでいただきたいですね」
魔導士が、がくっと首を落として苦笑した。
「あなたはもう少し情緒を学んだほうがいいんじゃないか。余韻を味わう暇もない」
「そんな暇がありますか? お行儀よく待っていてくださる盗賊ばかりではないのですよ」
「そうだな、反論の余地もない」
「それにわたし、自分がサロメとは思っておりませんから。わたしを眺めて懐かしむのはおやめになってくださいませね。あとサロメの真似をするのはあれっきりにいたしますので、サロメなどと間違って呼ぶことのないようにお願いしておきますよ」
ことごとく注意を重ねられ、魔導士だけでなくロンまで肩を落としている。
そして件の「お行儀よく待っていてくださる盗賊」のほうは、話がついたとみてこう尋ねた。
「魔導士、あんた、本気で国と戦うのか?」
「そのつもりだ。神官殿が教会に働きかけると言ってくれたんでな、もしかしたら死なずに済むかもしれない」
「死に急ぐのは許しませんからね、魔導士。史上最強の魔法使いらしいところを見せてくださいませ」
と、くちばしを突っ込むと、魔導士は肩をすくめた。
「聞いた通り神官殿がこう言ってるんで、最悪、国ごと燃やしてもいい」
「そうか。ならあんたに託そうかな。俺には荷が重い」
「は?」
唐突に、盗賊はぽいっと王女を捨てた。急に解放され、突き飛ばされたリリアン王女は床をすべって戻ってきた。
「戦争なんざ始まっちまったら誰も彼も血みどろだ。安全な場所なんてなくなる。いいか、絶対戦争止めろよ、じゃなきゃ命令違反する意味がねぇ」
王家の腐敗はこんなところにも現れる。離反した盗賊、いや、おそらくどこかの兵団に属する隊長クラスの人間だろうその男は、家族を迎えに行くと言った。
「魔導士、あんたがやってくれなきゃ俺ぁ逃げるだけだった。王女殺しの罪を背負って、死後のことにまで怯えながらな」
「おまえが追われる立場になるんじゃないのか」
「国の人間として、殺しちゃならねぇもんを殺してる。だからいい。どっちみち前の生活に戻れねぇことはわかってたしな。だが王族殺しだけは、さすがの俺も怖い」
リリアンが、びくりと肩を揺らした。ゆっくりと立ち上がり、振り向き、そしてうなずく。
「そうね。私にも覚えがあるわ」
ロメリーは彼女が何を言おうとしているのかに気が付いて口止めしようとした。そんなことはないと否定したかった。でも、彼女はきっとその考えを覆すことはないだろうというのも薄々わかっていた。
「人の上に立つべき人間を殺すこと、これはその人が守れたはずのものも一緒に殺すのと同じことだと私は思った。私は、王女殺しの大罪人です。何度生まれ変わっても、この記憶は消えない気がする」
「……王女サマ本人にそんなこと言われちゃあなあ。怖くておちおち寝ていられねぇやな。ほんじゃ、後始末は悪いが頼む。盗賊仲間をやってくれた奴らを逃がしてこなきゃならねぇんでな」
「任務失敗の報はなるべく遅らせるように小細工しておく」
「期待しねぇでがんばるわ、ありがとな」
盗賊は床に転がる護衛騎士をちらりと見て、目を伏せる。そして壁に磔にされていた男を担ぎ、窓から消えた。二度と会うこともなかろう。人殺しを見逃すことに焦りのような感情を抱いたが、黙っていた。たとえ誰の命令でも彼が法を破ったことは事実で、刑罰が多少軽くなるにしろ罪は背負わなければならない。
いつか必ず、神の裁きがくだる。それは死後かもしれないし、明日かもしれない。そのせいで彼の仲間が死ぬかもしれないし、家族を逃がし切れないかもしれない。
酷な道程になるだろう。それもまた、この国の在り方が生んだ、ひとつの人生なのだろうが。
「これから忙しくなる。長い長い人生だったが、ようやく本番だという気が、今、している」
魔導士らしくないその台詞に、ロメリーは笑った。
「ではわたしも、がんばらねばなりません。手始めに何をいたしましょうか」
するとカーリーが勢い込んで剣を掲げた。
「剣のお稽古を! カーラほどうまくなるかはわかりませんが、私も戦える人間でありたいのです」
「……だ、そうですが、いかがいたしますか?」
魔導士はロンを見て、それからリリアンに目配せした。
「許可します。おおいに励んでちょうだいね。これからは敵が多くなるわよ」
「微力ながら俺もお手伝いを」
「何をおっしゃいますか、あなたも一緒に鍛えるのです! でないとまた剣を弾かれてしまいますよ! もうあなたはジャックではないのですから」
控えめに手をあげたロンに、カーリーが鋭く突っ込んだ。
そうだ、もはや自分たちは過去の自分ではない。前世の感覚を生かして、今を生きていかなければならない。
前世のあのとき、戦の発端を作った人物たちが、今度は戦争を止めるために動くのだ。以前と違う自分でないと、また同じ結末を辿ることになる。
でも、きっと大丈夫だろう。
何しろ二度目のこの選択の場には、魔導士がいる。前回はいなかった史上最強の魔法使いがいてくれるのだ。
「ロメリー」
魔導士が、名前を呼んだ。
まさか名前で呼ばれるとは思っておらず、びっくりして彼を見上げた。彼は照れ臭そうに、
「サロメ王女とは役職名で呼び合っていたからな……。これを機に名前で呼んでもかまわないか。王女とあなたは違うのだという、その証として」
「アンセルさま」
いきなりファーストネームを呼んでやると、彼はぴくりと指先をこわばらせ、ごまかすように頬を掻いた。
「さ、最初はアルフリークのほうで頼む。しばらく名前を呼ばれた覚えがないものでな、ちょっと……なんというか、慣れない」
「そうですか。ではそうします」
けれどもこちらがすなおに承諾すると、彼はまだ何か言いたそうにして、
「や、やっぱりアンセルでいい」
結局そう言った。




