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前世、わたしは殺されたのか

 青年を連れて城へ戻ると、本格的な盗賊団討伐に乗り出すのだと勘違いした使用人たちが不安そうにささやき合った。当事者たる青年を魔導士自ら招いたのだ、近々小競り合いがあるだろうと予測するのは当然のことだった。


 これはあとでなだめておかなければ、とロメリーは頭の片隅で思ったが、目下の問題は今じぶんの目の前を歩いている男にある。


 正式名のあやふやな、警戒すべき要人。そのくせ物腰柔らかな謎の青年。拾った当初は不運な男だと思いこそすれ、これほど厄介な人物になるとは考えもしなかった。


 やがて、こともあろうに魔導士の研究室に通された青年は、気後れするでもなくガチガチに緊張するでもなく毎日ここへ通っていたとでもいうふうに直立不動の体勢をとった。

 これは、騎士が主人または貴人の前でとるべき模範行動だ。

 ごく当たり前のようにそうした青年の動きに不自然なところはなく、あえて言うなら体格が貧弱すぎて違和感が残るくらいだろうか。まるで市井に紛れ、長期に渡っての間者任務を遂行している最中のひとみたいだ。そんなひとを実際に見たことはないのだが。


 最後尾のロメリーが扉を閉めるや、魔導士は肌身離さず持っている例の本を取り上げて軽く振った。

 他人の注目をあの本に集めようとする、そのしぐさ。

 ロメリーは未だかつて、そんなことをする魔導士を見たことがない。むしろひとの手には触れさせないようにふるまっていたのに。


 驚愕するロメリーにかまわず、魔導士は青年の反応を見た。ロメリーの立ち位置からでは彼の表情が見えなかったのだが、魔導士が苦笑したことで言葉もなくふたりが何かを確かめ合ったようだと得心する。


「お懐かしい。それを読まれるのを嫌がっておられたのに、あいつときたらほいほい覗き見をして」

「そうだったな」

「あるとき、その攻防の末に紅茶をこぼしてしまわれて、結局魔導士が呼ばれたのでしたね。あのときのあいつは本当に無礼で、今思い出しても申し訳なく思います」

「奴がなんと言って俺に迫ったか、覚えているか」

「もちろんです。今すぐ私の命と引き換えにこれを直せと無茶を申し上げて、あなたを困らせておりました。命などなくとも魔導士なら簡単に紅茶の滴を取り除くことができるというのに」

「まあ、それだけ焦っていたということなんだろうな」


 会ってから数刻も経っていないのに、魔導士は青年に微笑を見せた。それはそれは優しく、やわらかで、過去の日々を懐かしく思い出す人情溢れる表情だった。


 ふたりがなんの話をしているのか、なぜそこまで会ったばかりの男相手に心を開いているのか、わけがわからなくて口も挟めない。けれども魔導士が少しでも眉を寄せれば、ロメリーは実力行使で青年を部屋から追い出すつもりだった。


 魔導士はそんなロメリーの動揺や戸惑いの感情を察知したように、本を机に置いてこちらを見る。


「神官殿には意味不明の会話に思えただろうが、確認は無事済んだ」

「はい」


 固い声で返答すると、青年が片足を引いてロメリーに横顔を向けた。彼は申し訳なさそうに苦笑している。


「それで、いったいどういうことなのでしょう」


 ひとりだけ置いてきぼりを食らったような気分だったので、少し刺々しい声が出た。


「彼は村人にロン・ハモンドと名乗っております。正騎士でもなければ騎士見習いですらない。盗賊団にさらわれ、そこで団員として過ごしていた青年です。魔導士、それでも彼をジャック・バッカスと呼ぶのですか? 正騎士バッカスと?」

「荒唐無稽な話をしよう、とさっき言ったな」

「はい。おっしゃっておりました」

「では言おう。彼はロン・ハモンドで間違いはない。正騎士ジャック・バッカスは、彼の前世だ」


 はい? と礼儀を忘れて聞き返そうとしたが、危うく三つ数をかぞえて冷静になる。そして言って当然の否定の言葉を吐き出した。


「成りすますためにお調べになったのでは?」

「その可能性はあるだろうな」


 なのに魔導士は揺らがない。


「ロン・ハモンド。あなたはなんなのです」


 仕方がないので青年のほうを見据えると、彼はたじろいだように視線を落とした。


「神官殿の心中、お察し申し上げます。けれども誓って、誰かを騙そうなどとは思っておりません。ただ、ただ前世の縁をここに再び築きたく、」

「あなたも、恨みだ罪だとおっしゃるおつもりですか?」

「えっ、え? 恨み、ですか? 俺は魔導士を恨んではおりませんが」

「嘘。あなたも恨んでおられるのでは? この罪を忘れてはならないと……『あのときそばにいたひとびと』の罪を裁かねばならぬと。あなたも思っていらっしゃるのではないのですか!」


 ここ最近、ロメリーの周りはおかしい。

 だからだろう、思わず顔をしかめて詰め寄ってしまった。彼が、恨みなどないと言っているのにも関わらず。


 彼はみるみるうちに目を見開き、弾かれたように魔導士を振り返った。魔導士も険しい表情で青年と顔を見合わせる。


「どういうことです、魔導士。神官殿にも記憶が? 『あのとき』の我々のうちの誰かですか」

「……わからない。神官殿は前世の記憶などないとついさっき言ったばかりだ」

「それはあてになりません。記憶の戻り方など千差万別。最初から覚えていたか徐々に思い出したのでなければ、一気にすべてを思い出すこともあります。先ほどの俺のように」


 ロメリーは焦った。青年の前世に関わりのある者だと思われても困る。ロメリーには本当にそのような記憶はないのだ。

 ただ、今のは、周囲のひとびとの前世の記憶に振り回されて『ついうっかり』言ってしまっただけのこと。

 ――――いや、何を、『ついうっかり言った』の?


「わたしは何も存じ上げません!」


 硬い声で、牽制する。

 考えてはいけない。思い出すものなど何もない。

 引きずられてはいけない。

 なぜならこの身体の持ち主は、ロメリーただ一人で。

 それ以外に、名など必要ない。


「神官殿」

「ロン・ハモンドについては盗賊団討伐の際の重要人物として城に滞留いただいてください。王女にはわたしからお伝えし、指示を仰ぎますのでご安心を。それでは失礼いたします」

「待ってくれ、神官殿」


 困ったように呼び止める、魔導士。

 その顔を見ていると、いらぬものを呼び起こされそうで怖かった。

 目を合わせぬまま一礼して、早口に断る。


「ああ、そうでした。侍女の護身術についてですか、今はそれどころではなさそうなので白紙に戻していただいてけっこうです。また機会がございましたら、皆に声をかけてみようと思います。では」

「神官殿!」


 そんなことが聞きたいわけじゃない、というのはわかっていたが、ロメリーは耳を閉ざした。






 研究室を出たのはいいが、さてどうしようか。

 ロメリーは逃げるように廊下を歩きながら、またしても余計なことを言ってしまったと後悔していた。

 近寄りたくないのに、王女に青年の滞在許可をもらってこなければならない。さっきの今で、どうしてこうも頭が痛い。まるでりんごが木から落ちるように、ロメリーも王女のもとへ落ちていくような錯覚があった。


 ときどき使用人とすれちがっては討伐任務の詳細を求められ、すぐに動くつもりはないと答える。非効率にそんなことをいちいちやっていても、あっという間に王女の居室に着いてしまった。


 魔導士がロン・ハモンドを連れ帰ったこと、彼女はもうすでに聞き及んでいるだろうか。

 もし、彼の前世と彼女の前世が繋がっていたら、ふたりはどうなるのだろう。

 この城はどうなるのだろう。

 魔導士は、どうするのだろう。

 ――わたしは、どうしたらいいのだろう。


 リヴリンを巻き込まないようにすること、それさえ、もはや必要なのかどうかわからなくなってきた。だって、仮にリヴリンの夢も前世だったとしたら、この城に三人もの記憶持ちが集ったことになる。

 この、魔導士のいる城に。


 何か意味があるのかもしれない、と思うのは神官だからというだけではないと思う。

 神の作為を感じずにはいられない。


 ――神は、わたしたちにいったい何をさせようというのか。


 神官の長はひとであるが、最高位が誰かと訊かれれば神と答える。

 姿を現さず、声さえ発さず、それでも目に見えぬ命を運ぶ力を持つもの――それによって引き起こされることごとくを神官は運命と呼び、力を行使しているであろうその者を神と認識する。


 ――神は、わたしたちの記憶の忘却をお望みではないということ?

 あるいは、じぶんたちの望みを、神が聞き入れたのか。


 吐きそうだ、と思った。

 どうしてこんなに胸が詰まったような感じがするのだろう。


「すみません、王女にお取り次ぎを」


 いつまでもうろうろしているわけにもいかないので、胸をさすりながら扉の前にいる騎士に声をかけた。

 王女を守護する近衛騎士はふたりいる。片方がうなずき、扉をノックするかたわら、もうひとりが心配そうにロメリーを見下ろした。そのひとは、リヴリンのような赤毛の女騎士だった。


「どこか具合が?」

「いいえ、少し胸焼けがするだけです」


 微笑んで大丈夫だと言おうとした、そのときだった。


「王女!」


 はっとして顔をあげると、扉をノックしていた騎士が部屋の中へ飛び込んでいくところだった。

 風が吹いて前髪がまきあがる。

 目の前にいた女騎士もすぐさま扉の隙間から滑り込んでいき、遅れてロメリーも入室したところで鋭い声があがった。


「来てはいけませんっ、神官殿……!」


 もう遅い。


「神官は殺すな」


 眼前にきらりと光る刃が迫ったが、鶴の一声でそれが止まる。

 ロメリーの前に立ちふさがる粗暴な男が、舌打ちをして神官服に手をかけた。声をあげる間もなく胸ぐらを掴まれ、床に叩きつけられる。


 視界がぶれて全身に痛みを感じたあと、頭を踏みつけられてうめき声がもれた。


「なんの、真似ですかっ!」


 絨毯の上に這いつくばり、わずかに目を開いて怒鳴るとすぐ近くから笑うような吐息が聞こえた。けれども答える様子はなく、少し離れた場所から別の声がした。


「なんのなんの、ちっとお邪魔しただけよ。神官殿に用はねぇ」


 先ほどの、刃を止めた声。渋い男の声だ。

 頭を踏まれていては周囲を確認することもできなかったが、何を思ったかロメリーの頭に置かれていた足がどかされた。そして今度は髪をわしづかみされ、部屋の奥のほうへ顔を向けさせられる。


 窓際には、王女がいた。

 頭に布を巻いた男に腕を拘束され、喉元にはナイフを突きつけられていた。


 ――賊か!


 ロメリーは瞬時に、彼らが件の盗賊であることを悟った。

 まさか、王女を追ってこの城へ来たのか。


「ロメリー……ごめんなさい」


 王女は抵抗することなく、そう言った。すでに暴れたあとなのだろうか、テーブルは足を折られ、ひとりがけのソファやカウチは横転して部屋の端に押しやられている。


「巻き込んでごめんなさい。なんの関係もないあなたを、あなたたちを、巻き込んでごめんなさい」


 震えた声が、部屋にこだます。

 なんだ、王女は、何をしようとしている?

 ロメリーは頭皮の痛みに耐えながら、王女の瞳を凝視した。


「王女……諦めてはなりません」


 ロメリーのうしろで、くすりと笑う声がする。嘲笑う声だ。


「希望なんざないぜ。王女は死ぬんだ。今ここで殺されてな」

「誰に雇われたのです?」


 まるで天啓を受けたように、とっさにそう返していた。

 王女を戒めている男が、少し驚いたように片眉をあげた。


「盗賊を雇う? そんなやつがどこにいる?」

「そもそも、あなた方は本当に盗賊ですか?」


 質問を質問で返し、じっと睨む。

 だいたいにして、このような辺境の地に盗賊がいるとするなら根城がここにあるか、あるいはよほど困窮していて獲物ならなんでもいいと焦っているか、そんなところだろう。何しろこのあたりは本当に過疎地であり、盗むものなど食べ物くらいしかないのだ。


 だとしたらこのタイミングで小さくない規模の盗賊がやってきた理由としては、王女を弑するためという可能性がもっとも高い。盗賊が王の子を殺そうとするとき、不利益に優る利益がなければ行動には移さないはずだ。わざわざ王族殺しなどせずとも、金を稼ぎ高い酒を飲む方法などいくらでもあるのだから。


 けれども、ロメリーは理屈抜きに彼らがただの盗賊ではないと感じている。

 ひとはそれを直感、あるいは単純に勘と呼ぶ。まったくもって根拠のない思い込みでもある。

 なのに、それを一蹴できないだけの強い感覚が、ロメリーの脳裏をよぎっていた。


 ――わたしは知っている。

 この空気。

 この、無言の圧力。無言の命令。

 真実は誰の目にも明らかであるのに、それを口に出せないまま流されるしかない無力さ。しょせん、国を相手にして個人が戦いを挑むことなどできはしない。


「また王女は切り捨てられるのですか」


 ロメリーは口の中でそうつぶやき、おのれが何を言ったのかを一秒後に自覚して深い息をついた。


 ――それが国というもの。王族というもの。わかっていたから、思い出したくなどなかったのに。


「あなた方が盗賊であろうとなかろうと、ここに来てしまった時点でどうでもいいことでしたね」


 ロメリーが嘲笑混じりに言うと、リーダー格の男は興味深そうに目をすがめた。


「待て。おまえはどう考える? 俺たちが盗賊でなければ、他になんだというんだ?」

「さあ。ただ、王女を害する敵であるのはわかりきったこと。わたしたちはあなた方から王女を守る、それだけです」

「言うつもりはない、というわけか」

「――ただしひとつだけご忠告を。他の王族の方と取引なさるのならば十分気を付けることですね。王族殺しの汚名を着せられたあなた方はおそらくひとりの生存者も残さず解散することになるでしょう」


 それはもうほぼ答えだな、と盗賊の男は笑った。言い当てられてもそれがどうしたといわんばかりの態度だ。いっそ、答えから大きく外した予想だと言っているようにも見えた。


「なぜそう考えた? 根拠もなしに言っているのなら不敬罪で捕まるだろうに。まあ、神官が王族に不敬を働くというのも愉快かな」


 少し楽しそうに訊ねられても、ロメリーの感情は別のところへ向けられている。


 この男には、用がない。

 あるのは、男に拘束された王女だ。


「無駄話はもうよろしいでしょう」


 ロメリーは冷めた口調でそう言いつつ、なんの前置きもなしに魔法を使った。


「……っと、おいおい」


 足の折れたテーブルが、布を裂かれたカウチが、ロメリーの無言の指示で飛んでいく。

 王女ごと床に倒れ込んでそれを回避した男は、舌打ちをしてすばやく起き上がる。

 ぶつかるべき対象物を失った家具たちはそのまま窓に直撃し、ガラスを突き破って階下へと落下していった。


「……やるねぇ、神官が」


 魔法を使える素質は、神官にもある。けれども魔導士として身を立てていない以上、実用性に乏しい魔法しか使えない証拠となる。

 ロメリーも、素質はあれどたいしたことには使えない力であったし、そんなちっぽけな力をわざわざ使わなければならないような特殊な状況になったこともなかった。

 けれどもそれは、使い方を知らなかっただけであるのかもしれない。


 ロメリーの髪を掴んでいた男が苛立たしそうに再び絨毯に押し付けてきたが、今度は怯まない。


 ――なにせわたしは死の感覚を知っている。


 唇に笑みさえ浮かべて、ロメリーは怒鳴った。


「『次はタンスを投げてやろうか! あいにくわたしは細かい指定が苦手なのだが』」


 男に捕らえられていた王女が、はっとしたように顔をあげた。

 そのとき、部屋ごと吹き飛ばされたような爆音がして、背後にあった半開きの扉が粉砕した。あまりの勢いに、粉々になった扉の欠片が部屋中を舞う。


「そこまでにしてもらおうか」


 白煙をまとって戸口に立つのは、百年以上前から生き続けてきた史上最高の魔導士。

 アンセル・アルフリーク。

 彼は忌々しげに盗賊たちを見やり、床に転がる近衛騎士を睨み、そしてようやく絨毯に押さえつけられたロメリーに視線を移した。


「神官殿の出る幕ではないだろうに。――離れろ」


 あっという間にロメリーを戒めていた男が吹き飛び、壁に叩きつけられた。けれども床に崩れ落ちることなく、まるで絵画のように壁紙に貼りつけられたままだった。


「おろせ!」


 わめく男を嫌そうな顔で見て、魔導士は肩をすくめる。


「聞き飽きた。少し黙っていろ」


 なんのことかわからないが、男をおろすつもりはないらしい。

 王女を盾にして立つ盗賊の統率者のほうは、厄介なものが来たとばかりに皮肉げな笑みを浮かべていた。


「さすが魔導士だ。世界最強とうたわれるだけのことはある」

「この程度で納得されても困るが」


 アンセルが鼻で笑い飛ばすのも無理はない。

 ひとひとりを投げ飛ばして宙に浮かせておくことなど、彼にとっては寝ぼけ眼でもできることだ。

 ロメリーは低い姿勢を保ち、絨毯に片膝をついてしゃがんだ体勢でことの成り行きを見守る。


「それで?」

「なにかな、魔導士」

「おまえたちは何をしに来た? まさか王女を拐おうとしているのではないだろう。おまえの言う世界最強と名高い魔導士がいるこの城で、事が成せるとでも」


 淡々と問う魔導士からは、怒りの感情も呆れの感情もうかがえない。

 なんだかまるで、予想していたようだ、とロメリーは思った。それは盗賊の男も同じだったようだ。彼はやや眉を寄せて、それでも油断なく魔導士を凝視する。


「魔導士に勝とうとは誰も思っちゃいない。あんたを出し抜いて王女を殺せばあとはかまいやしないのさ」

「命がなければ報酬は受け取れない。盗賊の言葉とは思えないな。……さしずめ、暗部かな。『どっち』なのかはわからないが」


 盗賊の男はいっときぐっと眉間にしわをつくり、そして諦めたように脱力した。軽快な笑い声が、ぽんぽんと部屋中を跳び跳ねる。


「さすがに察するよな。察してもらわなきゃ困るから、そこはいいけどな。とにかく、魔導士、あんたのいるこの城で、俺たちは立ち回らなきゃいけなかった。なかなか外出しないから、数年単位で待機することになるかもしれねぇと仲間内で話してたところだったんだぜ」

「だったらおまえたちは事を急いたな。俺の今日の外出は短時間だったろう?」

「そうでもないぜ。討伐隊を差し向けられた後じゃ色々面倒だからな。目的が誘拐だったらちぃっと時間が足りなかったろうが、今回はただ殺しゃいいだけだ。俺たちがその場であんたに仕返しされようと、王女さえ死んで、俺たちの誰かがここで捕まりゃあ万事解決だった。……家具が飛び回って窓ガラスを割っちまわなければもっとうまくいったんだけどな」


 男の腕のなかで、王女が唇を噛み切るのが見えた。

 ひたすら死を望まれているような言い方をされて、血色が良くなるはずもない。暗殺の影がここまで色濃く目の前に現れて、それを「殺されそうになるくらい誰かに恨まれている」と捉えないほうがおかしい。明確な殺意と、その殺意を持たれるほどのなにをしてしまったのか判らないのがおそろしかった。


 ――〝彼女〟も、最初はそう思っていた。

 でも違った。誰も彼女を恨んでなんかいなかった。嫌ってもいなかった。

 ただ、関心がなかったのだ。死のうがどうしようが、どうでもよかった。

 彼女の存在を必要なことに使うその一回きりの機会が、そのときたまたま巡ってきただけのことなのだ。もしもそれがなければ、一生ひっそりと生きていくことになっただろう。関心が向けられていなかった、それゆえに途中までは穏やかで楽しい日々だった。


 けれどリリアンはどうだろう。

 彼女の場合は、恨まれているのだろうか。だからあんなにも、恨みつらみにこだわっていたのか。

 それともやはり無関心ゆえに、恨みのひとつもほしいと思ったのか。存在をなかったことにされないためにというなら、いじらしいことだ。


「王女は殺させない。そうなったらどうせ城の管理不足だなんだと言って俺は投獄されるんだろう。城主代行は換わったばかりで、王女の手が入るには少し時間が足りないからな」

「だろうな。だから俺たちはわざわざ王女の旅程を見守って、こんな僻地までやってきたわけだ」

「何が目的だ?」

「さあね。お偉方の考えることなんて、知れたもんじゃねぇのは確かさ。俺だって好きでやってるわけじゃねぇしな」


 このときばかりは盗賊らしく、粗野なそぶりで男は肩をすくめる。

 いっそ計画なんて頓挫してしまえと思っているのだろうか。

 ――時代は変わった。

 忠誠心の向く先に、国や王では大きすぎるのかもしれない。

 ひとは常に見返りを求め、他者より多くの幸を得ようとする。平等でないものを憎み、軽んじられれば憤る。

 国に忠誠を誓っても、得られるものは昔よりずっと少なくなっていた。なにしろ褒美に与える土地も、財貨も、地位も、無限にあるわけではないのだ。


 土地の整備もままならなかった過去と違って、今は僻地さえどこかの爵位持ちが書類上の管理者となっている。もはや余っている場所などない。

 それに、生活が潤えば潤うほど、ひとの望みは増し、国が大きくなればなるほど住民の要望は多岐に渡る。ひとの望みを叶えるのに金がかかるようになるのだ。飢饉を凌ぐのにも苦労するし、そもそもすべての人間を満足させる政治など存在しない。

 国庫は年々減っていき、民からの忠誠心に応える術を失えば、徐々にひとびとの心は王から離れていく。

 それなのに王は民に命じることをやめない。それが政治というものだから。

 やがて報酬なく国に尽くすのが当然の義務という風潮になってくると、国のためという気持ちの代わりに金だけがひとを動かすようになる。今まで王の心を表す贈り物だった褒美たちが、ただの成功報酬に成り下がるのだ。そして必ず為政者の周囲から腐敗が始まっていく。


 盗賊の彼は、時代の流れの通り、忠誠心だけで動いているわけではないだろう。そんなことをしても、現代ではたいした名誉も残らない。いいや、死後の名誉に、彼らは意味を見出さない。


 だからこそこの時代、ロメリーたち神官が大きな力を持てるようになったのかもしれなかった。王にも優る神という偶像のほうが、口も利かぬし耳も貸さぬので信仰するのに楽だからだ。

 多少の戒律に目を瞑れば王のように税だ徴兵だと言わないので、ひとびとの心の支えが神に移るのはもはや当然のこととも言える。首が代わるたびに悪政善政も入れ替わるとあっては、ますます神頼みのひとつもしたくなる。


「王やその周囲の方々は、戦争をなさりたいのでしょう」


 不意に、王女が口を開いた。

 対峙していた男たちは警戒を解かぬまま彼女に視線を向ける。


「王の子は全部で十六人いるのよ、今さら誰が暗部を差し向けたかなんて気にもならないわ。でもひとつ、はっきりしていることはある。十三番目の王女に少しは価値を見出したということね」


 ロメリーは毛足の長い絨毯をぎゅうっと握った。

 王女の唇に滲む血の黒さが、彼女の救われない気持ちを表しているような気がした。


 時代は変わっても、王女の境遇は変わらない。


 ――彼女たちはいつでも、流されていくだけの木の葉だ。


「筋書きはこう。私がこの国境近くの城で、隣国の盗賊に殺されるの。そしてそれを知った国の上層部は怒り狂った顔をして、お隣の国へ宣戦布告をするのだわ。普段はどうでもいいと思っているくせに、こんなときだけ大事な王女様だと言う。私のこの一件が失敗しても、まだ王女は六人もいるから、やりようなんていくらでもあるわね。ようく、わかってるわよ」


 怒鳴るのに失敗したような震え声で、王女は言う。


「まあ、いいのよ、王の子なんてそんなものよ。男であれば違ったのかもしれないけれどね、この無力感を味わえたことだけが私の生涯でたったひとつの良いことだったわ」

「そのようなことを、おっしゃらないでください」


 思わずロメリーが口を挟むと、王女は蒼白な顔でにこりと笑ってみせた。頬が引きつっていて、今にも泣きそうに見えた。


「大丈夫よ、生まれに後悔はないの。王女という、いわば職業がどれほどのものか知ることができたのだもの。思い残したことはあるけれど、与えられた役目はまっとうするつもりよ。それが仕事なのだからね」

「王女であることは仕事ではありません……」

「私は生まれたときから永久就職したような気分だったわ。でも辞めようとは思わなかった。〝あの方〟がきちんと成し遂げたのですもの、どうしてこの私がそれを放棄できるというの? 私だって最後まで貫き通すわ、王女の矜持を」


 あの方? とロメリーが眉をひそめたとき、戸口から魔導士ではない別の人物が声をあげた。


「あの方とは、『サロメ王女』のことですか」

「……ロン・ハモンド?」


 魔導士が一歩ずれてやると、ロンが剣を片手に部屋に入ってきた。そしてそのあとを、同じ剣を持ったリヴリンが続き、力強い眼差しを王女に向ける。


「リリアン王女。あなたは『サロメ王女』なのですか?」


 前世の記憶を持って現れた、三人の邂逅。

 彼らの異様な空気が、盗賊の男にも、ロメリーにも、口を出させなかった。


 リリアン王女は、答えるより先に、濡れた瞳で哀しく微笑んだ。


「だとしたら?」





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