前世、わたしは彼に会っていたか
半分こ、と言われたパンが喉を通らない。
王女も、魔導士も、どうしてそんなに恨みにこだわるのだろう。一度死んでいるなら、もういいじゃないか。無念が残っていたって、死んでしまったらそのひとの人生はそこで終わりだ。周りがぐだぐだ言ったところで――敵討ちのように代わりに恨みを晴らしたって――そのひとが生き返るわけでもない。
「どうした、もう食べられないか」
魔導士が首をかしげる。
ふだんならパンの一個や二個など余裕で腹におさめられるが、どうも気分が悪い。胸が詰まったみたいにもやもやして、息苦しい感じがする。
「すみません、あまり食欲がなくて」
「俺が暗いことを言ったからか」
「いいえ。ひとの世のままならなさが口惜しくて、ものを食べている場合ではないような気がしているのです」
「神官というのは難儀だな」
申し訳なさそうに、彼は苦笑する。
ひとの話に耳を傾け、ひとの悩みに寄り添うのが神官の仕事のひとつだ。ロメリーがどんよりとした気分のせいで食事を拒否するのは、その仕事に熱心ゆえだと彼は思っているのだろう。
けれどもこれが旅の途中の出来事であったのなら、ここまで思い悩むことはなかったように思う。共に暮らし、苦労して親交を深めた相手がいる場所だからこそ、せっかく積み上げたものを崩されたくないと思うのだ。神官だから感受性が豊かだとか、そういうことを言われたくない。少なくとも、この件に関してだけは。
「魔導士。教えてください。誰かの恨みを肩代わりして、なんの意味があるのですか」
「うん、神官殿がそう思うのも無理はない」
魔導士は、ただの自己満足だと言い切った。そのひとのためにというより、じぶんが納得するために問いかけるのだと言う。
「恨んでいないと言ってもらえるのを待っているのですか」
「いいや、俺はどちらでもかまわないと思っている。どちらにせよ、そこがわからなければ動けないしな」
「どうなさる、おつもりで」
「さあな、言われてみないことには俺にもわからないんだ。正直なところ、恨んでいると言われても、俺は何もしないことを選ぶかもしれない」
「なぜ?」
きょとんとして、魔導士がこちらを見る。
何か考えるように小川の流れを目で追ってから、またロメリーに視線が戻ってくる。
「うん。なんでだろうな」
彼はロメリーの手からパンを取り上げると、躊躇いなく食いついた。
「我ながら、なかなかうまい」
満足そうに言って、もう一口。二口。
いいのか、いさめるべきか、いろいろな選択肢が頭の中を飛び交ったが、指摘するのも照れ臭くてやめた。わたしが口をつけたものだぞ、と言ってしまったら、なんだか言ったこちらのほうが恥ずかしくなる気がする。いちいち気にするなんて年頃の乙女でもあるまいし。いや、一応結婚適齢期というやつではあるのだが、ロメリーは曲がりなりにも神官だし、こんな状況で愛だ恋だのにうつつを抜かしている暇はないのだ。
ない、のだ。が。
「ひとが食べていると、おいしそうに見えないか」
魔導士がパンにかじりつきながら言うので、素直にうなずいてみた。
すると、彼はめったに見せないうれしそうな顔でにこりと笑った。
心臓が、胸を突き破って出てきてしまうかと思った。
「食べるか。食いかけだが」
「い、いりません」
端的に答えて、
「そうか」
「や、やっぱり食べます」
膝に視線を落としたまま、がんばって言い直す。
魔導士が、小さく笑う気配がした。
このまま村へ出て、盗賊団から逃げてきた青年に会いに行くと言うと、気が向いたように魔導士も同行を希望した。
「少し前に村に現れた奴だな」
「そうです。もうずいぶん傷も癒えたようで」
「討伐任務に関わる気はありそうか?」
丘を越えて森林沿いを歩きながら、ロメリーは答えた。
「どうでしょう。わたしも最初に会ったきりなのです。近況を又聞きしただけなのでなんとも」
「情報提供くらいは無理にでもさせる。このあたりに奴らが留まっているなら、早めに部隊の増援要請をしておかないと」
常に城に引きこもっていると思いきやどこかへ出掛けて三日帰ってこないこともたまにある自由気ままな魔導士は「それにしてもこんな辺境に盗賊団か……」と意味深なつぶやきを残して、慣れたように歩いていく。
やがて村に着くと、村民たちは珍しい客人を前にしてお祭り騒ぎを始めた。あっちからこっちから貢ぎ物が寄せられるが、魔導士は気にしたふうもなく「気持ちだけもらう」と言ってすたすた進む。
「魔導士、人気者ですね」
「娯楽の少ない村だしな」
よくわからない答えを置いて、魔導士は村長の家に入っていってしまった。
慌ててあとを追い、村長の案内を受けて裏口から外に出た。どうやら例の青年は家の裏で薪割りをしているらしい。
「ずいぶんと元気になったもんだ」
「彼はよく手伝ってくれまして、家内が喜んでおりますよ。預かってよかった、てね」
にこにこと接待する村長を、魔導士は苦笑して家の中へ戻らせた。村長には村長の仕事があるのだ。魔導士にも、ひとの邪魔をしないようにするだけの分別があるようだった。
かこん、ばきっ、と薪割りらしい音がする方向へ、魔導士が足を向ける。ロメリーはまたしても置いてきぼりを食らい、急いで村長に会釈して彼の後ろ姿を追った。
そしてその先で、なんとも目眩のすることが起きたのだった。
「魔導士様!」
青年は魔導士に気づくや斧を取り落とした。
「魔導士様……ああ、そうだ俺、いや、私は、ああ……魔導士様――――魔導士」
いや。魔導士に会えて感動したのはわかったのだが。
何やら尋常でない様子で魔導士を凝視し、ついには彼の目の前に走り込んできてがばりと地面に伏せた。
これにはさすがの魔導士も気味悪そうに片足を引いていたが、近づくなとは言わない。じっと固まって、青年が敵か味方かを見極めるみたいに観察している。
「再びお目にかかれたこと、まずは神に感謝せねばなりません」
いつの話か、青年は魔導士とは邂逅済みのようだった。しかし魔導士には覚えがないらしく、警戒を解かない。
さてはこの青年、盗賊団を抜けたというのは嘘で、魔導士を殺害するために送り込まれてきた男なのでは。
ロメリーはいざというときのため、なけなしの魔法で応戦するべく身構えた。
ところがその必要はまったくもってなかった。
「魔導士。ジャック・バッカスを覚えておいでですか……!」
魔導士はそれを聞くや、彼の目線に合わせるために片膝をついた。
「正騎士バッカスか」
すると青年はこくりとうなずき、魔導士の前にひれ伏す。まるで死に別れた主君に再会できたといわんばかりの、情熱的な態度だった。
ロメリーはそれを若干引き気味に見つめていたが、魔導士はむしろ多大なる失敗を犯したかのように苦渋の表情で「また会えるとは」と声を震わせて言う。彼も青年と会えたことに感動しているらしいのは、傍目にも明らかだった。
「本当に、バッカスか。おまえが」
「はい。姿形が原型を留めておりませんでしたので、もはや証明する術もありませんが……」
うそだ。
ロメリーの頭を巡るのは、青年が張った罠の可能性。
彼がこの村で名乗ったのはジャック・バッカスという名ではない。報告では、ロン・ハモンドと聞いている。
だいたい、正騎士とはどういうことだ。王家直轄の近衛騎士のことではないか。王子または王女一人に対し、二、三人の正騎士が付き従い生涯を共にする従者制度だ。だから年若い者が選ばれるのはわかる。
しかし目の前にいるロン・ハモンドあるいはジャック・バッカスは、騎士にはとても見えない。
ロメリーは感動の再会をこれ以上見ていられず、低い声で威嚇するように言った。
「正騎士でない者が正騎士を名乗るのは罪です」
そこでようやくロメリーの存在を思い出したのか、青年が慌てて立ち上がり、令嬢相手にするようにうやうやしく一礼した。
所作だけは、なぜかやたらと洗練されている。顔つきまで違って見えるのは、果たして気のせいだろうか。
「失礼、レディ。あなたに助けていただいたのに、ろくなお礼もできずに心苦しく思います。感謝の心を示せるのならどんなことでもいたしましょう、なんなりとおっしゃってください」
彼のその口調。言葉遣い。眼差し。雰囲気。どれをとっても、初めて会ったときの青年とはかけ離れていた。怪我や興奮で意識がはっきりしていなかったせいだと思いたいが、これではあまりにも――ひとが違いすぎる。
まったく別の人間……そう考えたとき、ぞっとした。
この男は、誰だ。なんなのだ。姿形は変わらないのに、中身だけが入れ換わったような奇妙な変化。
どこで入れ代わった? 双子か? それとも別人格が彼の中には何人も存在しているというのか?
目の前がちかちかして、めまいがした。
「ロメリー」
こちらを見つめる魔導士の、深淵のような瞳。落ち着かせるようにゆっくりとした発音でもう一度名前を呼ばれると、浮いていた足が地面についた気がした。
我知らず止めていた息を吐いて、深呼吸。肩の力が抜け、ちゃんと魔導士の目を見つめ返すことができた。
「荒唐無稽な話をしよう、ロメリー。だがこの男を警戒する必要はない。俺の知古だ、それも相当に古い」
「……まあ、そういうことになりますね」
苦笑して青年が同意する。
魔導士にとっての古き知り合いとは、ロメリーたちの考える昔馴染みとは意味合いが異なるはずだ。なにしろ彼の生涯は百年以上も前から始まっていて、今なお終わりを見せない。それなのにあえてその言葉を使って彼を紹介するということは、並々ならぬ関係にあったと告白しているのと同じこと。
ジャック・バッカス。いわく、正騎士の男。
ロン・ハモンドと名乗っておいて、いったいなんのつもりで魔導士に取り入った?
ロメリーは、彼を城へ招くと言う魔導士をじっと睨んだ。




