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 魔王。それは私がこの世界に召喚された理由。魔王を倒せと言われたんだ、私は。

 アルフレートが「魔王」と呼んだ人物を見る。その人物は前に一度だけ会ったことのある人物だ。

 恐ろしいほどの透き通った紅の瞳に腰まである癖一つない綺麗な銀色の髪。この人物ほど恐ろしくて美しい人物はいないであろうと思うほど、整った顔立ちをしている。


「魔王って……」


 少しばかり魔王と呼ばれた人物とは距離があるが、私が小さく呟いた言葉は聞こえたみたいだ。綺麗な顔は歪んだ笑みを浮かべる。

 顔が整いすぎると逆に怖いというが、この人物は確かにそうだと思った。整いすぎて、この世の者とは思えない。

 微かに震える私の体を落ち着かせるためにアルフレートが抱き締める力を込める。それは私のためであるが、それと同時に彼も安心したいがためであると知る。


「魔に堕ちて記憶を失ったとしても、貴様はそのままなのだな。アルフレートよ」


 一定の距離を保ちながら美しすぎる魔王である人物はアルフレートに語りかける。眉をひそめ、彼はただその人物を睨み付けていた。


「何もかもを失う覚悟で少女を手に入れたのは、果たして正解だったのかな?」

「……何が言いたい」

「アルフレートよ、貴様は馬鹿なことをした。少女さえ助けなれば、貴様は人として生きていけたのにな」


 狂った笑い声が静かすぎる辺りに響いた。

 私はただ笑い声を聞きながら、そっとまぶたを閉じる。それは自分を呪うために。

 私さえいけなれば、アルフレートは人として生きれた。その真実を知り、胸が苦しい。私が彼を魔に堕としたんだ。

 アルフレートは何も言わない。その事実を知っても何も言わない。彼を見るのが怖くて出来なくて、私は彼の胸に顔を押し付けていた。

 だけど魔王のことが気になり、目線だけはそちらを向いたままだ。


「貴様が魔に堕ちてまでも助けたかった命なんて、ちっぽけなものよ。力もなければ、何の取り柄もないただの少女」


 魔王は何も言葉を発さないアルフレートに語りかける。その話を聞いたら危険だと本能的に察したのに、私には話を止めることは出来ない。

 どくん、どくん、と私の心臓が鼓動する音と同じようにアルフレートの鼓動も激しさを増す。


「何故、貴様は少女を助けたのだろうな。ただ一人だけ生き残った少女が可哀想だったからか。それとも……」


 綺麗な整った顔に歪んだ笑みを見せた魔王はアルフレートに向けていた視線を一瞬だけ私に向ける。濁りのない紅の瞳に私が映った時に、いいようもない冷気を感じた。


「それとも、少女が貴様に似ていたからなのか。生きたいと、そう言っていた貴様に似ていたからか」


 私を強く抱き締めていた手から力が抜ける。するりと抜け落ちるように私はアルフレートから離された。

 離したのは紛れもない彼自身。黒の濁りを帯びた紅の瞳を持つ彼だ。


「生まれながらにして強い力を持っていた貴様は魔物に魅入られ、人からは迫害を受ける。それでも尚、貴様は生きたいと願った。それは何故だったかな?」

「……それは」


 駄目だ。これ以上、話を聞いたら駄目だ。

 本能的にそう察するが、私は一歩も動けない。呼吸が苦しくて、立っているのがやっとだ。

 しっかりと気を持ってないと今にでも倒れそうだ。


「復讐をするのだろう?」

「……っ」

「己を迫害した人を復讐するために、人として生きて魔族には絶対ならないと言っていたのに貴様は馬鹿な男よ」


 結局は一人の少女を助けるために魔族になった馬鹿な男。そう囁く魔王の声は冷たいのに、どこか楽しそうだった。


「俺は……」


 微かに震えるアルフレートの体をギュッと抱き締めたいのに、私は動けない。何も出来ない私に嫌気が差す。

 地面に倒れ込むのは狼。震える体に力いっぱいに手を握り締めているのはアルフレート。動けずに何も出来ないのが私。

 それを楽しそうに見つめるのは魔王ただ一人だけ。魔王だけが今の状況を楽しんでいる。


「アルフレート、今はもう貴様は魔族だ。人を喰らう魔族よ」


 アルフレートに向けて手を差し伸べる魔族の頂点である魔王。

 その人物が言っていることは分からないのに、彼をそちらにやってはいけないということだけは分かる。


「ある、ふれ……とっ!」


 力を振り絞ってアルフレートの名を叫ぶ。それなのに、彼は私の方を見ようともしなかった。

 魔王は冷たく笑う。全てを狂わせようと笑みを深めた。


「貴様が理性を失くして魔に堕ちる手伝いをしてやろう。そこにいる少女を私が殺してやろう」


 その言葉を聞いた瞬間に生きることを諦めたのは私か、それとも彼か。どちらにしても、私と彼に幸せに笑い合う未来は存在していなかった。



 事故で死んだ両親。本来ならば、そこで私も死ぬはずだった。

 夜に山道を走行中、いきなりどこからか飛び出てきた動物に気を取られて崖から車ごと転落。その瞬間に私は隣に座っていた母親に抱き締められていた。

 気が付けば、私は森の中で空を見上げていた。

 周りを見ると胸が苦しくてどうしようもない。なにせ、私の大切な両親が動かないのだから。

 それに私の体も動かない。痛くて、意識が遠のきそうだ。

 月がない星だけの夜空は綺麗で、私は囚われる。そこに現れた一人の男性に。

 男性は私に囁いた「生きたいか?」と。それに私は答える。生きたい、と。

 それは男性が禁忌を犯してまでも私を助けた理由だということは、その時の私は知らなかった。



 赤黒く染まるのは一体誰なのだろうか。その人の心臓に刺さる綺麗な剣は誰のものなのか。

 その問いの答えは既に知っている。それでも、私は理解したくないだけだ。


「あ、あ……あるふれ、と?」


 どうしてなのだろうか。魔王は私に向けて剣を振ったはずなのに、その剣は私じゃなくてアルフレートに刺さっているのか。

 どうして、アルフレートから赤黒い液体が流れているのか。その液体に触れると温かいのか。


「りいな……」


 どうして、彼の瞳は黒く濁った紅じゃなくて漆黒の瞳なのだろうか。

 私の名を知らないと言った彼は私の名を呼び、私を抱き締めるように地面に崩れ落ちた。

 その時には既に心臓に刺さっていた剣は抜けていて、美しすぎるほど残酷な魔王はいなくなっていた。


「なんで、なんでっ!」


 抱き締め合いながら一緒に地面に倒れ込むアルフレートのぬくもりを感じる。さっきまでは冷たい彼だったのに、今は初めて会ったあの時のように温かい。

 嬉しいはずのぬくもりは今では切ないだけ。止まらない温かい液体は命の儚さを伝える。


「りいな、ごめんな。ごめん」

「もう、謝らないでよ……」


 貴方の懺悔は何度も聞いた。何度も何度も、耳に残るぐらい聞いたんだ。


『側にいる』


 そう約束したのは彼だった。それを最初に破ったのは私。でも、最後に約束を破るのは彼。

 既に呼吸をしているのかも怪しい彼を力いっぱいに抱き締める。それでも、彼は私を抱き締める力は残ってなかった。


「りいな……俺の初恋の子だよ」

「ばか」


 微かに笑い声を上げ、彼は囁いた「すき」と消えそうな声で。

 私はそんな言葉を聞きたかったわけではない。懺悔でもない、告白でもない。私が聞きたかった言葉は「生きたい」という言葉だった。

 だけど、彼は最後までその言葉を言うことはなかった。


 すき、という言葉を残して何も言わなくなった。いいや、言えなくなった彼に私はそっと微笑んだ。


「私は貴方を忘れないから……」


 苦しそうにしている彼を助けてあげるのは一つの方法しかない。魔法も何も使えない私だから、その方法しかないんだ。

 彼の腰から剣を抜き取る。その剣は重くて、今にも手から滑り落ちそうだ。

 だけど、それは剣だけの重さじゃないということは知ってる。私は今から彼のアルフレートの願いを叶えるんだ。


『お前の手で俺を殺してほしい』


 その願いはあまりにも残酷で、罪深いもの。

 その願いを叶える私は罪を背負う。それがどんなに重いものか、苦しいものか、赦されないものだとしても私は背負うことを決めた。


「ありがとう、アルフレート。私も初恋だったよ」


 アルフレートに見せたことがないとびっきりの笑顔で私は囁いた。

 だけど、彼は言うかもしれない。「変な顔だな、泣きながら笑うなよ」って、そう言うかもしれない。

 涙でぼやけた世界が赤黒く染まった。


「い、やっ……あるふれーと、ごめんなさい、私の所為で……」


 泣きながら叫ぶ。喉が枯れても、涙が出なくなっても、私は謝り続けた。

 泣くな、そう言ってくれた彼はいない。私が殺したんだ。私がこの手で。


『貴女様はこの世界を救うために呼ばれたのです。魔王を倒すために』


 ふと思い出すのは初めてレオンに会った時の言葉。

 大きく息を吸って吐き出す。胸元をギュッと握り締め、私は瞳を閉じた。


「アルフレート、ごめんなさい」


 私は彼が守ってくれた命を無くそうとしているのかもしれない。それでも、私は決めたのだ。

 私は生きたい、両親がアルフレートが守ってくれたこの命で生きるために。

 逃げているだけでは駄目なんだ。逃げているだけならば、それは生きるとは違う。


 最後に閉じていた瞳から泣きすぎて枯れたかと思った雫が一雫だけこぼれ落ちた。

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