18
いつの間にか、私は眠っていたみたいだ。
ベッドの上で毛布を被っていて、寒くないようにしてくれている。きっとアルフレートがしてくれのだろう。
「空がきれい」
窓から見える空を見上げると暗い夜。その所為で星が輝きを増しているが今日は月があるため、星が目立つことはない。
それでも綺麗だと思うのは夜という神秘的な雰囲気はアルフレートを思い出すからなのか。
ベッドの上でしばらく空を見上げていたが、寝る前までは近くにいたアルフレートがどこに行ったのか気になる。気になり過ぎてベッドから抜け出した。
外に誘われるようにドアから外に出る。その時に初めて気が付いたのだが、私がさっきまでいたところは小屋みたいなところみたいだ。
「アルフレート……」
小屋の近くにある大きな石の上に座り、漆黒の狼の頭を撫でているアルフレートがそこにいた。
ピクッと耳が動き、狼は私の方に顔を向ける。それに釣られるようにアルフレートもこちらを向いた。
「おいで、俺の愛しい人」
片手を私の方に差し出す。その手にそっと手を添えるとグイッと引っ張られた。
アルフレートの腕の中に抱かれ、鼓動が速さを増す。それに気付かないふりをして、漆黒の狼の頭を撫でてみる。
狼は私の手に頭をすり寄せ、甘える仕草をする。それを見たアルフレートはギュッと更に私を抱き締める力を強くした。
「ヴォルフ、こいつは俺のだ。お前のではない、俺の愛しい人なんだ」
狼の頭を撫でていた私の手を掴み、狼に見せつけるように唇を奪う。何度も求められ、息が苦しくなった時に唇を離された。
いきなりのことで何も分からずに私は怒るよりも先に「ヴォルフって?」と口に出していた。
眉をひそめ、私を見つめる。黒く濁った紅の瞳は悲しげに揺れている気がしてならない。
「お前の名は覚えてないというのに、この狼の名は覚えているんだ」
「……そう、なんだ」
狼の名はヴォルフというのか。そんなことをあえて考えようとした。
そうしないと、アルフレートが言った言葉で泣きそうになるからだ。私の名前を覚えてないということに。
私の異変に気付いたのか、アルフレートは不器用に私の頭を撫でる。それは狼の頭を撫でていたよりも優しく壊れ物を扱うように。
魔に堕ちる前の記憶を失う前のアルフレートの撫で方はポンポンと叩くように撫でていた。それなのに今はこんなに優しく撫でるのか。
「乱暴に扱っても私は壊れないよ」
「……駄目だ、そう言わないでくれ。俺はお前を本気で壊しそうなんだからさ」
優しいすぎる。酷く優しく撫でる手付きに何も言えなくなる。ただ、何も言わずにアルフレートの胸に頬をすり寄せた。
壊れないと私は言うが、彼になら壊されてもいいとさえ思う。何もかも壊れて、彼以外何も考えられずにいられたらどんなに幸せなんだろうって。
だけど、現実はそうはいかない。私は考えなければいけないんだ。これからどうすればいいのかを。
「俺はお前の名前を知らない」
「……ううん」
そっと囁かれた声に首を振る。
名前を教えることは簡単だが、私は教えたくない。アルフレートだけには教えたくないんだ。
顔を上げ、睨み付けるようにアルフレートを見つめた。
「知ってる」
「知ってるって?」
「貴方は知ってるはずなの。私の名前を知ってるはずなんだから」
思い出してほしい。私のことを、自分のことを。
あぁ、でも彼は彼じゃないから思い出さないのかもしれない。今までの彼じゃないから。
彼は彼であって違う人。魔に堕ちるというのはこういうことなのか。
「悪い。俺は思い出せないんだ」
じゃあ、なんで狼の名前は知ってたの。そう問いかけたいのに声が出なかった。
彼に、アルフレートに思い出してほしいのは私の自己中心な願いだ。
彼にとっては思い出さないほうがいいのかもしれない。私は彼を傷付けてばっかりだから。
それに記憶があれば、彼は私を守ろうとするだろう。それだけは駄目なんだ。私は守ってもらうほどの価値はない。
「そう言っても、私は名前なんか教えないから」
そう言ったのは私の強がりだった。
本当は今にでも悲しくて泣きたいのに、それを我慢するにはそう言うしかなかった。強がるしかなかったんだ。
俯いて、アルフレートの胸に顔を埋める。彼の鼓動の音を聞いて、心を静めた。
「お前は酷いな。なんでこんな酷いお前を俺は愛おしいと感じるように、お前を食べたいと思ってしまうのだろうか」
スッとアルフレートの指が私の首をなぞる。ピクッと体が跳ね、甘い痺れが全身を駆け巡る。
ふと彼の今の表情が気になり、顔を上げてしまう。そのことを早々に後悔した。見なければよかったと。
彼は薄く微笑み、黒く濁った紅の瞳には危ない光を帯びていた。それは危険な色だ。私を捉えて離さない。
「俺の愛おしい人。俺だけが味わっていい、俺だけのもの」
首を触っていた指はあごを掴み、顔の位置を固定する。私が顔を背けないようにするためだ。
近付いてくる顔に顔を背けることも視線を逸らすことも出来ない。それほどまでにアルフレートの瞳は危険で、それでいて美しい。
「お前を壊したくない。だけど、それ以上に俺はお前を壊したい」
「あ、るふれーと?」
クッと冷たい笑みを浮かべるのはアルフレート、彼自身。
人懐っこく笑うのに悲しそうで、それでも嬉しそうに笑う彼はいない。いないのに、私は彼に囚われた。
冷たい笑みを浮かべる魔に堕ちた彼に私は囚われる。
「この首筋に噛み付いて、気が済むまで甘い血を飲み、お前を殺したくて壊したい」
噛み付くようにアルフレートは唇を貪る。
餓えている。彼は血に餓えているんだ。
魔族は血を飲む。そのことを知った時は驚愕だったが、魔族は血に餓えているから血を飲むのだ。
餓えているはずの彼は私の首筋に牙を立てない。壊したい、殺したいと言うのに彼は何もしない。
ただ、唇を何度も味わうように貪るだけだ。
「夢を見たんだ。お前が俺以外の奴の側にいる夢を」
唇を離し、彼は囁く。それは冷たい笑みを浮かべる彼には相応しくない悲しそうな声だった。
「そんなこと許せないと思ったのに、俺は遠くで見ていただけだった。決して近くにはいけなくて、お前に伸ばした手は届かなかった」
私の首に触れ、髪に触れ、唇に触れる。そこに私が存在していることを確かめるようにアルフレートは優しく触れた。
触れてくる手を握り、私は彼に向けて微笑んだ。
「星の代わりにアルフレートを掴んでしまいました」
それは綺麗な星に手が届かなかった私の手を掴んでくれた彼に言った言葉。その頃はまだ大神と呼んでいた頃だ。
アルフレートは私の手をギュッと強く握り締める。強く、離れないように握り締めた。
「お前は馬鹿だな。自分で自分を戻れないところまで堕とすなんて、馬鹿がすることだ」
「馬鹿じゃない。私は自分自身で決めてるの、自分がすることを」
「それが馬鹿のすることなんだよ。お前はもう、俺から逃げれないんだ」
黒く濁った紅は何の色にも濁ってない紅よりも美しい。美しくて目が逸らせない。
その瞳になら囚われていいと思った時だった。
狼の威嚇する声がどこからか聞こえた。それはアルフレートの狼であるヴォルフの声だ。
声に反応してアルフレートも私を抱き寄せ、周りを見渡す。
「狼如きでは私に敵うはずがないだろう?」
一回だけ会ったことがある人の声が聞こえ、狼が私達のすぐ近くに投げ飛ばされる。漆黒の綺麗な狼は無数に傷を負い、今にも危険な状態だ。
投げ飛ばされた方向から歩いてくる一人の人物。それは夜でも分かる綺麗な銀色の髪をして、濁りのない紅の瞳の人物。
「魔王」
呟いたアルフレートの声は、はっきりと私の耳に届いた。




