16
まだ口の中に残る甘い味。不思議だった、なんでこんなにも血が甘いなんて感じるのだと。
ベッドの上でアルフレートに抱き締められ、そのままついさっきの出来事を考えていた。
私を抱き締め、目を瞑っている彼はどうやら寝ているみたい。そっと顔にかかっている黒髪を払い、彼の顔を観察する。
「まつ毛が長い」
至近距離で見つめているため、今の状態に関係ないことにまで気付く。
そんなこと気付いてもどうしようもないというのに。息を吐いたが、長いまつ毛が視界に入る度に触りたいという欲求が私の中で芽生えてしまった。
恐る恐る手を伸ばし、アルフレートに触れる。冷たい感触が指先に当たるが、それを気にしないようにまつ毛に触れた。
「ん……」
アルフレートから小さく声が漏れたのでビクッと体が跳ね、彼から手を離す。
起きたのかなと彼を見つめるが、未だに瞳は閉ざされたままだ。起きなかったことにホッと安心する。
今はまだ心の整理が出来てなくて、どうしていいのか分からないからだ。
寝ている所為か、アルフレートが私を抱き締めている力は弱い。今なら逃げようと思えば逃げられる。
そうしないのは、ここがどこか分からないから。いいや、違う。私は自分自身が分からなくなってしまったからだ。
アルフレートのことを考えると胸が苦しいぐらい痛み出すのに、冷たい体温を感じると温かいぬくもりのレオンを思い出す。レオンのことを考えてしまう。今はどうしているのだろうとか、大丈夫なのだろうかとか、私を探してくれるのかとか。
そっとアルフレートの胸に耳を当てる。どくんどくんと鼓動する心臓に心を落ち着かせながら、私は瞳から溢れ出る雫を止めることは出来なかった。
声も出さず、静かに瞳から雫がこぼれ落ち、アルフレートの服にしみをつくる。
落ち着いたころには既に意識はまどろみの中に消えていた。
月がなく星が綺麗な夜。暗さに目が慣れた私は目の前に広がる光景を見つめていた。
すごくきれい、とそう呟いて腕を伸ばそうとする。だが、全身が痛くて腕が上がらない。
痛くて、どうしようもない。私は周りに誰かがいないのかと確認する。誰かに助けてほしいと。
周りを確認して、私は絶望した。見なければよかったと、そうすれば何も知らずにいられたのに。
少し距離が離れていても、暗さに慣れた目は捉えることが出来た。赤に染まり、歪な形に曲がった物体を。
私は運がよかったのだ。全身が痛いが、そうはなっていない。血は出てるかもしれないが意識がある。
だけど、私は全く嬉しくなかった。当たり前だ。だってそこにいるのは、私の大切な人達なのだから。
私がまだこんな状態なのは、きっとその人達が私を守ってくれたから。あの時に隣にいたあの人が私を強く抱き締めてくれたおかげ。
だから、私はまだ生きている。そう、私は生きなくてはいけないんだ。あの人達が守ってくれた命を大切にしないと。
なのに、段々と意識が薄れていく。それでも私は腕を伸ばそうとした。大切な人達が向かったであろう空へと。
『生きたいか?』
その時に聞こえた声に私はただ答えた。生きたい、と。生きなければいけない、と。
『そう、生きたいか。ならば、助けてやろう』
私に触れる心地よいものは唇に触れた。温かいのに錆びた鉄のような味のものが口いっぱいに広がる。
ごくりと飲み込むと、渇いていた喉が潤う。
『ごめん、な。お前の全てを俺は奪ってしまった。もう後戻りは出来ないんだ。お前の未来も俺は奪うから』
意識を失う前に見たのは、泣きそうな顔でそれでも嬉しそうに微笑んでいた暗闇が似合う男性だった。
次に目を覚ました私は、さっきまでと変わらない暗闇の中だった。
時間が大分経った気がしたが、そこまで経ってないのだろう。暗さは相変わらずなのだから。
夜空を見上げ、変わらず綺麗な星を掴もうと腕を伸ばした。痛くて伸びなかった腕は私が思うままに動かせる。それに痛みもない。
『お前、名は何というんだ?』
寝っ転がって星を掴もうとしていた私の隣に座っていた男性が顔を覗き込んでそう問いかけてくる。男性は意識を失う前に見たあの男性だ。
りいな、と自分の名を言うと嬉しそうに笑い「側にいる」とそう言ってくれた。今の私には一番嬉しい言葉を男性は言ってくれたんだ。
『……側にいてくれるの?』
『あぁ、側にいる。そう、俺が完全に魔に堕ちるまでは』
泣きそうなほど顔を歪めているのに男性は涙を流さない。その代わりに私が涙を流した。泣かない男性の代わりに。
流した涙を拭き取る手は酷く優しくて温かい。冷たくなってまだ体温が温まってない私にとって、それは気持ちいいものだった。
『だから、お前も俺の側にいてくれよ』
『あなたも寂しいの?』
私が寂しくないように男性は「側にいる」と言った。だから男性が自分の側に私がいることを望んだのは彼が寂しいと思ったからだと考えた。
『あぁ、そうだな。寂しくて悲しくて、どうしようもないって感じだ』
掴めない星を掴むのを諦めた私は、涙を拭ってくれていた男性の温かい手を掴む。
そして問いかけた。あなたも生きたいの、と。
男性は「生きたいと思う」と言うのに、私に「代わりに生きてくれ」と言う。それではまるで、男性はもうすぐ死ぬと言っているようなものではないか。
『お前は死にたいとは思わずに、生きたいとだけ考えろ』
私はその言葉に頷いた。私は生きたかったんだ。大切な人達から守ってもらった命を大切にしたかったんだ。
男性は辛そうに顔を伏せ、握っている手に力を込める。
『ごめんな。俺はきっとお前に酷いことをしているんだろう。でも、それでも俺はお前を……』
何度も謝る男性に、もう謝らなくていいんだよと伝えるためにそっと握ってない方の手で手を撫でた。
驚いたように私の顔を見た後で、男性は囁く。謝罪の言葉を。
『ごめん。ごめん、な』
ぽたりと私の頬に一雫がこぼれ落ちた。
私は知らず知らずの内に涙を流していた。確かに意識を失う前は泣いていたが、その後も泣いていたなんて分かるわけもない。
気付いたら私は優しく背中をさすられながら、アルフレートに抱き締められていたみたいだ。
「アルフレート、貴方は……あの日から私の側にいてくれたんですか?」
私はアルフレートの胸に頭を埋めるので彼の顔は見えないので表情は分からない。だが、彼が笑みをこぼしたのは分かった。
優しく背中を撫でていた手は私の髪を梳くように撫でる。
「ずっとではないが、お前の支えになれたらいいと考えていた。本当はずっと側にいたかったが、お前には親戚とかいろいろいたからな」
なかなか近付けなかったよ。そう呟く声色は会えなかった分の寂しさと辛さが入り混じっているような気がした。
「もう一度、聞く。お前は俺の側にいてくれるか?」
ここで頷かなければいけないと思った。だけど、私は頷けなかった。
それは側にいられるかなんて分からないから。側にいたいと思うほど、遠ざかる。
遠ざかるほど、心は強くその人のことを想う。ならばいっそのこと、約束なんてしなければいい。
『僕が守りたいだけですよ』
酷いのは一体誰なのだろうか、とアルフレートは前に言った。そして私が一番酷いのだとも言った。
その通りだ。私が一番酷い。今だって、目の前にいるアルフレートのことではなくて、ここにはいない人のことを考えている。
「あいつのことを考えているのか。なんで、なんでお前は……」
強く、更に強く抱き締められる。潰されるのではないかと思うほど、強く抱き締めれた。
これ以上、抱き締めてほしくない。そうしなければ、アルフレートが震えているなんて嫌でも思い知らされてしまう。
「……っ」
「あるふ、れーと?」
いきなり抱き締めていた腕が離れ、アルフレートは心臓のところの服をギュッと握り締める。苦しそうな声を漏らす姿が私の瞳いっぱいに映し出された。
私は起き上がり、アルフレートの顔色を伺う。生気がない顔色をしている彼にそっと触れる。
冷たくて、指先が凍りそうだと思った。
「なんで、なんでさっきよりも冷たいの……」
「はぁ、っっ……りいな、お願いがある」
アルフレートに触れた手を握られる。
彼は私に微笑みかけた。その笑みは愛しのものに向けるものだ。
「お前の手で俺を殺してほしい」
その願いは酷く残酷なのに、彼は酷く優しげで愛おしそうに微笑んでいた。




