15
酷く危険な紅い瞳を持つ人物が残した言葉が頭の中で何度も繰り返される。
『レオンとアルフレートに出会った時点で貴様はもう、逃げられないんだ』
この言葉の意味は何なのだろうか。逃げられないというのはどういうことか。それはこの世界から逃げられないということなのか。
私はこの世界に召喚され、元の世界には戻れない。そういう意味であの人物は言ったのだろうか。
はぁ、と息を吐き出す。あまり考え過ぎては駄目だと分かっているのに考えてしまう。それは、この世界での私の意味だ。
「レオン……」
ベッドの上に膝を抱え、座り込む。
私がこの世界に来たのはレオンの所為だ。彼が勇者召喚というよく分からないことをした所為だ。
なのに引っかかりを覚えるのはなぜ。本当にレオンだけの所為なのか。
それにレオンはどうしているのだろう。あの量の血が出て、無事でいるはずがない。でも、アルフレートは大丈夫と言った。それを今は信じるしかない。
「レオンは最低で最悪で、酷くて嘘吐きで馬鹿な男」
だから大丈夫。それに意識を失う前に私の名を呼んだのは紛れもないレオンだ。だから大丈夫なんだ、彼は生きている。
膝に顔を埋め、そっと涙を流した。ぎゅっと自分を安心させるために自分自身を抱き締める。
「一番酷いのは一体誰なのだろうな」
部屋に低い声が響いたが、私は顔を上げることはしなかった。声だけでその声の持ち主が分かったからだ。
顔を見ずに声だけを聞くと思い出すことがある。この声を私は昔にどこかで聞いたことがあると。
「俺にとってお前が一番酷いんだと思うな」
ギシッとベッドが音を立て、少しだけ沈んだ。彼がベッドに乗り上げたのだろう。
肩を掴まれ、後ろに押し倒される。その時、私は彼のアルフレートの顔を見た。
ぽたりと私の頬に雫がこぼれ落ちる。この雫は彼が流したものだ。彼は一粒だけ涙をこぼしたのだ。
「どうして、お前は俺以外の者の名を呼ぶんだ。あの時に約束しただろ、俺が側にいるって……」
「……あのとき、って」
未だに私の肩を掴んでいる手に力が込められる。グッと強く掴まれたため、肩に爪が食い込んだ。
痛みを堪えるために唇を噛み締める。その姿を見つめるアルフレートの瞳は誰もが魅了されるほど美しかった。
『側にいる。そう、俺が……までは。だから、お前も俺の側にいてくれよ』
最近になって見るようになった夢の中で男性が言った言葉が頭を過る。この夢は私の過去だと分かっていたが、あの男性が誰なのか分からなかった。
なのに、アルフレートは言う。あの時の約束と。
「俺がお前の側にいるって言っただろ?」
どくんどくん、と胸が苦しいぐらい鼓動する。苦しすぎて更に唇を噛み、苦しさを紛らわす。
じわりと口の中に血の味が広がった。唇を強く噛んだ所為で血が出たのだろう。
私をただ見つめる漆黒の瞳。その瞳は誰もが囚われてしまうぐらい艶やかだ。
「りいな、俺の側にいて……あいつじゃなくて、俺の名前を呼んで。お前の側にいると俺が俺でいられるんだ」
狡い。そんな懇願するように言わないでほしい。
思い出すのは新月のあの日のこと。月がないためか、星がいつもより綺麗だった日。
あの日に私は一人の男性に出会った。でも、なんでだろうか。なんで、私はあんなところにいたのだろうか。
深い森に傷付いた体。温かかった体温は段々と冷えていく。星を掴もうとして手を伸ばしたが、伸ばせなかった手。そしてあの言葉。
『生きたいか?』
ゾクッと全身が寒さを訴える。強く唇を噛み締め、私は寒さを堪えた。
涙が瞳から溢れ出し、頬を伝って唇から出た血と混じる。
「ぃ……や、わたしはどうして生きてるの?」
どうしてこの言葉が出たのか自分でも分からない。分からなくてよかったんだ。
私の言葉を聞いたアルフレートは泣きそうな顔でそれでも嬉しそうに微笑んだ。それは新月の日に見た笑みと一緒だ。
「ごめんな。俺は昔からお前を手放す気はないんだ。俺はお前の未来も奪うと決めていたから」
アルフレートは私の上から退かずに指で優しく唇を撫でる。唇からは血が出ていたので彼の指に血が付着した。
「ある、ふれーと……」
血が付着した指を見つめるアルフレートの瞳は危ないものを秘めている。私はどうしようもなく、ただ彼の名を呟いた。
今は怖いとはそういう感情は一切湧いてこなかった。なぜか、彼といると安心する自分がいる。それはアルフレートが大神だったころからだ。
「怖がるな、俺はお前に側にいてほしいだけだ」
「……怖がってない」
「そうか、それは嬉しいな。なら……俺の側にいてくれよ」
真剣な眼差しに何も言えなくなる。
そこで頷いたらいいのに私は迷ってしまう。本当に頷いていいのか、悪いのか。
黙り込んだ私の唇をスッと撫で、指に付着した血を舐めとった。
「お前が側にいてくれるのなら、俺はどんなことでも受け入れよう。例え、それが……」
笑みを浮かべたまま、アルフレートは話すのを途中でやめた。一瞬だけ顔から笑みがなくなったが、すぐに見慣れた悲しそうな笑みを浮かべる。
大神のころの彼の笑みは人懐っこくて無邪気だったのに、どうして今はそんな風に笑うのだろうか。
私はそっと彼の胸に手を伸ばした。冷たい体温なのに規則正しい鼓動が手に伝わる。
「自我も失って、完全に魔に堕ちようとも……」
胸に当てていた手を取られ、痛いぐらい握られる。冷たい手が私の体温を奪うのに、それでも彼の手は冷たいままだ。
「俺はそれを甘んじて受け入れよう。それが俺に対する罰だというのならば」
だから、お前はそれまで俺の側にいてくれよ。そう囁く彼の声は震えていた。
本当に狡い男だ。私は大神の時の彼からずっと助けられていて、彼からお願いされると断れないことを知ってて言っているんだ。
私は最後の抵抗というようにアルフレートの危ない漆黒の瞳を真っ直ぐに睨み付けた。
「私が嫌だと言ったらどうするんですか?」
「ごめん、な。お前が嫌だと言っても俺はお前を手放す気はないから」
なら、最初からお願いしなくていいじゃないか。手放す気がないなら、お願いじゃないじゃないか。
掴んでいた私の手を離し、冷たい手は私の頬をそっと撫でる。
冷たい手は気持ちとか思うのに、つい最近まで感じていた温かいぬくもりを思い出す私は最低なのだろう。
『僕が守りたいだけですよ』
守るというのは側にいてくれるという意味ではなかったのか。
私がこの世界で初めて出会ったあの最低最悪な男。その男は今は何をしているのか、大量に血を流して生死を彷徨っているのか。
あの男はこの世界での私の帰る場所だったのに。
「嘘吐き」
小さく呟いた声はすぐ近くにいたアルフレートにも聞こえていただろうに、彼は何も言わなかった。その代わりに、言葉を呟いた私の唇を塞いだ。
唇を塞いだものがアルフレートの唇だと分かると、彼の唇を噛んでしまった。思いっきり噛んでしまったから痛いはずなのに、彼は唇を離さない。
錆びた鉄のような私の血の味と、甘い媚薬のような味が口の中で混じり合う。
それを飲み込みたくないのに、アルフレートが私の唇を塞いでるため吐き出せない。耐え切れずにごくりと飲んでしまうと、唇から彼の唇が離れた。
「お前の血は甘いな」
違う。私の血は甘くはない。甘いのはアルフレートの血の方だ。
そういえば、レオンが言っていた気がする。私の血は魔族や魔物が好む血だと。私自身はアルフレートの血の方が甘く感じるが、きっと彼は違うのだろう。
そう考えるが私が何か言葉を発する前に血が出ている私の唇を舐める。魅力的な瞳で私を捉えながら。
「りいな」
吐息と共に囁かれた名前は甘さを含んでいたが、私はそれに流されないようにアルフレートから視線を逸らした。




