13
次に目を覚ました時に最初に目に入ったものは金色のさらさらした髪だった。
実際に触ってみると気持ちがいい。ずっと触っていたい感触だ。
この髪の持ち主は一人しか知らない。でも私が知っている人なら疑問に思うことがある。なんでいるのかと。私は目を閉じる前まではアルフレートと一緒にいたのに。
それに、いつの間にかふかふかなベッドの上に寝ている。
「レオン?」
小さく呟いた私の声に反応して、ゆっくりと彼が顔を上げた。蒼の瞳が私を捉え、スッと目を細めた。
「貴女は何をしているのですか。あんな奴にいいようにされて」
「えっ?」
あんな奴とはアルフレートのことなのだろうか。なにせ、私はアルフレートしか会ってないのだから。
それに目を覚ましたらアルフレートではなくレオンがいたことにも驚いた。私が眠っている間に何があったのか。
ベッドの上で私を押し倒したような形で私の上にのしかかるレオンは顔を歪めて首筋を撫でた。
「わざわざ僕が貴女に付けた痕を治し、自分を刻み込むなんて赦せませんよ」
ピリピリとした空気がこの場を支配した。
冷たい視線で私の首筋を見つめるレオンは口角だけを上げて笑った。ゾクッと背筋に寒気が走る。
首筋を優しく触れていた指に力が込められた。グッと肌に指が食い込む。
「……ぁ」
「赦せないのですよ。どうして、貴女は奴に血を飲ませたのですか?」
違う。飲ませたのではなく飲まれたんだ。そう訂正したいのに飲まれた時に感じた熱を思い出し、何も言えなくなる。
私が黙ったことでレオンは首から手を離したが、未だに私の上からは退こうとしない。
「貴女は僕だけをその瞳に映し出していればいいのですよ。そうすれば、可愛がって差し上げるのに」
蒼の瞳は私を映し出す。その瞳に映る私の姿は痛々しいものだった。
首筋に何かに刺されたような二つの穴の痕に、さっきレオンに首を絞められた時に付いたであろう赤い痕。
その姿を隠すために手で首を覆う。首に熱が籠っていたらしくて手が余計に冷たく感じられた。
「レオン。レオンはどうして私を殺さないの?」
「……っ」
自分でもよく分からない言葉が口から出ていた。どうしてこの言葉が出たかなんて、きっとレオンの所為だ。彼は私をいつも殺そうとしているのに殺さないからだ。
でも、レオンは私を殺させないと言った。凄く矛盾している。彼は常に私をもう少しで殺せる状態にまで追い込んでいるというのに。
いや、違う。レオンは私を「殺させない」と言ったんだ。それは彼以外が私を、ということ。彼本人は私を殺してもいいということだ。
「どうして殺さないの、ですか……」
珍しいと思った驚いた表情は既に消え、レオンは無表情で私を見つめる。そんな彼を私はキッと睨み付けた。
レオンを安全だと思っていた私は馬鹿だったんだろうか。彼が前に言ったように私は生かされているに過ぎないんだ。
それに守ってくれると言ったことも嘘なのだろうか。その言葉を聞いた時は本当は嬉しかったのに、嘘だと思うと胸が痛い。
本当なら大声を出して泣き叫びたい気持ちなのにそうしないのは泣きたくないと意地になっているから。意地になって、彼を睨み付けているからだ。
「貴女は僕から殺されたいのですか?」
「私は殺されたくなんかない」
「ずっと不思議だったのです。どうして貴女はそこまで生きたいのですか?」
「え、どうしてって……」
ただ死にたくないからではないのか。死んだら何も残らないからではないのか。
でも、今の私に生きる意味はあるのだろうか。突然、異世界に召喚されて「勇者」と言われた私に。
それでも私は死にたくないと思う。生きるか、死ぬかの決断を迫られても迷わず「生きる」と私は言うだろう。
『生きたいか?』
ふと思い出すのは消えゆく意識の中で必死に手を伸ばそうとした時に聞いた声だ。それはいつだったのかなんて覚えてない。ただ、その声の主が今にも泣きそうだったことが印象的だった。
その問いかける声に私は答えたんだ。
「私は生きたい」
理由なんてなくていい。私は生きたい、と。ただ、そう答えたんだ。
「私は生きたい。貴方は違うの?」
「僕ですか……」
フッと自虐的な笑みを浮かべたレオンは近くにあったテーブルから何かを取った。
何かを掴んでない方の手で私の腕を掴む。その腕を引っ張って、自分自身と私の向きを変えた。
さっきまでは私が下でレオンが上にいたけど、今はその逆だ。
「僕は生きたいとは思いません。別にこんな世界で生きる意味なんかありませんよ」
掴んでいた私の手にレオンは何かを握らせる。それはテーブルの上から取ったやつだ。
テーブルの上にはナイフが置いてあった。それをレオンが手に取り、私に握らせたんだ。
「……貴方は何がしたいの?」
声が震え、体が震える。ぷるぷるとナイフを持っている手も震えるが、それでもナイフを離さないのはナイフを握っている私の手にレオンの手が添えてあるから。
笑みを浮かべたまま、彼は私の手を導く。自分の心臓のところにナイフの先が当たる。このまま力を入れれば心臓にナイフが突き刺さるだろう。
「貴女に殺させるなら僕は死んでもいいですよ。別にこの世界に生きる理由なんてありませんし」
「ぃ、や……」
私の体が震える度にナイフも震える。それでレオンが傷付くのではないかと思い、震えを抑えようとする。
グッと私の手を掴んでいた手に力が込められた。少しだけ肉を切る感触が手に伝わる。
「レオンッ!」
ふるふると頭を何度も横に振る。瞳から流れ落ちた雫がレオンの頬を濡らす。
私の手を掴んでない方の手で彼はそっと涙を拭う。その手が温かくて、また涙が零れ落ちる。
「なら、貴女が僕に生きる理由を下さい。貴女が望むなら、僕は何でも致しましょう」
妖艶に微笑むレオンの瞳はどこまでも澄んだ蒼で私を捉える。私の頬に触れる手は温かくて、彼が生きていることを実感する。
人が死ぬのは簡単だが、人が生きるのは難しい。
「生きる理由を私に決めさせないで……でも、私が望むことを何でもするなら貴方は生きて。貴方はこの世界で私を守ってくれると言ってくれたじゃない。貴方が死んだら、その約束は果たされない」
レオンを睨み付ける。だが、きっと私は泣いていたから酷い顔だっただろう。
ナイフを握っていた手を掴んでいた手が離れる。私はすぐにナイフを遠くに放り投げた。
「そうですね。そう言えば、そういうことを言いましたね」
「そうよ、ばか」
ナイフで少しだけ傷付いた胸らへんをそっと撫でる。微かに服に血が滲んでいた。
妖艶に微笑んでいたレオンは小さく呻き声を上げる。頬を撫でていた優しくて温かい手が滑り落ちた。
ベッドの上に勢いよく手が落ち、シーツに滲む赤いもの。それはナイフで傷付けたところから出た血ではない。こんな大量に血が出る傷ではないからだ。
「くっ、はぁ……りいな」
私の名を呼んだと同時にレオンはどこまでも澄んだ蒼の瞳を閉ざした。
ばくばくと心臓が鼓動するだけで何をどうすればいいのか、私は何も分からなくなった。頭の中が真っ白になり、ただレオンの名前を何度も呼んだ。
『りいな』
私の名前を呼んだレオンの声が何度も再生される。彼は優しい声で私の名前を呼んだんだ。私はそれに応えなければいけない。
心を落ち着かせるために深く息を吸って吐き出す。それでも落ち着くことは出来なかったが、さっきよりは大丈夫だ。
「レオンの嘘吐き」
呟いた言葉は私の残った強がりだった。本当は今にも泣きわめいてしまいたいし、大丈夫でもなんでもない。
それでも、私は願った。レオンは大丈夫だと、きっと助かると。




