12
冷たい手が髪を撫で、頬を撫で、首筋を撫でる。冷たい手は優しい手付きをしているのに、どうしてそんなに壊れ物を扱うように触れるのだろうか。
私の意識は既に覚醒しているが寝たふりをする。何となくなのだが、この冷たくて優しい手をまだ感じていたいだけなのかもしれない。
「ごめん、ごめんな」
泣いているのか、彼の声は震えている。それになんでそんなに謝るのか。彼はどんな赦せないことをしたのだろう。
優しく撫でていた手はいつの間にか私を抱き締めていた。強く、生きているということを実感してしまうぐらい強く抱き締められる。
「だけど、これ以上は抑えられなかったんだ」
はぁと吐く息が耳にかかり、ピクッと体が小さく反応を示す。抱き締めていた彼はそれに気付いたみたいで「りいな?」と私の名前を呼んだ。
初めて彼から名前を呼ばれたのに、懐かしい気がするのはなんでだろうか。
「起きたのか」
目を開けるとすぐ近くにアルフレートがいた。あまりの近さに何度か目をぱちぱちとするが距離は変わるはずがない。
「ちかい、です」
「近付きたいお年頃なんだわぁ。もっと近付いていいか?」
「だ、だめです」
顔を更に近付けてくるものだから両手でアルフレートの顔を押す。フッと子どもが悪戯成功した時に笑うように彼は微笑んだ。
「釣れないなぁ、お嬢ちゃんはいつも俺に冷たい」
「……そんなことないですけど」
「いやいや、冷た過ぎて泣けてくるんだけど?」
こんな冗談みたいな言葉を交わすのはあの世界にいた時以来だ。だけど、隣人だった大神との距離は違う。今のアルフレートの方が距離が近い。
抱き締められているまま、私はそっと彼の首に触れる。そこも手と同じように冷たかった。
「冷たい。どうして、こんなに冷たいんですか?」
もう冷え性とか、そんなことは通用しない。ジッと真実を見極めるようにアルフレートを見つめた。
目を伏せ、彼はそっと息を吐いた。それでも抱き締めている力は弱まらない。
「俺は人ではないから」
「人じゃない?」
「正確に言うなら、人ではなくなった」
ますます意味が分からない。人ではなくなったならば、今はなんだというのだろうか。アルフレートは今まさに私の目の前にいるのに。
首に触れていた手を滑らせ、彼の心臓へ手を当てる。心臓は規則正しく鼓動していた。
「魔族」
「えっ?」
「魔に堕ちた人間のことを魔族という。俺は魔族なんだ」
魔族。その言葉はレオンからも聞いたが「魔族は血を飲む」ということしか聞かなかった。
アルフレートはそんな魔族だと言うのか。何かの冗談なのか。
私の考えていることが分かったのか、彼は首を振る。そして私を抱きかかえたまま、首筋をそっと撫でた。
「痛かったか?」
どくんと心臓が鼓動する。
私が意識を失う前にアルフレートは何をした。この首筋に何をしたんだ。
チラッとアルフレートの口から見える牙が物語っている。その牙を私の首筋に突き立てれば血が溢れ出るだろう。
「あ、っ……」
ぶるりと体が震える。だが、この震えは恐怖だけでくるものではない。恐怖と血を吸われた時に感じた熱を思い出して体が震えたのだ。
こんな気持ちを悟られないようにギュッとアルフレートの服を強く握る。
「俺が怖くないのか?」
問いかけに首を振る。怖くないわけではない。
私は魔族はただの恐怖しか感じないと思っていたのだ。それで怖くないとは言えない。だけど、アルフレートだからこういうことをしているのだ。
この世界と私がいた世界を知るのはアルフレートだけだ。レオンと違い、少し前からアルフレートのことを知っている。それがどんなに心安らぐことなのか、きっとアルフレートには分からないだろう。
だが、アルフレートもレオンと同じで本当に何を考えているのかが分からない。
「怖いなら、なんで俺の側にいるんだよ」
「怖い怖いと言っていても、何もできないですから」
「お前な……」
はぁと深くため息を吐き、アルフレートは前髪を掻き上げた。
どこまでも深くて吸い込まれそうな漆黒の瞳は私だけを映している。その瞳に囚われないために視線を逸らし、目を閉じた。
目を閉じると聴力が研ぎ澄まされ、どくんどくんとアルフレートの鼓動が聞こえる。彼の鼓動をもっと近くで聞きたいと、私を強く抱き締めている彼の胸に耳を当てた。
『お嬢ちゃんは今日が誕生日なんだから、俺に沢山甘えていいんだ。俺が全てを受け入れてやる』
ふと思い出すのは去年の誕生日のことだ。その日も彼に抱き締められたまま、鼓動を聞いていた。
懐かしい。そう思うと同時にあの時のアルフレートに触れた時は冷たいと感じていたのだろうか。
今、アルフレートがどんな表情をしているのか気になって目を開ける。彼は漆黒の瞳を閉ざし、私と同じように何かを感じようとしているみたいだ。
「アルフレート」
手を伸ばし、アルフレートの頬に添える。ぴくりと彼の体が反応して、ゆっくとまぶたが開いた。
「お嬢ちゃんは温かいんだなぁ」
「貴方が冷たいだけですよ」
「何度も言うようだけど、俺を温めてくれてもいいんだぜ?」
「……もう、十分だと思います」
かなりの時間、アルフレートは私を抱き締めていたと思う。流石にそろそろ降りたい。
頬に添えていた手を離そうとすると、アルフレートはすかさず手を取る。そのまま、私の手を自分の唇に持ってきてチュッとわざとらしくリップ音をつけてキスをした。
「なっ、な、にするんですか!」
「これ以上に恥ずかしいことしてんのに、今更動揺すんなよなぁ?」
クスッとアルフレートは誰もが魅了されてしまいそうなほど危ない笑みを浮かべた。
心臓が止まってしまいそうなほど締め付けられる。呼吸が苦しくて息が出来ない。
私はアルフレートから離れようと片手で胸を押し、掴まれていた方の手も彼の手を払う。案外簡単に離れ、私はつい不思議そうに彼を見てしまった。
「やっぱり、抱き締めて欲しいのか?」
「違いますっ!」
「遠慮しないでいいんだぞ?」
「してません」
少しだけアルフレートと距離を取り、彼を睨む。肩を竦め、冗談だと彼は言い放った。
冗談だから近くに来いというように、アルフレートは手でおいでおいでと私を呼ぶ。恐る恐る彼に近付くと、彼の足元に座らせられた。
「俺の可愛いお嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんってやめてください。それに可愛くもないです」
「いいや、お嬢ちゃんは凄く可愛いから自信持ちな。それに、お嬢ちゃんと呼ばないと俺の理性が保たない」
「えっ?」
理性とは何に対する理性なのか。首を傾げてアルフレートを見ると、しまったと言いたげな表情を浮かべていた。
興味津々でアルフレートの顔を下から覗き込む。彼は手で顔を隠しているが、隙間から見えるところは少しだけ赤く染まっていた。
「あんま大人をからかうんじゃない」
「え、からかってないですけど?」
私は特に変なことを言ってないと思う。それとも私が分からなかっただけで実際は言ったのか。ジッと不思議そうにアルフレートを見れば小さくため息を吐かれる。顔はもう赤くない。
「まぁ、お嬢ちゃんはからかってはないしな。でも、お嬢ちゃんが可愛いのが悪いんだぞ?」
「だから、可愛くないです。というより、私を可愛いって言う人はアルフレートしかいません」
「そうなのか?」
レオンにも言われたことがあるが、それは嘘だと言われたのでカウントしなくていいだろう。なのでアルフレートの言葉に頷く。
「なら、何度でも言ってやるよ。お前のことを可愛いと言うのは今から俺の特権だ」
嬉しそうに微笑み、アルフレートは私の頭を優しい手付きで撫でる。
心地よい安らぎに段々とまぶたが重くなってくる。目を開けきれなってきた時にはアルフレートから抱き締められた。そのまま彼に身を寄せる。
「俺の全てはお前だ、りいな」
耳元で名を呼ばれ、スッと頭を撫でていた手が私の首元を撫でた気がした。それにピクッと体が反応するが、意識は既にまどろみの中に消えていた。




