11
やっとのことでタオルで体を拭き、新しい乾いた服に着替える。
寝室に行き、ふかふかのベッドに倒れ込む。まだ窓から見える外は明るい。それでも私は枕に顔を埋めた。
「レオンは最低な男。だけど、そんな男を信じ始めている私は馬鹿なんだろうなぁ」
レオンは私を引っ掻き回して何がしたかったんだろうか。それにどうしてあの時に私の方を見なかったのか。
考えたら意味が分からなくなる。だから大声を出して叫びたい気分だ。
「失礼で、最低で、最悪で、酷い男なんだから」
ばしっとふかふかなベッドを叩く。ふかふか過ぎて叩いた手も痛くない。
レオンに対する暴言を吐き続けると何だか眠くなってくる。疲れもある所為か、私はそのまま重くなったまぶたを閉じた。
まぶたを閉じる前に思い出したのは、この世界で唯一私がいた世界のことを知っている大神の顔だった。
暗い。どこまでも暗い場所に私はいた。どうしてこんな場所にいるのか自分でもよく分かってない。
しばらくすると暗さに目が慣れる。薄っすらした明かりに釣れられて空を見上げた。
今日は月がない。どうやら新月のようで、薄っすらとした明かりは数々の星から発されているみたいだ。
『すごく、きれい』
あの綺麗な星を一つでも手に取れないだろうか。馬鹿げたことを考えた私は手を伸ばそうとする。
だが、私の手は動かない。動かない代わりにさっきまでは気付かなかった激しい痛みを全身に感じた。
『ぅ、っ……』
痛い。全身が痛み出す。あるところはズキズキと痛み出し、またあるところは切り裂かれたような痛みがあった。
はっきり開けていた目も開けきれなくなる。
消えゆく意識の中で私は必死で伸ばせない手を伸ばそうとしていた。
『生きたいか?』
その問いかる声に私は答える。生きたい、と。
声の主は誰なのかとは考えなかった。どうしてここにいるのかも、何も考えなかった。ただ、その問いかけに答えることだけを考えていた。
『そう、生きたいか。ならば、助けてやろう』
私の冷たくなり始めている体温に触れる心地よい何か。その何かは私の唇にそっと触れた。そこから冷たいものとは真逆の温かいものが喉を潤す。
『ごめん、な』
最後に見たのは、今にも泣きそうな顔で私を見つめる男性だった。
「……っ」
ハッと目が覚める。バクバクと心臓が鳴り響く。
落ち着こうと何度も深呼吸を繰り返し、私はベッドに座り込む。
そっと窓から外を見る。外はいつの間にか暗くなっていた。
暗い世界に私は誘われている気がして、窓を開けた。冷たい風が頬を撫でる。一瞬だけ体が震えたが、それでも窓枠に足をかけて地面へと降り立った。
裸足だったということも忘れ、私は駆け出した。ただ、隠された森への入り口を探すためだけに。
足が草や石で傷付き、血が滲んでも足を止めることはしなかった。
「はぁ、っ……」
息が切れても暗闇に慣れてきた目で辺りを見渡す。それでも隠された入り口は見つけきれない。
焦っては駄目だ。落ち着いて目を凝らすんだ。そうすれば見つけきれるはずなんだ。
「あった」
見つけた。隠された入り口を見つけたんだ。
私はそこに向かって歩き出す。入り口まで来て、その歩みを止めた。
ふと気になって後ろを振り返る。後ろには誰もいるわけがない。ただ神殿があるだけだ。
『探せなくなります』
思い出すのはレオンの言葉だ。この隠された入り口から森に入るとレオンは探すことは出来ない。けれど大神は探せる。
「……怖い」
呟いた言葉に首を振り、隠された森への入り口に足を踏み入れた。
ざわっと木々が揺れ、綺麗な道が目の前に現れる。だが、暗い。当たり前のことだが、昼間の時よりも暗い。
どくん、どくんと心臓が鼓動する音だけが聞こえる。
『気をつけろよ。特に夜道には、な』
どうしてこんな時にこの言葉を思い出すのか。いや、こんな時だから思い出したのか。
つま先から寒さが浸透してきて、自分自身を抱き締める。ガクガクと震え出す体の所為で一歩も動けずにいた。
その場に突っ立ていてどのくらいの時間が経ったのだろう。裸足でいた所為で足が氷のように冷たい。
心を落ち着かせるために深呼吸を繰り返していた時だった。ガサッと道の周りの草木が揺れた。
勢いよくバッと揺れた方を見る。
「……っ」
見た先には私よりも小さいが普通のサイズよりも大きいうさぎがそこにいた。普段なら可愛いと言ってるはずなのだが、そのうさぎを見た今は恐怖しか感じない。
暗闇に目が慣れたからといっても、こんなはっきりと見えるものなのか。それにどこまでも赤い瞳が私をジッと見つめている。
「ぃ……ぁ」
大声を出して助けを呼びたいのに声が出ない。
後ろに一歩下がろうとすると石に躓いて尻から地面に倒れ込む。その瞬間を狙ったのか、うさぎは私に飛び移る。
「ああっ……」
裸足で傷付いていたところにうさぎが乗り、爪を立てる。うさぎにこんな鋭い爪があったのか。
鋭い痛みに意識が飛びそうになる。それでも唇を食いしばって意識が飛ぶのを耐えた。
足から血が流れ落ちて地面に吸い込まれていく。その血を見るうさぎの赤い瞳は更に光を増した。
「こいつは俺のものだ。勝手に手を出すな、下種が」
低くて冷たい声がその場に響いた。
ぐしゃっと生々しい音が聞こえたと同時に足に乗っていたうさぎから黒くて赤い液体が飛び散る。足に、手に、頬にかかる液体は生ぬるい。
うさぎは力無く足から滑り落ち、地面に倒れた。そのうさぎに刺さっていたものを抜き取り、血を拭うように風を斬る。
「夜道には気を付けろと言っただろ」
怒りを声色に滲ませ、私にその言葉を投げかける人物を見つめる。この暗闇が似合う男性ーー大神がそこにいた。
私の全身を見つめ、大神は盛大に舌打ちをする。
大神だと分かると助かったのだと安心する。座っているのがやっとだった私はどさりと地面に倒れ込んだ。
地面に倒れ込んで初めて分かる。今日は新月で星がいつも以上に輝いているということに。
「星が凄くきれい」
その星を掴み取ろうと手を伸ばす。だが、実際に星なんか掴めるわけがない。
夜空に向かって伸ばした手は大神の手によって掴まれる。ぎゅーっと痛いほど手を握られるが、足の方が痛いのでそこまで気にしなかった。
「星の代わりに大神さんを掴んでしまいました」
掴んだのは私ではなく大神なのだが、そう言ってみた。そうすると大神が顔を顰めた気がする。
手を握り締めたまま、しゃがみ込んで手を握ってない方の手で私の髪を撫でる。
「もう、こんな馬鹿なことをしないでくれ。夜は魔物が活発になるんだ。お願いだから、危険なことはしないでくれよ」
さっきよりも近付いたので大神の顔がはっきりと分かる。彼は泣きそうなほど顔を歪めていた。
残悪感が芽生えるが、それと同時に少しの悪戯をしてみたいと思う。
「いや、です。私は夜が好きなんです。それに私が危険な目に合う前に大神さんが来ればいいんでしょ?」
「お前……」
ぐっと手に力が込められる。ピリッとした空気を感じ、私は自分が言った言葉を早々に後悔した。
フッと笑みを浮かべ、髪を撫でていた手が体をなぞりながら滑り落ちる。握られていた手も離された。
うさぎの爪で傷付けられた方の足を持ち上げ、大神はスッと頬を足にすり寄せた。
「おお、かみ……さん」
「アルフレート」
「あるふれーと?」
「あぁ、そうだ。アルフレートと呼べ」
チュッと傷口に大神もといアルフレートは唇を寄せる。自然と痛みはなかった。ただくすぐったいだけだ。
痛みを訴えなかったためか、アルフレートは傷口から流れ出ている血を丁寧に舐めとっている。
「なに、してるの」
「お前に俺を刻み付けているんだ。お前が俺のだと周りに分からせるために」
今が夜で新月の所為だからなのか。いつものアルフレートとは違う雰囲気を醸し出している。
それにアルフレートという名前は前に言っていた本当の名前なんだと思う。大神ではなく。
「んぅ、くすぐったい」
「っっ、はぁ……お嬢ちゃんはやっぱり可愛いな」
どこか辛そうに見えるアルフレートはやっとのことで私の足を解放する。だが、私は自由になったわけではない。
動こうとする私を素早く拘束する。片手だけで両手を頭の上で拘束し、足と足の間に片足を入れられて動けない状態にされた。
「お嬢ちゃん、今度は変な男のために夜道を出歩かないでくれよな。お願いだからさ」
そっと首筋を撫でられる。何度も労わるように首を撫で「気に入らないなぁ?」と口角だけを上げて笑った。
冷たい手に体温を奪われ、今までで一番寒い。
「やっ、はなして」
「俺はお前が危険な目に合っていたらいつでも助けてやるよ、お前の言う通りに。だがなぁ、夜に俺に逢いに来るなんて馬鹿がすることなんだよ」
「ある、アルフレート……」
必死に体を捩らせてアルフレートから逃げ出そうとする。力を振り絞っているというのに体が動かない。
無駄だとアルフレートの瞳が語っている。誰もが魅了される漆黒の瞳に囚われないように私は彼を力いっぱい睨み付けた。
「夜は魔物が力を付ける時なんだ。そんな瞳で睨まれても無駄なんだよ」
「あるふれーと……」
睨むのは意味がないと分かり、どうしようもなく許しを乞うようにアルフレートを見つめる。彼は危ない瞳を目を伏せることで隠し、冷たい手で優しく首を撫でた。
「ごめん、な。すぐ終わるから」
首筋に顔を近付けていくアルフレート。冷たい体温が直に感じる。
吐息がかかり、アルフレートの体温より熱い舌がぺろっと肌を舐める。体が大袈裟に跳ねた。
「ーーッッ」
首筋にぷつりと何かが突き刺さり、鋭い痛みが全身を駆け巡る。痛いはずなのに肌にかかるアルフレートの息が荒いことに気付き、体が熱い。
段々と意識が遠のいてくる。目を開けることも出来ずに瞳を閉じた。
『ごめん、な。お前の全てを俺は奪ってしまった。もう後戻りは出来ないんだ。お前の未来も俺は奪うから』
記憶にある暗闇の中で男性は泣きそうで、だけど嬉しそうに微笑んでいた。




