2話 パパはどこへ消えた? 解決編
〈パパはどこへ消えた? 解決編〉
浜 宮離子こと、あたしの娘のグリちゃんは、はじめてあたしに向けて家族らしい営みを仕掛けてきた。
だが、それは向こう5年後には誤魔化して、10年後とかに真実を語るべきモノだ。
はっきり言ってヘビーだ。
あたしは、最初よりも、もっともっともっと世界に対しての懸念が薄まっていった。
目の前の、あたし全部のうち8割を占めるであろう存在に残りの2割でどう立ち向かえば良いのか。
あたしは、無敵感から無力感へと速やかに移行し、また、束の間の平穏な朝から戦闘体勢に速やかに移行した。
さて、どうしよう。
答えがない。
コーヒーをもう一度あっついヤツを淹れたい。
場が和めばこの際、元から軽んじている資源などどうでもいい。
「わざわざぬるいコーヒーをワタチがのみきったのわ、ママからの答をしっかりときけるようにね、カフェインでノーみそ焼いたの!!」
グリちゃんの言葉は、口調は年相応なのだろう……多分。でも、その内容。
あたしが質問攻めしたいくらいだ。
あたし、どう答える?今のグリちゃんの言葉でセキュリティ万全のアルカトラズに突っ込まれた挙句、嵐が来て海も大荒れっていう最悪の監禁状態。
話題を捩じ曲げることも出来そうもない。
「ママはチャァンとつよい!ワタチのしるかぎり。マッスルモリモリトップオブトップなのです!」
なんてことだ。あたしが逃げることを全力で阻止するプロフェッショナルだ!
あたしは昨日までずっと逃げることを生業に仕事にあたってきたというのに!
クレーム対応じゃなくても大抵の事から逃げられるはずなのに!
グリちゃんの眼を見ることが出来ない。
もう十分瀕死だが、見てしまえば…knock out! GAME OVER YAh! 完。トドメ。即死。
「ふふ。そぉーね。あたしの眼をみてぇ!ママ!」
ああ。ダメだ。見てはいけない。見ては……いけない。
そうだ!眼を合わせたくないときには、人の鼻の辺りを見れば相手は目を合わせてくれると勘違いしてくれるようだ。
よし……。
と思って、あたしはグリちゃんと眼を合わせてしまった。
「どうしましょう。グリちゃんにすごい回り道をしてもらわなくちゃ、その答えにたどり着けない…。まず、グリちゃんには…ハァ…そうね。」
「いいーですよー。ワタチのわからないことをいってもまっすぐしゃべって。ワタチ、ママをわかるためにね、“気になる木”を伐採したいの!森のなかのママをみつけてあげたいの!」
グリちゃんは、いったい…?あたしは森の中にいる?どういうことだろう?
唇が震える。もちろんのこと小刻みに。
唇を大きく揺らすなんて状態はウサギの咀嚼のようなものすごいマヌケな姿なんだろうと、そんなことを考える余裕も全くない。
「じゃあね。あなたのパパについて。」
〜浜 捩子の回想まじりの馴れ初め話〜
平凡な短大生が、高校陸上部時代からの日課が忘れられず、土手をランニングしていた。
朝日が昇るのを合図に、走った分を戻っていく、笑顔が日光で半分見える。
浜 捩子(20)
陸上部時代には、結構な貢献をしていた。
高校マラソン。高校駅伝では、チームメイトからは“捩じ込み捩子”と言われ、ライバル達からは、“ウザイん・ボルト締め”なんてあだ名がついた。
区間の後半からぐんぐんと追い上げるタイプの選手だった。
「ママー、ママのはなしなんだからさ、ママがしゅやくじゃないのん?」
………あたしは、捩子という名前を上手くあだ名にしてくれた周りと共に良く頑張ったと思う。よく汗は流したが、その思い出が流れていくことは無いのだと確信している。
現役じゃないのだから、まぁちょっぴり元気のないような馬の尻尾のようなポニーテールを爽快感と共に揺らして走っていた。
ジョギングの土手の川沿いの方を降りたところに芝生の広場がある。
日の丸弁当の梅干しのような位置、どう判断したものか分からないが、芝生のホントに真ん中にゆったりとたたずみながら、多分だけれども笛の音を鳴らす人物がいる。
毎回見える。
その笛の音は楽しみにするほど綺麗ではない。
が、まぁ中継地点というか距離感を掴むにはもってこいな耳印といったところだろうか。
親しくなる予定、予感、予知、予めという文字がつきそうなあらゆる運命のレールはその笛吹き男に繋がっている気はしなかったのだが。
ジョギングするには縁のないであろう芝生の広場に何故降りていったのだろう。
ロマンチックな何かがあった訳ではないのだ。
その日の笛吹き男はただの男の状態で芝生に座っていた。
「………」
笛なし男は黙っていた。見れば、ここまで闇に溶け込みそうな服も他に無さそうだった。現実世界の闇はただの濃い黒色などではなくて、無限の色の集合体だと思う。
そんな特殊な黒色なのだと近づいてはじめて分かった。
「おはようございます。」
息の弾みは微塵も無かった。今日はこれ以上に走ることもないと理由もない直感を持ってしまった。
笛なし男の、登りたての朝日が持つオレンジと黒の混ざり合う全体の雰囲気は……、最近のあたしが特に想うところにブラックホールの見た目そのままだった。
「おはようございます。」
笛を鳴らす必要のない程の美声だった。高さの心地よさ、穏やかな自然音を感じさせるところまで行くのだからそれは芸術に匹敵したのだろう。
「余計なことを二、三訊かせてください。」
あたしの言葉にこちらを向く。
儚さのある眼と力強さのある瞳、繊細さの感じる眉と繋がっている豪快さのあるクッキリとした鼻筋。
口元は服と全く同じ色のマスクをつけていた。
うん。イケメンだ。やったね、これからはこの広場に差し掛かるときに、ちょっとスピード落とそ。
「笛の練習やめちゃったんですか?」
「うーん。どうしましょう。初対面で恐縮ですが、あなたに決めて貰いましょう。練習を続けてみるかどうか。」
「なにぶんね、興味本位で始めたんです。いつもなら聞くだけだった。でも、せっかくだから…ね。」
「あたしは、練習したら良いと思います。笛を聞かせてくれる側の人にとってもそれほど喜ばしいことはないんじゃないかなって。」
「うんうん。そうですか。」
「ありがとう。そのまま二つ目を。安心して訊いてください。」
「はい。」
何も考えずに二、三などと口に出してしまったようだ。あたしは、焦りでとんでもないことを訊いてしまうのだった。
「どうして、あたしはあなたに声をかけたのでしょう?」
「ふふ。時間をください。ちょっと考えてみますから。」
真面目に対応してくれることが逆に恥ずかしさを増した。
多分、いつものジョギング帰りにこの広場を通るときくらいには顔が火照っていたと思う。
頬にリンゴを想わせる可愛げなどなく、どちらかというと齧ったあとのリンゴの芯のような細いフェイスラインなのだが、それでも赤さだけはリンゴの外側に匹敵するだろう。
「うん。今は分からないと思います。もちろん、お互いにね。私もあなたも特別ではなくて、ただ、凡庸な思いつきでこの広場に立っているのでしょう。」
そこから、ぼんやりとした時間が続いた。心持ち、見る景色、体を巡る血流に至るまで、世界全てがぼんやりとしていた。間違いない。
「アレ…?2度目の朝日?」
あたしは確かに先程、朝日を見た。走り終わる合図の朝日を。この人と話し始めたときすぐに。
そしてまた、今確かに、赤みがかった太陽の半分の輪郭が見えた。
さっきの太陽と今の太陽、ちょうど違う餌を食べて育った鶏の産む卵の黄身くらいの差があった。
うん?偽物の太陽が昇っていた?
まさか、あり得ない。
だが、3つ目の質問はこのことを訊かなかった。
「お名前を教えてくれませんか?」
「縁緑です。また明日もよろしければここに。今度は私があなたに2、3質問を。」




