11話 ディストピア
〈ディストピア〉
〔アメリカ h島 k火山〕
気がつけば溶岩の中にいた。暑さも寒さも感じなかった。
這い出ようと体を動かしてみる。
溶岩は、ただのオレンジ色の水のように顔を伝い髪にまとわりつくこともなく流れて離れていく。
手にも残らず、しつこくまとわりつかない潔さは水との違いなのだろう。
水は、湿気となって肌にちょっかいをかけてくるのだから。
ただ、平然と浴槽から出るように足を上げてみる。
溶岩の上に立っている。
出ようと思っていたら、目の前に階段が出来ている。
恐る恐る片足をかけてみる。
信頼関係のない犬に餌をあげるときのように慎重に。
その階段は、崩れそうにない。
手すりも、建設により接着結合した証拠もない、本当に急拵えで出来た階段に似つかわしくない安定感を持っている。
そのまま、1段、1段登っていく。
下を気にせずにはいられない。
その不安を、取り除いてくれるというよりかは嘲笑うような感じで、階段にはなんの問題もないようにその役目を全うしたのだった。
火山の淵に立ち、振り返れば信用ならない階段は嫌味のように残ったままだった。
不気味な感覚を覚えたので階段に消えて欲しいと念じてみても、まるで効果はなかった。
下山の間、歩けども歩けども果ては見えず、喉の渇きを感じてジッと手を見ればわざわざコップに丁寧に並々注がれた水が出てきた。
出現したのか?転送されたのか?天から降ってきたのか?
どう出たのかは覚えられないが、ただ出てきて手にあった。
飲んでみた。
水だった。
火山中腹で大腹が空いた。
腹の全くの空洞である感覚をここまで覚えたことはない。
鍾乳洞の見れる観光名所になりそうなほどだ。
その場にへたり込み、火山の作る出来立ての不毛の大地に、希望を持つこともなく、ヤケクソで食料がないかと目を走らせる。
当然なにもない。
仰向けになり、考える。
ここまで楽しくないピクニックもない。
美味しいお茶もなければ、バスケットのサンドウィッチもフルーツもない。緑の美しさなど皆無だ。
横目にあるオレンジの筋と、表面だけ固まりかけの溶岩の妙に滑らかな質感の外骨格を楽しめたのは、最初の何度かだけだ。
天気は良い。天気だけは良い。それがまた、なんだかおちょくられているような気分がとめどなく湧いてくる。
目を瞑る。心にも体にも疲れを覚えたので、固い地面に一休みだ。
大きく両手を広げて、大きく両足を広げてリラックスを試みた。
手に、柔らかくて軽い、だが確かに質量を、重みを感じた。
目を開く。手の中にサンドウィッチが滑り込んでいる。
口に運ぶ。
良いレタスを使っているようだ。
日本のコンビニで売っているヤツかもしれない。
自分の知っているいつものサンドウィッチとは違う…気がする。
火山を降りることに成功した。
誘導路もなければ看板もないのに下山できたことに我ながら驚いた。
もっと驚くことには、この島は出来立ての様相を醸し出していた。
というのは、見られるはずの緑がない。
火山と全く同じ環境がそのまま文字通り地続きになっているのだ。
人の家も、というか人の気配すらも皆無だ。
どういうことだろう。
不安を感じる。とてつもない不安を。
なんだか、頭が痛くなってきた。
大切なことを忘れてしまったようだ。
忘れてしまったことだけ実感できるので、気分がとても悪い。
頭の中で脳みそを取り囲む液体の沸騰するような躍動を感じる。
静寂のせいで感じる、空気の鼓膜にぶつかる音、耳の内部器官の音、それはテレビの砂嵐の音と飛行機の飛び立つ音の混ざったもので、とにかく不安を一層強調させる役を買って出た。
耳を塞いでもその音から逃れる術はないらしい。
火山から降りたときの我が吐息の小刻みに出るあの音がどれだけ爽やかで心地よかったのかを比較しない訳にはいられない。
今度の、我が焦燥と追い詰められてなす術のないことから生ずる情け無い吐息は、不快な静寂の音に全く勝てない。
ただうずくまる。
そのとき、確かに風を感じた。風の中に海の甘美な歌声の我を癒やすのを聴いた。確かに聴いた。
潮の流れが潮の風を送り、潮の風が潮の音を届けてくれた。
歩く力の残っているのは、ただただ海への感謝からだ。
ちょっとした丘のてっぺんに辿り着くと、容易く海を見ることが出来た。
奥に目をやればラスピラズリのカーテンが。浜に打ちつける波は翡翠で出来た鱗そのものだった。
もっと近くで見たくなった。一つになりたくなった。
どんどんと足を運んだ。
水をとり、どんどんと強くなる海の要素に心を奪われた。
潮風に潮の音だけでなく潮の香りを感じるようになった頃。
下を向けばダイバースーツを来ていた。
スキューバダイビングセットと浮き輪が手にあった。
潜って欲しいのか浮かんでいて欲しいのかよくわからないが、海に入るイメージが頭の中を支配していることは確かだった。
決めた。まずは潜ってみよう。
海に辿り着く。手に海水を掬ってみる。
あの翡翠の鱗の一枚は剥がしてみると、信じられないほどに透き通っていた。
手を体の方に傾けて体に海を覚えさせた。
海水が体を包む感覚は溶岩と似ていた。
打ち寄せる波の、足をくすぐるのは、遠い海からこの浜へきたことを知らせた。
その後の海に戻る方向の波の方が力を強く感じる。
いざ海の中へ。
全身を包み込む海の水が、浜から離れるほどにその抱き抱える感覚を強めていった。
手に掴み泳ぐ補助に使った浮き輪を離して、ダイビングに興じた…はずだった。
確かにあるはずのものがないことに気がつく。
それは思い出すまでもない。
魚の群れにウミガメの親子に珊瑚礁。
全くないとそれだけで海は印象を変えていた。
我が身体は、青と緑の折り重なって出来た反物の中へと織り込まれたように感じた。
空から見れば、宝石の中に放り込まれている不純物のように見えたことだろう。
このままゆっくり潜ってようという気分にはなれなかった。
我は結構寂しさを感じてしまうのだと確認することができた。
浮き輪に戻ってきて、その真ん中の空洞の部分へとスポリと尻を滑り込ませた。
オーダーメイドを疑うほどに我の尻や腰周りのサイズ感にジャストフィットしていた。
自然を美しく感じるのは人のエゴの頂点に位置する。
今は、このなにもない海というのが自然なのではないだろうか?
余計なことをしていいのだろうか?
浮き輪からなにもない空を眺めた。
雲もない。海鳥もいない。
島に目をやった。
草もない。木もない。
海に目をやった。
ゴーグルから見える景色は、先程と変わらず海の色が揺れていた。
底の砂に足をつけば、オーロラの見える砂漠のようだった。
綺麗だ。この海は確かに綺麗だ。
でも、海とは神聖なものだ。綺麗さによって、その神秘の輝きを損なわせるわけにはいかない。
海には生き物が必要だ。
イメージしてみる。記憶を頼りにではなく、潜在的に知っているあの景色を。
もう一度潜ってみる。
そこには、自分の想像通りの海の世界が広がっていた。
知りうる限りの生態系を詰め込んで、自分の知りうる範囲内を覆い尽くした。
ダイビングスーツのまま浮き輪の上に乗った。
浮き輪はゆっくりとゆったりと我を浜へと運んでいった。
浜に立ち、島を一周回りたいと思った。
草木が見たくなった。
あの、南国の甘酸っぱさをもつ果実の木が恋しかった。
用意よくシャワールームがポツリとあった。
絶対に先程までなかったそのシャワーを、段々と慣れてしまったのか、なんの恐れも抱かずに利用した。
シャワーから出て、今度は服を用意した。
そうだ。これがお気に入りだった。
着るだけで腹筋が6の隆起を持ち、胸筋の張りも目を見張る。
というマッチョな肉体がプリントされたシャツだ。
スカートもあり、大きな葉っぱを腰に沿うように一枚一枚結んで出来たような挑戦的な型だった。
頭痛がした。
多分、これまでの記憶が蘇ろうと、頭蓋骨を卵の殻に見立てて割って生まれ出ようとしているのだ。
こんなふざけた服でどうして記憶のフラッシュバックを起こすことになるのだろうか。
不思議でたまらない。
島の浜辺を、円を描くようにトボトボと歩きながら、緑とヤシに覆われた風景を想像して目を瞑り手を広げる。
目を開けば、見える範囲でその緑が復活している。
嬉しさに駆け寄り寝っ転がってみる。
ヤシの、一直線で足のかけ場のない木の肌をどうにかよじ登る。
この夢は、不思議だ。
自由でもなければ狂気も帯びていない。
ヤシの木のてっぺんの近くから島を眺めたときに感じる充足感だけがある。
ヤシから降りて、ひと休みする。
夢の中でさらに寝るというのも中々オツなものだから、我以外に人がいるのだとすれば勧めてやるのも良いのかもしれない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜回想 夢の中〜〜〜〜〜〜〜〜
島は隔絶されたことによりガラスドームに入っているかのように独自の文化が保存されている。
大陸に住む我がここに移住するときにはこのことに注意を払っていなかったのだろう。
見た目の良さのおかげでカーストも上々のまま大学に進み、人生を迷い、島暮らしを柔らかな決意で決行することになった。
だが、心配する家族はいない。
渋々と世間体のために貰われた我には、親からの愛もついに経験することはなかった。
ただ、我の可愛さは財産であると感じたのか、食事や美容に関わりそうなことはとにかく管理された。
客人が来るときには、必ずその客人の前に姿を見せる。
愛情に満ち溢れている演技をする。
褒められることはないが、貶されたこともない。
人格については関心がないというスタンスをとり続けていた。
ある程度そのまま身体だけ成長して、年齢という数字も増えていった。
自分よりも年の下の、本来なら妹と呼ばせてもらうはずだった女も、我の容姿に嫉妬することを覚えたようだ。
思ってしまった。我は買われた人形なのだと。
人形として人生が進んでいるのだと。
我は、我を失わないように、奇抜で変わった人形を集め始めた。
ナードを蹴飛ばせば、アクションゲームのアイテムブロックのように貢ぎ物を差し出した。
それは、ある島の守り神の姿を象ったものだった。
その人形の顔の口の歪みに、我は世界の歪みへの怒りを感じた。
自分の存在の強調する立ち姿を見た。
我に足りない全てを持ち合わせている。
確信して、ナードに対して謎の敗北感に襲われた。
我のナードに対するいじめも終わり、ただただ傍観者になることとなった。
守り神としての力を発揮したという事実が、その人形の我の中での価値を更に高めることになった。
その人形の強く硬く加工してある木の感触。
顔周りの凹凸を妹よりもはるかに狭い部屋の中でひっそりと撫でながらこの人形の生きた姿を想像した。
想像を続けるうち、人生で初めての恋をした。
人形が恋をする相手は人形と決まっていたのかもしれない。
その人形の想像の中での一人称が我だったので、我も一人称を揃えてみることにした。
カワイイ文化のひとつオソロイだ。
人形の影響で管理された暮らしに強く反発したくなった。
ある日、貰い手の我の購入者と激突した。
顔は傷つけられなかったが、服で隠れる部分にはもれなく青みがかった鮮やかなアザができた。
高校に入ってから…いや…もっと前から我は貰い手の購入者の中年の男の方から嫌な視線を感じていた。
それは、果実の食べごろを待つような視線で、子供ながらに恐怖していた。
その恐怖は高校に入ってからは、絶望感へと我と共に成長を遂げていた。
その真意に気がついたからだ。
ある日の少し経ったあと。
アザが消えたぐらいのタイミング。
世間では夏休みの期間だった。
毎年恒例、いつも通りなら購入者と共に過ごす小旅行。
大して楽しくもない行事。
妹と呼ぶこともない女の祖母に会いに行くはずだった。
必要もないのに一カ月も泊まるのだった。
でも、その年は違った。
貰い手の中年の女の方とチビでブスな若い女の方はいつも通り旅立って行った。
が、貰い手の中年の男の方は我と共に家の中に残った。
居ても立っても居られないので、友人の家を巡った。
もちろんのこと女友達の。
クイーンビーの家にも我は泊まる権利を持っていたので、その権利を惜しむことなく利用した。
それで、一カ月乗り切ってみせるつもりだった。
しかしながら、結局、友達とのパーティーが良からぬ方向にシフトチェンジして、更に酷いことになり始めたことで、3週間目で、友達の家に頼る作戦も頓挫してしまった。
返すと約束してお金を借りたあと、モーテルに向かうところで、夜遅かったのもあってかバカな男たちに引っかかってしまった。
申し訳なくて1人でモーテルを目指した我は自己批判に苛まれながら淡々と受け答えをしていた。
泊まる予定のモーテルを過ぎて逃げながら、足の覚えている方向に走れば、それは貰い手の家だった。
貰い手の中年の男は庭の見えるバルコニーの中でただジッと我の帰りを待っているようだった。
逃げる我と、追ってくる男たちを見た貰い手は静かに立ち上がり、家の庭先に出てくると、持っていたショットガンを空に向かって発砲した。
男たちは逃げていき、我は逃げられなかった。
「遅かったじゃないか。汗で濡れていることだろう。お風呂に入って。」
どんな罰が待っているのかと心を殺す覚悟で臨んでいたが、その日の夜はなにもなかった。
次の日からも、今までの態度が嘘だったように優しい言葉をかけられた。
これからは実の娘のように扱うことも約束した。
我が居なくなったこの3週間が余程心に堪えたのだと告白してきた。
付き合ってきた友達の正体や、男たちに絡まれた経験から、我は心をすり減らしたことで、この家の中に留まることにした。
穏やかな日々が3日ほど続いた。
貰い手の中年の男から、今までの懺悔と我の趣味を尊重した贈り物を受け、初めてバースデーケーキを食べた。
その夜だった。
シャワーから出て、我の部屋に戻る。
安心感が体を巡りながら、ベッドの中で眠りについた。
目を覚ませば、ナイフを突きつけられていた。
「まずは謝んないとなぁー『待たせてごめんなさい』って。さぁ言ってみろ。」
「…………」
「ん?聞こえなかったか?なぁ?謝れよー!俺を3週間もおあずけ喰らわしたことを謝れ!」
暗さで焦茶色のその人形は分からなかったのだろう。
枕元でいっしょに寝ていた、例の、島の守り神の人形を手に掴み、思いっきりケダモノに向けて殴りつけた。
「うぉぉぉおうお〜」
貰い手の男は、ベッドからよろけて落っこちた。
そのまま、自分の持っていたナイフが、自分の喉元を突き刺して、命が尽きた。
我のコレクションは、ほとんど柔らかいぬいぐるみや陶器で出来たワレモノばかり。
硬い木で出来た唯一の人形。凶器たりうる唯一の人形が、我を守りきった。
さすが守り神。
そんなことを考えながら、ふと、逃げる算段を考え始めた。
友達のクイーンビーの親戚に、この守り神の人形の故郷とも呼べる島に住んでいるという事実を知った。
我は、島に行くことに決めた。
クイーンビーに話をつけてもらい、男の死んだ次の日には、全友人とも貰い手とも別れた。
凄まじい解放感だった。
〜〜〜〜〜〜〜〜回想 夢の終わり〜〜〜〜〜〜〜
そこで目が覚めた。
辺りは全く変わらず時間の流れなどないように、明るいままだった。




