26、公爵令嬢は話を聞く
クラリッサは緊張していた。
いつものように東屋へと向かう間も、わざわざ鞄から取り外した『守り袋』をぎゅっと握りしめていた。
(大丈夫……大丈夫ですわ。きちんとアリスさんの話を聞いて……それから……)
冬休みが明けて、初めてのお昼。
アリスさんの気持ちをきちんと聞く。
怖いけど。嫌だって言われたくないから聞きたくないけど。
でも、わがままはダメ。
そう何度も繰り返した。そのせいでちょっと寝不足気味だ。
(お願い……アリスさん)
クラリッサは泣きそうな気持ちを抑えながら、東屋へと向かった。
* * *
公爵令嬢の様子がおかしい。
来た時から声が少し震えていた。
寒いのかと気になり『大丈夫か?』と訊いたが、そうではないらしい。
頭を左右に振られた。
彼女の首元には、紫色のマフラー。
どうやら本格的にピンクから脱出する気らしい。
白い息を吐きながら、もぐもぐと静かにサンドイッチを食べている。
珍しいほどの静かさ。
勉強しているわけでもないのに、何も喋らない。
どうしたものかと思い悩んでいたら、食べ終えたらしい公爵令嬢が小さく
「アリスさん」
と声を掛けてきた。
よく見ると目にうっすらと涙がたまっている。
(は?なんなんだ?)
アリステアは激しく動揺する。
誰かに助けを求めたくとも、ここにいるのは自分と彼女だけ。
誰もいない。
「……あの、ですね」
ぎゅうっと胸元で手を握りしめて、じっとこちらを見ている。
それはあの時の『おねだりの仕草』と同じだが、まったく違う。
その証拠に手が震えている。……いや、寒いだけかもしれないが。
「なんだ」
「……その」
言葉に詰まるなんて非常に彼女らしくない。
そんなにも言いにくいことなのか?
だがアリステアはさり気なく聞き出すという洗練された技術を持ち合わせてはいない。それでも、なんとか彼女が話しやすくなるようにと。
「どうした?」
少しだけ声音をやさしくしてみた。
彼女に届いているかは分からないが。
「……あの、」
「ん」
「……その」
「……いいから、話せ」
アリステアにはそれが限界だった。
それなのに、なぜか彼女はほっとしたように息を吐いた。
(……どういうことだ?)
「わたくし、アリスさんの気持ちをきちんと聞いてなかったと思いまして」
「……?」
「その……わたくしと恋仲だと勘違いされたら、アリスさんはお困りになるんですか?」
「……」
一瞬脳が理解できなかった。
「わたくしは別に勘違いされてもどうでもいいと思ったのですけれど」
「……それはそれでどうなんだ?」
「でも、困るほどのことではないでしょう?」
そんなはずはないのだが、彼女は本気でそう思っているらしい。
「けれど、アリスさんはお困りになるのかと思いまして……」
ここで正直に困ると言えば、彼女は諦めてくれるのかもしれない。
いや、おそらくそのつもりで切り出したのだろう。
だが目の前で震えている姿まで見せられて、どう答えろと言うのだ。
(……最悪だ)
寒さのせいで震えているだけかもしれない。
寒くて目に涙がたまっているだけかもしれない。
それなのに、彼女のその状況が、アリステアを却って追い詰める。
示された逃げ道へと逃げることができない。
アリステアはため息を吐いた。
それにさえ彼女はびくりと肩を震わせた。
こんな姿が見たかったわけではないのだ。
「……違う」
「え?」
「困らないと言えば嘘になるが」
彼女が息を呑んだ。目から涙が零れるんじゃないかとアリステアは焦った。
「会いたくない、わけではない」
勢いのままに、素直にそう答えた。
* * *
クラリッサの心に風が吹いた。
寒いはずなのに、温かな風だと思った。
アリスさんはクラリッサに会いたくない、わけではないらしい。
それが、とてもとても嬉しかった。
少し早い春風が、クラリッサの心に吹く。
ふふっと思わず笑ってしまった。
それに気づいたアリスさんの口元がへの字に曲がった。
わたくしはアリスさんが大好き。
良かった。これからもずっと会えるのだ。
アリスさんを失わなくて済むのだ。
クラリッサは意気込んだ。
だってアリスさんの気持ちをきちんと確認したんですもの。
あとは、約束を取り付けるだけ!!
* * *
そこからは怒涛の勢いだった。
さっきまでの姿が幻かのように、彼女は勢いづいた。
いつもの倍は凄かった。
「お母様から、サロンの許可をもらいました!!」
聞いて、聞いて、と目が物語っている。
続きは聞かなくても分かる。
「……裏口の?」
「はい!これ、どうぞ!!」
そう言って差し出されたカードは、サロン名が記載されているだけのシンプルなもの。
「これはわたくしの家族とサロンの従業員だけが持っているカードなんですけど」
「……待て!!」
「え?」
ダメだ。状況は分かるが、すぐには受け入れられない。
一旦整理が必要だ。いや整理しようもない。
事実はただひとつ。
許可証が思っていた以上に重かった。
これなら裏口なんて言わなければ良かった。
今さら後悔しても遅い。
(……従業員だと思えばいい。俺は雇用された側だ)
そう、アリス先生だ。
卒業してもアリス先生として雇用……金銭は発生していないが、存在として雇用されているんだ。
ふぅっと呼吸を整えてから、手で続きを促した。
「ですので、これでいつでも、なんなら今日からでも利用できますわ」
「……そうか」
とりあえず、相槌だけに留める。
「で、わたくしとしましては毎日は無理なのは分かってますので、週に一回はお会いしたいなぁと思うのですが」
「……却下」
できなくはないと思うが、冗談じゃない。
たとえ裏口を利用していても、どこで見られているか分からない。その前に怪しまれないルートを確認しないといけない。
「……二週に一回ですわね」
「半年に一回」
さすがに断られるだろうと思いつつも提案してみたが、案の定、ぶんぶんと勢いよく首を振られた。
「三か月に一回」
同じく首を振られた。
「じゃあ……」
「ダメです!二週に一回です!!」
譲る気はさらさらないようだった。
いや、週一から譲ったことにはなっているのか。
「……こちらに予定がある場合は」
「もちろん、予定を優先していただいて問題ないですけれど、その場合には別日の提案を求めますわ」
(……逃げ道がない)
自分で絶った逃げ道を今さら探そうとしてしまった。
「……で、家庭教師の話はどうなった?」
敢えて返答を避けてみたが、彼女は罠には引っかからず、じっとアリステアの返事を待っている。
「……分かった」
そう返せば、ぱぁっと分かりやすく表情が緩んだ。
(あぁ……くそっ)
可愛いなんていう、当たり前の感情しか浮かばない。
これが卒業後も続くのかと思うとゾッとする。
アリステアは己の未来を憂いた。
それでも嬉しそうに笑っている様子を見れば、まぁこれで良かったのだろうと思わざるを得ない。
「で、家庭教師は?」
もう一つ、気になっていたことを訊けば、彼女はしゅんと項垂れてしまった。
どうやらまだ勤め先が決まっていないらしい。
(まぁ……そう簡単なことではないか)
慰めの言葉は掛けず、項垂れた頭を眺めた。




