第8話 物足りなさ
圧気発火器で熾した火は、急ごしらえで作った囲炉裏の中で室内をそれなりに照らす十分な明かりとなっていた。
爆ぜる火の粉を見つめながら、嘉人は無意識に、膝の上に置かれたタブレットの冷たい縁を指でなぞった。
(……このシステムは、俺の想像を遥かに超えている)
先ほど行った、ボーン・ボアの【構成編集】。
生きながらにして【在庫】として取り込み、意識や内臓、排泄物といった「不要なデータ」をチェック一つで消去し、ただの肉塊へと再定義した。
それは、嘉人が慣れ親しんでいた物流管理の範疇を、とうに逸脱している。
(命の有無さえも、USCにとっては『ステータス属性』の一つに過ぎないのか)
ふと、恐ろしい仮定が脳裏をよぎる。
ボーン・ボアにできたことが、人間にも適用されるのではないか?
もし、この『入庫』の対象を人間に向けたらどうなるだろう。
その瞬間、相手は抵抗の余地もなく〝在庫〟として電子の海に固定され、指先一つで、その存在の構成を書き換えられてしまうのではないか。
「……危険すぎるな」
嘉人は、自身の背筋に冷たいものが走るのを感じた。
これは便利で万能な道具などではない。この世界の理そのものを上書きしてしまう、圧倒的な装置だ。
(もし操作を誤れば、俺自身だっていつ【在庫】になるか、分かったもんじゃないぞ……)
物流マンとして、嘉人は知っている。
強力すぎるシステムは、しばしば現場の人間を〝効率〟という名の歯車に変え、支配してしまう。
嘉人は改めて、自分に言い聞かせるように深く息を吐いた。
「慎重に使わなきゃな。……こいつに振り回されるんじゃなく、あくまで俺が『管理者』であり続けなければ」
便利さの裏側にある深淵を覗き込んだ気分だ。嘉人はその使い方に対する責任と恐怖を、強く胸に刻み込んだ。
だが、冷え切った思考とは裏腹に、腹の虫は休むことを知らないらしい。グゥ~ッと鳴った。
USCへの警戒は解かないが、この理不尽な異世界で生き残るためには、その強力な機能に頼らざるを得ないのもまた、皮肉な事実だった。
「……まずは、現実的な問題からだ」
嘉人は気持ちを切り替えて【アセンブリ】の画面を呼び出した。
「早速、飯に──といきたいとこだけど、まだ家具も調理場も何もないんだよな。さすがに異世界の肉を生のまま食べるつもりはないし」
岩穴の中に造った丸太小屋のようなこの場所を、緊急時の避難所から十分な生活のできる〝住居〟へアップグレードする。
それが今の嘉人にできる、最大のリスク管理だった。
(電気も、ガスも、水道もない。元の世界のシステムキッチンをそのまま持ち込んでも無意味だから……)
嘉人は、脳内にある近代的な生活のイメージを一度リセットした。
今、この世界にあるリソースで実現可能な、最高効率の「什器」を再構築しなければならない。
(まずは熱源の制御、っと)
USC内の在庫から、岩壁を削った際に出た石材を選択した。
設計画面上で、囲炉裏を囲うように石を組んでいく。だが、それはただ石を並べただけのものではない。
空気の対流を計算し、燃焼効率を最大化させるための吸気口と、煙を岩壁の隙間へ逃がすための排気動線をミリ単位で指定する。
「次に調理台を……」
腰を痛めない高さに設定した、重厚な石の台。
USCの【アセンブリ】機能は、物理的な加工プロセスを省略し、データ上で示された結果をそのまま出力する。
嘉人はその天板に、『表面誤差〇.一ミリ以下の鏡面研磨』という、現代の精密加工機でも時間がかかるような指定を加えた。
石でありながら、雑菌が入り込む隙間も、脂が染み込む凹凸もない。江戸時代の構造に、現代の衛生概念をぶち込んだハイブリッドな設備と言えるだろう。
「そして、休息のための寝床を……」
脂蝋樹の芯材を、パレット状のフレームに組み上げる。
釘一本ない世界だが、USCの精度なら木と木が分子レベルで吸い付くようなホゾ組みが可能だ。
ガタつき一つないそのフレームの上に、先ほど精製したボーン・ボアの毛皮をベッドパッドとして、完璧な寸法で裁断してから配置する。
「室内での一括出庫は衝突のリスクがあるから慎重に座標を指定して……配置!」
ポーン、という電子音。
次の瞬間、火の光の中に、鏡面の調理台と毛皮のベッドが、あらかじめCAD上で指定した場所へ、ミリ単位の隙間もなくピタリと吸着した。
「……ふぅ。これで少しはQOLが上がったかな」
嘉人は、完成したばかりのベッドに腰を下ろした。
毛皮の弾力が、硬い岩の冷たさを完全に遮断する。その感触に、こわばっていた肩の力がわずかに抜けた。
「次は食事といきますか」
嘉人はベッドから立ち上がり、鏡面のように磨き上げられた石の調理台に向かった。
調理台の上には、先ほど【出庫】させた『ボーン・ボアのロース肉』百グラムが天板の上に置かれてある。
「あー……塩も胡椒も、調味料らしい調味料が何もない……」
嘉人は苦笑しながら、USCの検索窓に「塩」や「胡椒」と打ち込んでみた。だが、返ってくるのは無情な『在庫なし』のエラーメッセージだけだ。
(だよなぁ~……USCは万能だけど、無から有を生み出す魔法の杖じゃない。あくまで在庫を管理して加工するシステムなんだよな)
仕方がない、とばかりに、嘉人は熱せられた石のグリルへと肉を移した。
ジュゥゥ……と、鼓膜を心地よく震わせる音が上がる。
ボーン・ボアの脂が溶け出し、熱い石の上で踊るように弾ける。芳醇な、しかし野生味の強い肉の香りが一気に小屋の中に広がった。
USCの【構成編集】によって、獣臭の元となる不純物は完璧に取り除かれている。立ち上る煙さえ、計算された排気動線に沿って吸い込まれていく。
(見た目も匂いもいいな。元の世界なら高く売れるんじゃないか、これ)
表面にこんがりと焼き色がつき、脂がふつふつと泡立つ絶好のタイミングで、嘉人は肉を皿に取った。
「いただきます」
削り出した木の箸で、一番厚みのある部分を挟み、口へ運ぶ。
歯が肉を捉えた瞬間、驚くほど容易に繊維が解け、中から熱い肉汁が溢れ出した。
「んー……」
不味くはない。
噛みしめるほどに、野生の力強さを感じる濃密なタンパク質の味が舌を叩く。脂身にはナッツのような独特の香ばしさがあり、嫌なクドさは一切ない。
素材としては、間違いなく一級品だ。
だが、その感動と同時に、耐え難い物足りなさが嘉人を襲った。
「塩と胡椒とニンニクが欲しい!」
我慢できずに嘉人は叫んだ
旨味を引き立てる塩気も、後味を引き締める辛味もない。
最高級のパーツが揃っていながら、それらを繋ぎ合わせ、完璧な料理へと昇華させるラストピースが欠けている。
「なんとかして……なんとかして調味料になる食材を探さなければ……!」
肉そのものの味がいいだけに、欠落した調味料への渇望がムクムクと湧き上がってくる。
かといって、今から探しに行くにも日が暮れている。
初めての異世界、初めての夜。
そんな未知の場所で、夜中に外へ飛び出すなんて、危機管理がなっていない。
「明日になったら、必ず探し出してやる……!」
心に固く誓う嘉人だった。




