第7話 圧気発火器と構成編集
脂蝋樹の群生地から拠点までの道中は、慎重に慎重を重ねて無事に戻ってくることができた。また野生動物に襲われたらたまったものではない。
「近くを出歩くだけで一苦労だな……」
元の世界では、腹が減ったら近所のコンビニやスーパーで事足りていた。それが一転、異世界では食糧調達をするだけでも命がけだ。
「俺、元の世界に戻れるのか……?」
それは望み薄な気がしないでもない。
この異世界にどうして来てしまったのか、その理由すら定かではないのだ。戻るにしたって、取っ掛かりになる〝原因〟がさっぱりだ。
「──っと、戻れる戻れないを考える前に、目先の問題を解決しないと」
拠点となる岸壁を刳り抜いて作った小屋の中に戻ってきた嘉人は、早速タブレットPCを立ち上げてUSCを起動した。
「拠点もできたし食糧も手に入った。水もある。次はやっぱり火を熾さなきゃな」
そもそも、脂蝋樹の実は『加熱により摂取可能』と【ナレッジ検索】に書かれてあった。
せっかく手に入れた食糧を食べるには、どっちにしろ火が必要なのだ。
しかし、マッチもライターも持ち合わせていない嘉人では、火を熾す方法なんて限られている。
「木の枝をこすり合わせる火揉み式はちょっとな。労力の割に、成功するかどうかもわからないし……」
効率的な火起こしの仕方を【ナレッジ検索】で調べていると、興味をそそられる火起こしの方法を見つけた。
「圧気発火器か……」
それは元の世界の東南アジアで、古くから発火具として使われていた道具だ。ディーゼルエンジンの開発に、大きなインスピレーションを与えたものでもある。
筒の中の空気を一瞬で圧縮し、その時に発生する高熱で火を熾す仕組みとなっている。
「構造は……あれか、出口のない注射器、あるいは密閉されたシリンダーだな。物流の梱包と同じだ。隙間があれば中身の品質は保てない。となると……【アセンブリ】で設計図の公差を極限まで絞り込めば、ゴムパッキンなしでも火種を作る圧力は確保できるはずだ」
物は試しだ。【アセンブリ】で設計するだけなら、労力はそんなに掛からない。
嘉人はアセンブリ画面を開き、【在庫】から脂蝋樹の硬い枝と岩石を素材に選んだ。
そして、内径が均一なシリンダー状の筒を岩石で作り、それにミリ単位で適合するピストン棒を脂蝋樹の枝で設計する。
「先端には、火口を保持するための窪みを作って……よし、これでいいだろう。実行!」
ポーン、と音がして、嘉人の手に精密に削り出された石の筒と木の棒が現れた。
ただ、これで完成ではない。
嘉人はさらに、【アセンブリ】を使って着火剤も作る。これは脂蝋樹を種、果肉、殻と分解してから、種を細かくして果肉の粘性を利用してまとめればいい。油性が高い果物らしいので、なんとかなるだろう。
そうして作った着火剤もUSCから【出庫】し、ピストン先端の窪みにセットした。
「これで後は……」
嘉人は木の筒を岩の上に垂直に立て、両手でピストンの頭を包み込むように握った。
一度大きく息を吐き、体重のすべてを乗せて――一気に、叩きつけるようにピストンを押し込む。
「――ッ!」
シュッ、という鋭い空気の漏れる音と共に、手のひらに強い衝撃が走った。
嘉人はすぐさま、圧力が逃げないうちにピストンを引き抜いた。
「………………」
暗闇の中、先端の窪みを凝視する。
小さな着火剤に、チリチリと赤く、星のように輝いていた。
「……よし、点いた!」
嘉人はその小さな火種を、あらかじめ用意しておいた脂蝋樹の皮の束の中に慎重に移した。
ふっ、ふっ、ふっ、と、嘉人の吐息に合わせてオレンジ色の光が拍動する.輝きが、徐々に強まっていく。
やがて、パチリという軽快な音と共に、一筋の炎が立ち上がった。
炎はすぐに脂蝋樹の油を吸い上げ、小屋の壁を暖かく照らし出した。
「やった……成功だ!」
手のひらの痛みと引き換えに手に入れた、初めての火。
それは、現代社会ならコンビニで百数十円払えば手に入る、あるいはコンロのスイッチを捻るだけで得られる「当たり前」の現象だった。
しかし、一切の文明から切り離されたこの場所では、この小さなオレンジ色の光こそが生と死を分かつ境界線だ。
暗闇という恐怖を塗り潰し、寒さを追い払い、そして獲物の肉を「食事」へと変えてくれる魔法。
USCという強大な力を得てもなお、自らの肉体を駆使して手に入れたこの原始的な灯りは、何物にも代えがたい達成感と安堵を嘉人の胸にもたらしていた。
「……さて、次だ」
嘉人はタブレットの画面に視線を落とした。【在庫】の末尾には、先ほど【入庫】したばかりの『ボーン・ボア(生体・未処理)』という項目が鎮座している。
これをそのまま【出庫】すれば、狭い小屋の中に猛獣を解き放つことになる。だが、外に【出庫】しなければ処理することができない。
「……いや、待てよ? 生きたまま【入庫】できるなら、USCから出さずに加工もできたりして……?」
嘉人は【在庫】にあるボーン・ボアのアイコンをタップし、情報の詳細を深く潜るように確認していった。
「……さて。『生体』という、管理上もっとも厄介な生鮮在庫をどう捌くかだ。水の時に使った『構成編集』の出番だが……生き物相手にも使えるのか……?」
そこをタップすると、画面は一変した。
ボーン・ボアの全身を精密にスキャンした透過図が浮かび上がり、その傍らには、まるで機械製品のパーツリストのように『肉』『皮』『骨』『内臓』『血液』といった構成要素が、含有率や推定重量と共に羅列されている。
(……なるほど。〝在庫〟の分類によって、構成編集の内容も変わるってことか。さしずめ、アセンブリが『組立』なら、構成編集は『分解と選別』に相当する感じだな。どこまで細かく分解と選別ができるのかは……ま、後でいいか)
画面にはボーン・ボアの全身を精密にスキャンしたワイヤーフレームが浮かび上がり、その傍らには、まるでプラモデルのパーツリストのように『肉』『皮』『骨』といった構成要素が羅列されている。
(……待てよ? システム側は全部位のデータを把握しているが、どこを『肉』として残し、どこを『ゴミ』として捨てるかの判断は俺が決めなくちゃいけないよな……)
USCにとって、ボーン・ボアの肉も内臓の中身も、等しく〝構成するデータ〟でしかない。
もし嘉人が安易に「肉っぽい部分を全部出庫」という曖昧な命令を出せば、食用に適さない部位や、最悪の場合、寄生虫や毒素を含む部位まで可食部医に混入するリスクがある。
そして、要不要の判断を的確に行えるだけの知識を、嘉人は持ち合わせていなかった。
(こういうときは……)
迷わず、嘉人はナレッジ検索を並行して立ち上げた。
「んー……ボーン・ボアといって出てくるかな? ま、やってみるか」
ひとまず嘉人は、検索窓に『ボーン・ボア 解体』と撃ち込んでみた。
すると、まさしくボーン・ボアの標準的な解体図がヒットした。
「あるのかよ! ……いや、そうか。システム側はこれを『有害部位の除去手順』としてリストアップしてるのか」
どうやらナレッジ検索は、嘉人が以前扱っていた標準作業手順書のような形式で、この世界の脅威を〝適切に処理すべき品目〟として翻訳してくれているようだった。
感心半分、呆れ半分の気分でボーン・ボアの標準解体図を開き、実行中の構成編集に読み込ませてみた。
すると、ボーン・ボアのワイヤーフレームが部位事に色分けされた。
「いける、か……?」
嘉人はしばし逡巡した後、画面に表示された『実行』をタップした。
その、直後。
手元の画面内で表示されていたボーン・ボアが、一瞬で素材群へと書き換えられた。
「これで完了してる? 本当に?」
嘉人は思わず画面を凝視したまま、半信半疑で訝しんだ。
念のため【在庫】のメイン画面に戻ると、そこには先ほどまであった『ボーン・ボア(生体・未処理)』の項目が書き換わっており、代わりに『可食部』『素材』『未定義』といった項目に変わっていた。
「……これはもう、存在の再定義だな……」
食用は、言うまでも無く食べられる肉のことだ。ロースやヒレ、イチボなどの部位である。
素材とは、ボーン・ボアの名を表わす立派な角や革のことだ。
そして未定義というのは、血液や消化管内の排泄物を指している。
「いちおう、USCのデータ上ではボーン・ボアの解体ができてるわけだけど……出してみるか」
生物をデータとして【入庫】し、そのデータをUSC内で可食部位や素材に分けることはできた。
問題は、それをちゃんと【出庫】できるかどうかだ。
「木や岩は【アセンブリ】で加工したものも出てきたけど、さすがに生き物は──」
半信半疑のまま、嘉人は可食部位の『ボーン・ボアロース:百グラム』を在庫を【出庫】に映した。
ポーン、という何度も聞いた電子音とともに、まるで肉屋で処理されたような塊肉が出現した。
「で、できてる……」
どうやら、USC──万物在庫管理装置という名称は、伊達ではないらしい。
このシステムは、文字通りこの世界のあらゆる〝モノ〟を在庫とし、管理することができるようだ。
そこには有機物や無機物の違い、命の有無、果ては人間の倫理観さえも超越し、システマチックに実行の可否を行っている。




