第33話 龍脈水の活用方法
後日。
街道を覆っていた濃密な魔力が消え、凶暴化していた野生生物が大人しくなった頃、ようやく王国騎士団と探求者の合同チームが黒曜鉱山へと到着した。
彼らは最悪の事態を想定し、万全の装備を整えていた。
数日前までのこの場所は、制御不能な魔力の奔流と、いつ崩落してもおかしくない岩盤に支配されていた。一度は、騎士団が持つ聖法具が、近づいただけで壊れてしまったのである。
しかし、恐る恐る最深部の採掘層へ足を踏み入れた彼らが目にしたのは、予想だにしない平穏な光景だった。
床一面を埋め尽くしていたはずの〝光る液体〟は完全に引き、代わりに現れた岩盤は不自然なほど平坦に整えられていた。乱立していた水晶のトゲも、歩行を妨げる岩の塊も、まるで最初から存在しなかったかのように消え去っている。
そして、騒乱の元凶であった巨大な亀裂には、見たこともない形状の断魔石の塊が、隙間なく完璧に打ち込まれていた。
「……いったい何があったというのだ……」
先頭の騎士が、警戒を解かずに呟いた。
あれほど手が付けられなかった激流を、何者かが物理的に封じ込めたのは明白だった。
明日からでも採掘再開の準備ができるほど整えられた現場を見て、メンバーたちは救われたことに安堵しつつも、同時に「いったい誰が、どうやって?」という戸惑いも隠せずにいた。
自分たちが命がけで挑もうとしていた難所が、自分たちの知らないうちに、あまりに手際よく片付けられている。
喜びは確かにあったが、それと同じくらい、説明のつかない奇妙な状況に彼らは顔を見合わせ、ただ首をかしげるばかりだった。
■□■
そんな騎士や探求者が首を傾げる状況を作り上げた張本人は、断魔石での〝蓋〟を施工した当日、のんびりした歩みで黒曜鉱山を後にして、シルヴィとハルヴァの二匹と無事に合流していた。
「遅かったではないか。なんだ、道に迷ってたのか?」
退屈そうに尾を振っていたハルヴァが顔を上げた。
隣ではシルヴィが、鉱山の変化を敏感に感じ取り、ふてぶてしい笑みを浮かべていた。
「上手くやったようだね。濃い魔力の匂いが漂わなくなってるわよ」
「ああ。万事、上手くいったよ」
嘉人はそう言って、手元のタブレットPCを軽く叩いた。
画面には、新調された【アセット・レジストリ】の在庫リストが並んでいる。そこには、王都の魔道士たちが一生をかけても目にすることがないであろう、天文学的な量の〝龍脈水〟が整然と積み上がっていた。
「現場で確認したら、龍脈そのものが噴き出してるんじゃなくて、龍脈の魔力を含んだ地下水が噴き出してたんだよ。まぁ、俺としてはその方が見知った状況だったから、後は簡単に事が運んだけどな」
「本当に、アンタって奴は……。あの魔力の嵐を〝見知った状況〟なんて言えるんだから、呆れるのを通り越して感心するわ」
シルヴィが呆れたように鼻を鳴らす一方で、ハルヴァは嘉人のそんな小難しい説明には一秒で飽きたらしく、大きく口を開けて欠伸をした。
「そんなことより、腹が減ったぞ! お主、最高に美味い肉を出すのだ!」
「そうだな。王都に戻ってからエルネシアを迎えに行って、それから盛大に打ち上げとしようか」
「おう、任せておけ! 飯のためなら風よりも速く走ってやるぞ!」
なまじ大口を叩いてるとは思えないハルヴァの言葉に苦笑しながら、嘉人はライディング・ユニットを取り出し、装着させた。
嘉人が背に乗ると、宣言通りにこれまでで一番の速度を出してハルヴァが走り出す。もちろん、シルヴィも遅れることなくしっかりと付いてきた。
遠ざかっていく黒曜鉱山からは、もはや不気味な光も水も漏れていない。周囲の異常な魔力の高まりだって、そのうち消えるだろう。
やがて、夕刻の陽光を浴びて黄金色に輝く王都レガリスの白亜の城壁が、視界いっぱいに広がってきた。
「ハルヴァ、ここまでで大丈夫だ。あまり城門付近まで近づきすぎると大騒ぎになるからな」
「やれやれ、面倒なことだ」
不満を漏らすも、ハルヴァは器用に速度を落とし、街道から少し外れた林の影で足を止めた。嘉人は慣れた手つきでライディング・ユニットを解除し、USCへと回収する。
「私たちはここで待っているわ、早く戻ってきなさい」
「お主が戻ってこないことには、美味い肉にありつけんからな! がはは!」
二匹からそこはかとなく圧を掛けられている気もするが、嘉人は「なるべく早く戻ってくるよ」と言い残して、王都の正門へと歩き出した。
検問を抜けると、そこには数時間前と変わらぬ、しかしどこか落ち着かない様子の人波があった。黒曜鉱山における騎士団の失敗、という噂が広まってきているのかもしれない。
人々の顔には、不安の影が差し始めているように見えた。
そんな喧騒の中、嘉人は真っ直ぐに、エルネシアと別れた場所――探求者ギルド近くの広場へと向かった。
広場の噴水近く。
夕闇が迫る中、所在なげに指先を組み、何度も何度も正門へと続く大通りの方に視線を送っている少女がいた。
「エルネシア」
嘉人が短く声をかけると、彼女はびくりと肩を跳ねさせ、弾かれたように顔を上げた。
とんがり帽子の庇の下、変わらぬ淡々とした表情で立つ嘉人の姿を認めた瞬間、彼女の瞳に大きな動揺と、それ以上の安堵が広がった。
「ヨシト!? もう戻ってきたの?」
彼女は駆け寄り、嘉人の目の前で急ブレーキをかけるように止まった。その肩は激しく上下しており、彼がいない間、どれほど落ちつかなかったのかが手に取るようにわかる。
「怪我はない? 具合は悪くないの? 鉱山はどうなったのよ?」
矢継ぎ早に投げかけられる言葉に、嘉人は少しだけ口角を上げた。
「全部片付けてきたよ。途中までシルヴィとハルヴァに送ってもらって、かなりの時短になった。鉱山の噴出は止めたし、道中の邪魔な岩も片付けてきた。すぐにでも採掘の再開ができるんじゃないかなぁ」
「……片付けたって、そんな簡単に……騎士団ですら失敗したのに……」
エルネシアは呆然と呟き、それから嘉人のローブに汚れ一つないことを見て、深く長いため息をついた。
「……あなたが『大丈夫』って言うなら、そうなんでしょうね。理屈は後でたっぷり聞かせてもらうんだから」
「ああ、食事をしながら話そう。ハルヴァたちが、肉を求めて限界らしい」
「ふふ、そうね。……おかえりなさい、ヨシト。本当に、お疲れ様」
夕刻の鐘が鳴り響く王都で、二人は再会を果たした。
アステリア王国を揺るがす大事件を片付けた男と、それを見守っていた少女。二人の影は長く伸び、活気に満ちた夜の街へと溶け込んでいった。
「それじゃ、アルケインの里に戻るか。その前に、外ではシルヴィとハルヴァが待ってる。早く肉を食わせろ──だとさ」
「うーん……不踏の大森林の支配種というイメージが、単なる食いしん坊に塗り替えられていくわ……」
本来ならば、出会った瞬間に生存を諦めなければならない存在なのに。
エルネシアは現実と語り継がれる伝承とのギャップに頭を悩ませた。
「そういや兄貴のところへは行ったのか?」
「え? ああ、行ってないわ。お兄ちゃんだって、任務に失敗した後に妹と会いたくないでしょ」
確かに。
任務に失敗した──なんてみっともない姿を肉親に、特に妹なんかには見られたくないのかもしれない。
エルネシアの方も、無理に兄に会いたいわけでもなさそうだ。
そういうことならそういうこととして、二人は王都を去ることにした。そのまま門を出て、森の中に潜んでいるシルヴィとハルヴァの二匹と合流する。
その後は宴の時間だ。
王都近くの森の中でわざわざキャンプのようなことをするのは奇妙だが、シルヴィとハルヴァを王都に招き入れることができないのだから仕方ない。それに、この状況は不踏の大森林を通り抜けたあの日のことを思い出させてくれて、少し懐かしい気もする。
そんな宴が終盤を迎えた頃、嘉人はおもむろに〝本題〟を切り出した。
「そういや無事に〝龍脈水〟を大量に手に入れたぞ」
「え、本当に手に入れたの? もしかして、件の魔道書に付いてるマジックバッグに収納できた? よく、世界に影響を与えるほど濃い魔力を入れることができたわね」
「ああ。これで出力不足の環境魔力問題は解決できる」
今回、嘉人が妙に積極的に黒曜鉱山の問題を解決した理由がここにある。
エルネシアに開発を頼んだ〝魔力を持たない人間が魔器を操る魔器〟の開発で、一番のネックになっていたのが、環境魔力の少なさだ。想定以上に低く、魔器を起動させるだけの魔力を集められない。
そこで嘉人が目を付けたのが、黒曜鉱山から噴出している〝光る液体〟、すなわち龍脈水だ。
野生生物を凶暴化させ、生物よりも成長の遅い植物や鉱物さえも急成長させるほどに濃い魔力なら、ネックになっていた環境魔力の代わりになるのではないか──そう考えたのだ。
「総量としては十五万リットルほど、俺の在庫になってる」
「じゅうご……ちょっと何言ってるのかわからないわ」
エルネシアは深く考えることをやめたようだ。
確かに、龍脈の魔力が濃密に溶け込んだ水なんてものは、水滴一粒でも貴重なのだろう。研究者が、こぞって欲しがってもおかしくない。
「でもまぁ、ヨシトはその龍脈水を環境魔力の代わりにするつもりなんでしょう? どうやって使うつもり? まさか液体をタンクに詰めるの? そんなことをしても、あっという間に環境魔力に溶け込んじゃうんじゃないかしら?」
「そうならないために、断魔石を三トンほど残してある」
「あ、なるほどね」
その一言で、エルネシアは嘉人の考えをすべて読み切った。
嘉人は断魔石をスイッチのオン・オフだけに使うのではなく、龍脈水を密封しておく容器にも使うことを考えているのだ。
断魔石は魔力を完全に遮断する、天然の魔力絶縁体である。龍脈水に溶け込んでいる魔力であろうと、完全に包み込んでしまえば環境魔力に溶け込む心配はない。
「名付けて、魔力セル。ただ、断魔石で完全密封すると中の魔力が取り出せないから、先端を導魔石にしようと考えてる。時間の経過とともに龍脈水から魔力は抜けていくだろうけど、一日二日で魔力切れを起こすことはないよな?」
「それなら、野ざらしにするより魔力の減りは少ないと思う。なるほど、断魔石を使った魔力貯蔵タンク、魔力セル……ね」
エルネシアは黙り込み、口元に手を当てて熟考する構えに入った。
彼女の頭の中には〝魔力を持たない人間が魔器を操る魔器〟の設計図が入っている。唯一の問題だった環境魔力の出力不足を、魔力セルに置き換えるだけでいいのだ。
考える時間は、そんなに長く必要なかった。
「うん……理論上はいけると思う。問題は龍脈水に含まれている魔力の量と、魔力セルの大きさかしら?」
「龍脈水の含有魔力量か?」
そういえば──と、嘉人は思い出した。
Ver. 1.10に〝成長〟したUSCの【アセット・レジストリ】で、そのあたりのことが書いてあった。
「エネルギー密度が二千八百パーセント……とか出てたな?」
「にせんはっぴゃくぱーせんとぉ!?」
エルネシアの裏返った声が、夜の静寂を切り裂いた。その拍子に、焚き火の爆ぜる音が重なり、火の粉が二人の間で舞い上がる。
「それって、普通の魔導師が全力で放出する魔力の二十八倍の密度ってことよね? そんなの、点火どころか回路に流した瞬間に、魔器の導魔石が耐えきれずに砕け散るわ」
「……そうか。過剰供給か」
嘉人はあごに手をやり、冷静に思考を巡らせる。
当初は出力不足を懸念して龍脈水に目をつけたが、手に入れた代物は想定を遥かに超える劇物だった。
だが、ここで嘉人は、一つ一つの魔器に火種を仕込むという当初の案を修正した。
「エルネシア、発想を変えるよう。そういうことなら、一つ一つの魔器へ個別に魔力セルを仕込むのはかえって危険だ。管理も面倒になる。だから、拠点の元栓にできないか?」
「元栓……? どういうこと?」
「俺の家の基部に、龍脈水を封入した魔力セルを据える。そこから導魔石を介して、室内の各魔器に魔力を繋ぐんだ。一箇所で一括して魔力の元栓を管理し、必要な分だけを各所に流すんだ」
エルネシアは開いた口が塞がらないといった様子で嘉人を見た。だが、その頭脳はすでに職人として、その分配器の構造を組み立て始めている。
「つまり、一つの魔力セルで家中すべての魔器の魔力を補おうって発想ね。確かに……通常の二十八倍の魔力なんていう桁違い力を、安全に小出しにするにはそれが一番かしらね」
「製作は任せた。断魔石の在庫は十分にある。セルの容器と遮断弁を作るには十分すぎる量だ。里に戻ったら、すぐに取りかかってくれよ? それができれば、魔力のない俺でも不自由なく生活できる環境が整うんだ」
嘉人は目を輝かせ、グッと拳を握って力説した。
王国所属の騎士団や探求者たちが、手も足も出なかった龍脈水の噴出をいとも容易く押さえ込んだ時でさえ顔色一つ変えずに淡々とこなしたくせに、自分の生活のことになると力の入れようが半端ない。
「……あなたって、本当に妙なところで熱が入るのね」
「俺はただ、自分の拠点を使いやすく整え、生活の質を少しでも上げたいだけだよ」
嘉人は立ち上がり、服についた煤を払った。
肉を食らい尽くしたハルヴァとシルヴィの寝息が響く中、焚き火の火が静かに小さくなっていく。
明朝、一行はアルケインの里へと向けて出発する。
アルケインの里で買い取った、三ヶ月滞留している特注の魔器も全件配達しなければならないだろう。
明日からまた、忙しくなりそうだ。




