第34話 新たな日々
龍脈水の騒動が片付いてから、約一ヶ月が過ぎた。
黒曜鉱山が正常に戻ったとの知らせが届き、凶暴化していた野生生物は落ち着きを取り戻して街道封鎖も解除された。
それにより、アルケインの里も本格的に息を吹き返すことができた。
滞っていた物流も再開され、食糧や日用品はもちろん、最近になってようやく黒曜鉱山から導魔石も届くようになった。里はようやく日常を取り戻したのである。
そして、嘉人の家にも変化が起きようとしていた。
「それじゃ……やってみるぞ」
嘉人の声はいつになく緊張を孕んでいた。
傍らでは、エルネシアが固唾を呑んで見守っている。
嘉人の指が、小さなスイッチをゆっくりと押し込んだ。
シュボッ!
小気味良い音と共に、新設したコンロに青白い火柱が上がった。
「……点いた」
嘉人は、コンロから立ち上る炎の熱をわずかに感じながら呟いた。
魔力を持たない自分の手で、魔力がなければ起動しない魔器を起動させたのである。歴史的に見ても快挙というべき出来事だった。
「やった……やったわ、ヨシト! 魔法が使えないあなたでも、指一本で火を点けたわ!」
エルネシアも歓喜の声を上げて、嘉人の肩をバンバン叩いた。彼女にとっても、個人魔力に頼らない画期的な魔器の開発に成功したという、魔器職人としての偉業を成し遂げたのだった。
対照的に、嘉人は熱を帯びるコンロを見つめ、つまみを回して火力が滑らかに変化する様子を、検品するかのような冷徹な目で見つめていた。
「……ああ。安定している。これでようやく、自分の好きなタイミングで、苦労もせずに火が使えるな」
「ちょっと、喜ぶとこはそこなの!? 世界の常識をひっくり返したのよ、私たち!」
あまりに淡々とした嘉人の反応に、エルネシアが呆れたように声を上げた。だが嘉人にとって、この当たり前を自分の手に取り戻すことこそが、何よりも求めていたものだった。
嘉人は火を消すと、一旦キッチンを離れ、玄関の壁面に設置された断魔石の盤面――メインブレーカーの前へと歩み寄った。
そこにはカートリッジ式の魔力セルが収まっている。
この一箇所を起点に、家全体の壁裏には導魔石を用いた配線が、嘉人の知る電気系統さながらに張り巡らされているのだ。
「魔道セルと魔器を一対一で組み合わせれば、高密度の魔力で魔器の心臓部である導魔石が壊れかねない。実際、黒曜鉱山では王家の聖法具ですら壊れたって話だしな」
「そういうこと。だからあたしたちは、一つの魔道セルを複数の魔器と組み合わせたのよね? ヨシト、よくそんなことを思いついたわね」
「まぁ……な」
嘉人の発想の原点は、元の世界──現代日本において、どこの家庭でも当たり前のように存在する配電盤だ。
本来、配電盤は送られてきた高圧の電気を一旦受け止め、そこから変圧器を通って、家庭用の家電や機械が安全に使えるように電圧を調整している。
ここも同じだ。
龍脈水に含まれている高密度の魔力を魔道セルで止まらせ、魔力放出量の調整魔器で通る魔力の量をコントロールしている。この魔力放出量調整魔器は魔道セルと一対一で繋げたら調整しきれずに吹っ飛ぶが、五個、十個と並列して繋げたことにより、なんとか安定してくれた。
言うなれば、嘉人は現代社会でインフラを動かしているエネルギー〝電力〟を、魔力にまるっと入れ替えてみせたのだ。
「いやあ……まさか本当に成功するとは。エルネシア、魔器職人としての君の腕前は本物だったな」
「何言ってんの。ヨシトが考えた魔力分配器の案があってこそでしょ。それに、壁の中に導魔石を張り巡らせるって案も驚いたわ」
そもそも、導魔石は鉱石である。鉱石なのだから紐のように曲げたり折ったりすることはできない。
それを可能にしたのが、嘉人の持つUSCだ。USCのデータ上なら、鉱石だろうがなんだろうが自由に形を変えられる。
さらに、USCもバージョンが1.02から1.10になったことで【アセンブリ】からさらに進化し、【エンジニアリング・エディタ】になった。
従来通り加工や設計ができるのはもちろん、構造シミュレーター機能も追加され、実際に作る前に耐久性などのチェックもできるようになったのが大きい。
おかげで、魔力分配器や魔道セルを作る際に、魔道セル一つでいくつの魔器と繋げれば安全なのかを、在庫を無駄にすることなく調べることができた。
「これでようやく、前と変わらない生活ができそうだ」
嘉人がポツリと漏らしたその言葉に、エルネシアはあきれ顔で肩をすくめた。
魔力を持たない嘉人のために、この奇妙な魔器をなんとか完成させた。だが、生まれながらに魔力を持ち、魔器を自由に使える人たちが見れば、それは「そこまでして不便を解消したいのか」と首を傾げたくなるような、偏執的な執着の産物でしかないだろう。
嘉人にとっても、これが「世界を変える発明」だなどという自負はない。
ただ、自分がこの世界でまともに生きていくために、欠落したピースを無理やり埋めたに過ぎないのだ。
嘉人はキッチンの壁に掛けてあった配送予定リストに目をやった。
街道封鎖が解かれたことで、人々の往来も元に戻っている。
だからこそ、嘉人はこのアルケインの里に来た時に食糧と交換した特注品の魔器を、本来の注文主に送り届けなければならない。
「さて、家のことはなんとかなったし、仕事に行くか」
「あ、それならあたしは、この魔力分配器の様子をもう少し見ておきたいわ。今日から動かしたんだもの、万が一が起こらないとも限らないし」
「それなら、その〝万が一〟のときは魔力セルを取り外してくれ」
そう言って嘉人はエルネシアに軽く手を振ると、玄関を出て高台の爽やかな風を浴びた。
外では、肉を食らって満足したシルヴィとハルヴァが、退屈そうに尾を振りながら昼寝を楽しんでいる。
「お、ヨシトではないか。なんだ、どこかへ行きたいのか?」
「おまえの巣から、穏やかな魔力の循環を感じるわね。悪巧みは成功したのかしら?」
二匹の支配種からの言葉に、嘉人は小さく口角を上げた。
「まぁね。それよりハルヴァ、これから荷物の配達だ。今日もよろしく頼むよ」
「おお、いいぞ。どこへでも運んでやろう!」
ハルヴァの力強い返事を聞きながら、嘉人はUSCの画面を指先で弾いた。
ランディング・ユニットを取り出し、ハルヴァに装着させると、その背に飛び乗った。
視界が高くなり、高台の家からアルケインの里の全景が見渡せた。煙突から立ち上る生活の煙、活気を取り戻した市場の喧騒。そして、背後にある自分の家からは、嘉人が執着し、エルネシアと共に作り上げた〝安定した魔力の鼓動〟が静かに響いている。
「よし、行こう。今日は商業都市の方だ」
嘉人の合図に、ハルヴァが大地を蹴った。シルヴィも、その後を付いてくる。
背後には、ようやく手に入れた自分一人の手で管理できる家がある。魔力がないという欠落を、知恵と、在庫と、エルネシアの腕で埋め合わせ、嘉人はこの異世界での足場を完璧に整えた。
インフラが整い、生活が安定し、帰りたいと思える家もできた。
ならば、次に行うべきは、止まっていた時間を動かすことだ。
街道の先で荷を待つ者のもとへ。
不便なこの世界を、自分自身のやり方で少しずつ快適に塗り替えながら。
一人の運び屋と二匹の支配種は、晴れやかな風を切って、新たな配達の旅路へと踏み出した。
それが、この異世界で生きる柏木嘉人の、新たな日常の始まりだった。




