第30話 物流の対価
封鎖線の向こう側は、死臭が漂う死地だった。
三ヶ月に及ぶ封鎖によって人通りが途絶えた街道は、もはや文明の道ではない。野獣たちの剥き出しの縄張りへと変貌していた。
「……酷いわね。ここ、本当はもっと賑やかな場所だったのに」
シルヴィの背で、エルネシアが苦しげに呟く。
道端には、かつて行商人が捨て置いたであろう荷馬車の残骸が転がり、草が石畳を割って生い茂っている。
そして何より、漂ってくる臭いが異常だった。
ハルヴァが言っていた〝酒精の香り〟──龍脈から漏れ出た過剰な魔力が、大気を淀ませているのかもしれない。
「うぅ……気分が悪くなってきた……」
魔力のない嘉人には何の変化もないが、微量でも魔力を宿すエルネシアには影響が出始めている。
ここは一刻も早く駆け抜けた方が良さそうだ。
嘉人がそう考えた直後──ガサリ、と茂みが揺れる。
飛び出してきたのは、不踏の大森林でも目にしたことのあるブラッドベアだ。ただ、嘉人が知る個体より、体の大きさがだいぶ小さかった。
そんな小型のブラッドベアの瞳は血走っており、自分たちより遥かに巨大なシルヴァン・フェリスを前にしても、恐怖を忘れて牙を剥く。
「ハルヴァ、適当にあしらって、最短で駆け抜けるぞ」
「言われんでもこんな小物、いちいち相手をしてられんわ」
ハルヴァは速度を緩めることすらしない。
襲いかかろうとしたブラッドベアは、彼らが放つ威圧感と、通り過ぎる際の衝撃波だけで弾き飛ばされていく。
シルヴィもまた、音もなく跳躍しては、邪魔な個体を前脚の一撃で叩き伏せた。
街道が死地になっているのは間違いない。
ただしそれは、人間から見て──ということだ。
不踏の大森林の支配種たちからすれば、これらは狂暴化した脅威などではなく、ただの行儀の悪い雑魚に過ぎなかった。
そんな野獣たちの襲撃を蹴散らして進んでいると、やがて平坦な街道の先に、雲を突くような白亜の城壁が見えてきた。
「よし、ハルヴァ。ここで止まってくれ」
これ以上、二匹の支配種に乗って近づけば大騒ぎになってしまう。嘉人とエルネシアは慣れた手つきでライディング・ユニットから降りた。
「おまえたちはここで待っててくれ」
嘉人の言葉に、ハルヴァは「ふむ」と考える素振りを見せた。
「では、儂らは狩りでもしてくるか」
「あら、それはいいわね」
ハルヴァの考えに、どうやらシルヴィも異論は無いらしい。二匹の支配種は、近くの林の中へと消えていった。
「狩りって……まぁ、街道で暴れる獣が減るなら、それでいいか。こっちも行くぞ、エルネシア」
「ヨシトの方こそ、ちゃんと〝大魔道士〟を演じてよね」
「努力はするよ」
嘉人は藍色のローブの裾を軽く整え、エルネシアを連れて正門へと歩き出した。
門の近くまで来ると、王都近郊の農地で作業をする者や、薪を拾う者たちの姿がちらほらと見え始める。嘉人たちも、そうした〝近場から来た人々〟に紛れるようにして検問へと歩み寄った。
「次の方、どうぞ。……どこから来た?」
門番の兵士は、並んでいる農民に接するのと変わらない、ひどく退屈そうな様子で嘉人たちに声をかけた。
「アルケインの里から。注文を受けていた魔器を届けにきた」
「……はいはい、アルケインね。……え、アルケイン?」
嘉人がさらりと答えた地名に、門番のペンが止まった。
三ヶ月間、誰も通っていないはずの向こう側。その名を聞いて、門番は一瞬だけ嘉人の顔を見たが、嘉人の魔道士然とした姿に言葉を飲み込んだ。
「本当か? あの街道を……いや、それよりも魔器を届けに来た、だと? その荷物はどこにある」
「ここに」
嘉人はこれ見よがしにタブレットPCを操作し、【在庫】の中にあった木箱を、門兵の前に出現させた。
「なっ!? い、今のは──」
「こちら、不踏の大森林に居を構える大魔道士様です」
驚く門兵に対し、エルネシアがすかさず嘉人のことをそう紹介した。
「三ヶ月にも及ぶ街道封鎖のため、大魔道士様に救いを求めたのです。あ、ちなみにあたしはエルネシア。アルケインの里の里長の娘で、第一師団直属の魔器挺身隊に所属しているディートリッヒの妹です。これ、身分証」
エルネシアは門兵が驚きのショックから立ち直るより先に、門を通るに必要な情報を矢継ぎ早に叩きつけた。
「な、なるほど。ディートリッヒ様の妹君に、ローレイア男爵家への魔器納品か……」
門兵の視線が、嘉人が出現させた木箱を検分するかのように凝視する。
アルケインの刻印が施されたその箱は、紛れもなく本物だ。
そして、それを虚空から出現させた嘉人の技は、兵士の目には高位の空間魔法に見えただろう。彼を本物の大魔道士と確信させるには十分なインパクトがあった。
「よかろう。男爵様からは、街道が塞がる前から『荷が届いたらすぐに通せ』ときつく言われていたんだ。この状況で本当に届けてくるとは……通っていいぞ」
嘉人は特に表情を変えることもなく、出現させた木箱を再び【入庫】して消すと、エルネシアを促して門をくぐった。
「ふぅ、こっちは思いのほか、すんなり通れたわね。さすが、〝大魔道士〟様の威光は凄いわね」
「茶化すなよ。さすがに王都にまで影響が出るほど、黒曜鉱山の異変はひどくないってことじゃないか? もっとも、これからも放置し続けたらどうなるかわからんが……」
それは確かに──と、エルネシアは嘉人の言葉に頷いた。
今はまだ、黒曜鉱山で導魔石が採掘できなくなっただけのこと。アルケインの里にとっては死活問題だが、王都の運営は導魔石だけに頼っているわけでもあるまい。
問題は、その解決に向けて出立した王国騎士団が失敗した、という事実だ。
それが市井の噂だけに止まらず、王国全土に広がればどうなることか。よからぬ企てを持つ貴族が、謀反だなんだと下心を覗かせかねない。
「とにかく、まずは軍資金の調達だ。急ごう」
嘉人はタブレットPCの【エリア・マッピング】機能を使ってローレイア男爵家の位置を探り当てた。
迷うことなく貴族街へ向かい、目的の場所にたどり着く。さすがに荷物の配送に来ただけなのだ、正門から入るわけにはいかない。
「ここからはエルネシアの方が対応してくれ。俺よりも、実際に里長の娘が届けに来た方が説得力あるだろ?」
「仕方ないわねぇ」
エルネシアは苦笑混じりに頷くと、改めて【出庫】したローレイア男爵宛の魔器を手に、邸宅の勝手口――荷受け用の通用門へと向かった。
嘉人は少し離れた位置で、とんがり帽子の庇を深く下げて待つことにした。今回ばかりは〝不踏の大森林に居を構える大魔道士〟の肩書きは重すぎる。
嘉人が見守っていると、老執事が対応に出てきた。三ヶ月間待ちわびた特注品の到着、そしてそれが里長の娘による直々の納品であることに驚愕し、執事は深々と頭を下げ、震える手で木箱を受け取った。主が苛立っていたであろう件が、ようやく解消されることにホッとしているのかもしれない。
そこからは早かった。
形式通りの受領確認を終え、数分後、彼女が戻ってきた。その手には、ずっしりと重い革袋が二つ握られている。
「……お待たせ。男爵様、奥で飛び上がって喜んでたみたいよ。代金と配送料、一銭も値切らずに全額出してくれたわ」
「値切られることもあるのか」
「たま~にね」
「それで、代金と送料合わせていくらくらいだ?」
「アステリア王国金貨で二百五十枚」
「ふむ?」
金額を聞いても、嘉人がピンとこないのも無理はない。今の今まで、彼はこの世界の貨幣経済にまったく触れずにいたからだ。
「金貨一枚って、どのくらいの価値があるんだ?」
「え? そうね……王都で一人生活するのに十分な部屋が借りれるくらい?」
嘉人は現代日本の貨幣価値に照らし合わせて考えてみた。
厳密に同じとは到底言えないが、嘉人が転移する前は、そこそこ立地のいいワンルームに住んでいた。その時の家賃が、約十万円。
つまり金貨一枚で十万円くらいなのかもしれない。
それが二百五十枚。
アルケインの里で特注品の魔器を作ると、日本円にしてだいたい二千五百万円くらいする──ということだ。
「かなりの額だな。こっちから提供した食料を考えると、貰いすぎな気がする」
「そこはまぁ、需要と供給っていうか、あの状況だったら食糧を金貨五百枚と交換でも釣り合うんじゃない?」
アルケインの里出身で里長の娘がそう言っているのだ。そういうものかと嘉人は納得することにした。
「それで、ヨシト。次はいよいよ……?」
「ああ。探求者ギルドだ」
嘉人は歩みを速め、王都の中央通りに建つ、剣と秤の紋章が掲げられた巨大な石造りの建物――『探求者ギルド』本部へと向かった。




