第29話 王都への道
嘉人は、自室で新しい装備の感触を確かめていた。
ベッドの上には、丁寧に畳まれた元の世界の会社の作業着が置かれている。この世界に転移してから今日まで、嘉人の体を覆っていた唯一の衣類だった。
エルネシアが生活魔法を使えると知ってからは適時綺麗にしてもらっていたが、それでも異世界の「布」としての質感は、里の住人たちの目には常に異質に映っていたはずだ。
そんな彼の新たな衣装は、深い藍色のローブと大きな鍔のついたとんがり帽子だ。
エルネシアが「大魔道士っていうハッタリがあった方が、王都での活動も悪目立ちしないでいいと思う」と、半ば強引に持ち出してきた代物である。
嘉人自身は服装にこだわりはなく、これから向かう王都において、エルネシアの言うことも一理あると思った。
大魔道士という肩書きを最大限に活用し、交渉を最短で終わらせるための〝記号〟として、これほどまでに嘉人に似合うものはないだろう。
「これじゃまるでコスプレなんだよなぁ……まぁ仕方ない、か」
嘉人はローブの袖のゆとりを確認するように腕を回し、重たい帽子の位置を無造作に直してから家の外に出た。
そこにはエルネシアの他に、シルヴィとハルヴァが寝転がって日向ぼっこをしていた。
「あら、ヨシト。いいじゃない、似合ってるわよ。どこからどう見ても大魔道士様だわ」
「からかうなよ」
面白がっているような笑みを浮かべるエルネシアに、嘉人は肩をすくめた。
「ところでシルヴィ、ハルヴァ。少し聞きたいことがあるんだが」
嘉人が声を掛けると、二匹のシルヴァン・フェリスは眠たげな眼差しを向けてきた。
「俺とエルネシアはこれから王都に向かうんだが、そこに至る街道では野生生物が凶暴化してるらしい。おまえたちに運んで貰いたいんだが……行けるか?」
「うん? ああ、溢れた龍脈に当てられて魔力酔いしとる連中か」
「魔力酔い?」
「過剰な魔力を浴びて、自分が世界の覇者にでもなったような全能感に酔いしれているのだ。下等な個体ならではの末路だわな」
ハルヴァの話に、嘉人は腕を組んで考え込んだ。
そういうことであれば、魔力回路をそもそも持っていない嘉人にはまったく影響がなさそうだ。
しかし、エルネシアはどうだろう?
彼女は生まれも育ちもこの世界であり、生活魔法が使えるくらいには魔力を持っている。
「それって、人間でも起こり得るのか?」
「人間は総じて魔力量が多くない。酔う前に気持ち悪くなるんでないか?」
確かに、バシュタールの話だと、〝光る液体〟が溢れ出した第十四採掘層では、その場に近づくだけで激しい眩暈と吐き気に襲われ、次々と人が倒れた──とのことだ。
であれば、エルネシアを道案内として同行させても問題ないだろう。
「ちなみに、おまえたちはどうなんだ?」
「儂らか? なぁに、元より莫大な魔力を持つ我らにとて、あの程度の奔流ならば酒精の香りが漂うくらいだ。匂い程度で酔うと思うか?」
「なるほどね」
嘉人は納得して頷くと、傍らで感心したように話を聞いていたエルネシアに目を向けた。
「そういうわけだ。予定通り出発しよう」
「ええ、いいわ。……よもや不踏の大森林の支配種、シルヴァン・フェリスに騎乗して王都に向かう日が来るなんてね」
ははは、と乾いた笑いを零し、エルネシアはシルヴィに装着されたライディング・ユニットに跨がった。
嘉人もまた、ハルヴァのライディング・ユニットに跨がり、タブレットPCをホルダーにセットする。
「よし、行こう。まずは街道の封鎖地点まで進むぞ。くれぐれも、封鎖を無視して突っ切ろうとしてくれるなよ?」
「わかったわかった。しっかり掴まっておれよ!」
ハルヴァの豪快な返事とともに、二頭の巨躯が爆発的な瞬発力で地を蹴った。
本来なら徒歩で数日を要する距離が、シルヴァン・フェリスの跳躍の前では無意味に等しい。嘉人は激しい風圧に晒されながらも、ホルダーに固定したタブレットの地図情報を注視していた。
「……そろそろ封鎖区域だ。ハルヴァ、速度を落としてくれ」
前方の街道を塞ぐように、即席のバリケードと重厚な馬車を並べた封鎖線が見えてきた。
そこには王都から派遣された兵士たちが展開し、街道の奥から狂暴化した獣が飛び出してこないよう、常に剣を抜き、槍を構える戦闘地域だ。
彼らにとって、この封鎖線から先は〝命の保証がない死地〟であり、一般人の通行は国令によって禁じられている。
だからこそ、見張りの兵士たちが急接近する巨大な獣の影に、戦慄が走るのもやむを得ないことだろう。
「あれは……まさか、シルヴァン・フェリス!?」
「構えろ! 街道側から巨大な個体が来るぞ!」
弓矢が番えられ、緊張が極限に達したところで、シルヴィとハルヴァが静かに足を止めた。
嘉人はハルヴァの背から降り、両手を上げて歩み寄る。藍色のローブと大きなとんがり帽子が風に揺れ、その〝いかにも〟な姿に、兵士たちの間に困惑の色が滲む。
「俺たちはアルケインの里から来た! こちらに敵意はない!」
嘉人の冷静な声に合わせ、エルネシアもシルヴィから降りて隣に並んだ。彼女は緊張で指先を震わせながらも、兵士たちに向けて声を張り上げた。
「私はアルケインの里の里長の娘、エルネシア! こちらの方は不踏の大森林に居を構える大魔道士ヨシト様です! 此度の混乱を鎮めるため、協力を申し出てくださいました!」
この〝ハッタリ〟は事前の計算通りだ。
街道が危険ゆえに封鎖されているなら、その危険を無視できるだけの〝格好のつく力〟を示せばいい。
自称大魔道士の肩書きがどれほど疑わしかろうと、背後に控える不踏の大森林の支配、シルヴィとハルヴァの存在が何よりも雄弁な説得力となるだろう。
そしてさらに、ダメ押しの一言がエルネシアにはある。
「そして、私の兄は、第一師団直属、魔器挺身隊で分隊長を務めているディートリッヒです! 兄がこちらに居るのなら、エルネシアが来たことをお伝えください!」
第一師団といえば騎士団の精鋭だ。その中でも特殊な魔器を操る挺身隊は、その実力と希少性は全騎士が知るところだ。
故に──確信を持って『ここにはいない』と断言できる。
第一師団の精鋭が、このような街道の封鎖任務に就いているはずがない。そもそも、王国の騎士団が〝光る液体〟の封印に失敗したという情報が届いている。
高確率で、エルネシアの兄、ディートリッヒは黒曜鉱山に向かい、任務に失敗しているはずだ。
果たして──街道を封鎖するバリケードの奥から、一人の騎士が歩み出てきた。
「……もしかして、居た?」
「ううん、違う人だわ」
小声で尋ねると、エルネシアは即座に首を横に振った。
嘉人は内心で安堵する。
万が一にもここにディートリッヒ本人がいれば、この「大魔道士」というハッタリを維持したまま強引に突破するのは難しくなっていただろう。
「私はこの封鎖線の指揮を任されているラドックだ」
使い込まれた革鎧の上から、王都騎士団の紋章が刻まれたマントを羽織っている無精髭の男は、そう名乗った。精悍さは淀みないものの、顔には隠しきれない疲労が滲んでいる。
それでもその眼光は鋭く、嘉人とエルネシアを値踏みするように見据えている。
「ディートリッヒ殿の妹御か。だがお嬢さん、兄上はここにはおらん。今頃は黒曜鉱山で重要な任務に挑んでいるだろう」
「〝光る液体〟の件ですね。ですが、その任務は失敗したと聞き及んでいます」
エルネシアの言葉に、ラドックの眉がピクリと跳ねる。
「故に、不踏の大森林に住まう大魔道士様をお連れしたのです。黒曜鉱山は、我が故郷アルケインにとっても生命線。このまま座して待つことなどできません」
「………………」
非常に悩ましいことを言われ、ラドックは黙り込んだ。
魔器挺身隊が任務に失敗したのは事実。その情報はラドックの耳にも届いている。
それがこうも広まっているのは予想外だったが、一向に事態が改善しない現状では、どれだけ内密の話としても漏れてしまうのも致し方ない。
そうして漏れ出た話を聞きつけたディートリッヒの妹エルネシアが、いてもたっても居られずに飛び出してきたのだろう。
それだけだったら「里に帰れ」と言えるのだが、問題は彼女の背後に控える二頭の支配種と、得体の知れない魔道士だ。
(第一師団が手を焼く事態に、里の娘が助っ人を連れて現れた──ということか。大魔道士の真偽や実力はともかく、あの二頭の支配種は本物だ。街道で暴れる獣なんぞ、物の数でもあるまい)
ラドックは大きく息を吐き出すと、腰の剣から手を離した。
「……よかろう、エルネシア嬢。我ら現場の兵士に課せられた命令は、この先に誰も通さないこと、そしてここから何も出さないことだ」
ラドックは、半ば諦めたように肩をすくめた。
「だが、それはあくまで『人間』相手の話だ。不踏の大森林の支配種が通るというのなら、為す術がない。そこに誰かが張り付いていたとしても、そんなものを見ている余裕はないだろう。おい、おまえら! 道を開けろ! 柵をどかせ!」
ラドックの号令に、兵士たちが困惑しながらもバリケードに取り付く。
「ただし、お嬢さん。ここから先で何が起きようと、我らは一切関知せん。あんたたちが獣に襲われようとも助けには行けんぞ。……それでもいいな?」
「ええ。承知の上です」
エルネシアの返答を聞くと、ラドックはそれ以上何も言わず、ただ顎で先を促した。
「ハルヴァ、行くぞ。手間を掛けさせた、隊長殿」
嘉人は短く告げると、ハルヴァの首筋を叩いた。
開放されたバリケードの隙間を、二頭の巨躯が風を巻いて通り抜ける。
背後で、再び重い丸太の柵が閉じられる音が響く。
嘉人たちは、狂暴化した獣たちが潜む、静まり返った街道の闇へと飲み込まれていった。




