第28話 流れる魔力の対処法
フォレスト・バイソンの角を削り出した蛇口を捻ると、清冽な水が勢いよく流れ落ちた。
嘉人はその水を鉄瓶に汲み、火を焚べ囲炉裏へと乗せる。石造りの排気ダクトが微かな音を立てて室内の空気を吸い込み、抗菌処理された不朽木の香りがふわりと室内に満ちた。
嘉人が〝決済〟という名の食糧をアルケインの里に投下してから、三日が経つ。
この間、嘉人が真っ先に行ったのは、里長が用意した客間への入居ではなく、自前の拠点の再構築だった。
里の北側、崖を背負った見晴らしの良い高台に、USCから【出庫】された平屋ユニットを設置した。
里の伝統的な石造建築の中に突如として現れたその建築物は、嘉人にとっては生存のためのインフラそのものなのである。
窓の外からは、里のあちこちで響き始めた心地よい槌音が聞こえてくる。三日前まで死を待つような静寂に包まれていた里は、今や職人たちの熱気を取り戻しつつあった。
「……やっぱり、ここに来ると変な感じがするわね」
拠点の扉が開かれ、冷気と共にエルネシアが姿を現した。
大森林で嘉人の拠点に数日滞在していた彼女にとって、この室内は見慣れた光景だ。
だが、故郷であるアルケインの里の風景の中に、この魔法を一切介さない異質な合理性がそのまま移設されていることには、未だに奇妙な気持ちを抱かせる。
「相変わらず、魔法も使わずに川の水だけでこれだけの水量を確保するなんて。あなたのやり方はどこまでも手間がかかっていて、それでいて理に適ってるところがあるのよね」
この里の住人たちは水生成の魔器を使い、魔力を対価に水を得る。ここだけではない、この世界に住むほとんどの人々がそうしている。
だが、魔力を持たない嘉人は川の上流に取水口を設け、高低差を利用した物理的な導水システムを使わなければ水を得られない。
フォレスト・バイソンの角を用いた蛇口から、ボーン・ボアの骨を加工した抗菌導水管を経て届けられるその水は、嘉人という男の魔力に頼らない生存戦略を象徴していた。
「魔法に頼らなくても生きていける環境作りも必要じゃないのか?」
嘉人は鏡面仕上げされた調理台に向かったまま、淡々と応じた。脂蝋樹の芯材で作られた高精度な椅子を勧め、彼は淹れたての茶をエルネシアの前に差し出す。
「それで、里の様子はどうだ?」
「みんな、凄いやる気になってるわ」
エルネシアが言うには、食糧のこともそうだが、嘉人が倉庫に積み上げた純度百パーセントの導魔石ブロックが、職人たちの魂に火を付けたらしい。
「あんなに透き通った石、誰も見たことがないって大騒ぎよ。今まで不純物のせいで諦めていた高出力の術理も、あの石なら耐えられるかもしれない──って言うんで、みんな寝食を忘れて工房に籠もりきりだわ」
嘉人は窓から里を見下ろした。
三日前には死を待つような灰色の煙が細々とたなびくだけだった煙突からは、今は力強い黒煙が上がり、路地には肉を焼く香ばしい匂いが漂っている。職人たちが振るう槌の音が、小気味よいリズムで高台まで届いていた。
それは、嘉人がもたらした資本と資源によって、里というシステムが再起動した証に他ならない。
「やる気に満ちあふれてるのはいいけど、アウトプットが過剰だな。出口が塞がったままで、どこにも出荷できないだろ」
「そうなのよね……」
嘉人の言葉に、エルネシアの明るかった表情に影が差す。
嘉人はこの三日間、拠点の設営の合間に里の動線を確認していた。職人たちが工房に籠もる一方で、完成品を運び出すはずの荷車は一台も動いておらず、倉庫の扉は固く閉ざされたままだ。
「特注品を最高の形で作り上げても、街道が死んでいる以上、顧客のところへ届けられない。どれだけ心血を注いでも、誰の手にも渡らず、パンや肉に換わる見込みもない在庫が倉庫を埋め尽くしていくのを見ていると、職人の心はどんどん冷えていくわ。出口のない物作りなんて、ただの徒労だもの」
カップを見つめながら語る彼女の言葉には、当事者としての重みがあった。
道が開かなければ、この活気も砂上の楼閣に過ぎない。
自分たちが魂を削って作ったものが商品ではなく、場所を占拠するだけの〝荷物〟として滞留し続ける状況が、どれほど職人を腐らせるか。
エルネシアはそれを骨身に染みて理解している。
だが、彼女はすぐに自嘲気味に笑うと、首を振って視線を嘉人に戻した。
「……まあ、そんな暗い話をしてても手は動かないわ。なので、あなたが不踏の大森林であたしに相談した、魔力を持たない人間が魔器を操る魔器を作ってみようと思うの。こんなもの、今まで誰も考えたこともなかったし、必要としてないから、逆に面白くなっちゃってさ」
彼女は傍らに立てかけていた革の筒から一枚の図面を取り出し、二人の間のテーブルの上に広げた。
「あなたが言った『川の流れ』の理論を、私なりに解釈して形にしてみたんだけど……でも一つだけ、どうしても今の私の技術じゃ解決できないところがあるのよ」
エルネシアは、テーブルの上に広げた図面を指先でなぞりながら、もどかしそうに眉をひそめた。
「あなたが提唱した理論に矛盾はないの。この設計通りに周囲の魔力を一箇所に導けば、魔力のないあなたでも、火を熾す魔器なんかに火を点けることができる。でもね? 圧倒的に環境魔力が足りないのよ」
彼女は窓の外、里の風景へと視線の先を向けた。
「この里に漂っている程度の環境魔力じゃ、集めて指向性を持たせたところで、他の魔器を叩き起こすだけの強さにならないわ。火種を作るどころか、パチリとも言わないでしょうね。あなたが求めているのは、魔法が使えないあなたでも、いつでも確実に生活用の魔器を動かせる仕組みなのよね?」
エルネシアの言うとおりだ。嘉人が求めているのは、いわば汎用的な点火装置なのだ。
自身に魔力がなくとも、導魔石を介して周囲の環境魔力を一点に集約し、それを物理的な接点の切り替えによって、目的の魔器へ叩きつける。
その一瞬の魔力の移動を〝火花〟として、火熾しや水生成の魔器の術式を強引に起動させてしまう──それが彼の設計思想だった。
しかしエルネシアの話では、それを周囲の環境魔力で賄おうにも、魔器を起動させるだけの魔力にならないようだ。
(集約効率の問題か。虫眼鏡で太陽光を集めるように環境魔力を一点に絞り込もうとしているが、そもそも元の光が弱すぎて、焦点ですら発火点に届かないわけか)
嘉人は腕を組み、図面を凝視したまま嘆息した。
彼が求めているのは、有事の際に確実に機能する信頼性だ。運が良ければ火が点く、という程度の不安定な代物では、インフラの鍵を任せるわけにはいかない。
「……逆を言えば、環境魔力より高濃度な魔力結晶みたいなものがあればいい──ってことだよな? そういうのってあるか?」
「魔力結晶? いや、どうなのかしら? よっぽど濃度の高い魔力なら、もしかすると結晶化するかもしれないけど……そんなもの、見たこともないわね。それに、仮に結晶化したとしても、時間の経過と共に環境魔力に変換されて消えちゃうんじゃない?」
「そうかぁ~……」
エルネシアの言葉に、嘉人はがっくりと肩を落とした。
魔器作りの職人であるエルネシアがそう言うのなら、やはり魔力結晶みたいなものは存在しないのだろう。
何か他に手はないものかと嘉人は頭を悩ませるが、そもそもこの世界の魔法理論については何も知らない。
考えを捻り出そうにも、捻り出す〝元〟がないのだからどうしようもない。
二人がそんな不毛な沈黙を共有していると、拠点の外がにわかに騒がしくなった。
「……? 何かしら」
「うん?」
二人は腰を上げ、扉を開けて外を覗き込んだ。高台から見下ろしたアルケインの里の広場には、何やら人だかりができている。
「ヨシト、行ってみましょう」
「そうだな」
どうにも嫌な予感がする。ヨシトは胸の奥で最悪の状況をいくつも想定しておくことにした。
やはり、このアルケインの里で一番最悪なことと言えば、黒曜鉱山のことだろう。あそこが使い物にならなくなったら、この里は将来的に詰んでしまう。
「たっ、大変だ! 黒曜鉱山の調査に赴いた騎士団や探求者たちが、失敗したらしいぞ!」
人だかりに近寄った矢先、嘉人が想像していた嫌な予感が的中してしまった。
「失敗したって、どういうことだ!?」
「国の精鋭だろうが! 封鎖するなり、魔力を逃がすなり、それすら出来ずに逃げ出したってことか!?」
「ああ、そうらしい。中に入った途端、騎士団が持ち込んだ聖法具も壊れちまったようだ。ありゃ魔器の中でも封印魔法に特化した一級品だろ? それが、件の〝光る液体〟に近づく前に木っ端微塵になったらしいぜ」
「おいおい、どうなってんだよ……まるで呪いじゃないか」
広場に集まった職人たちの間に、さざ波のような動揺が広がる。職人だからこそ、その異常事態の意味が嫌というほど理解できてしまうのだ。
ここにいる皆が理解しているだろう。
このままでは、アルケインの里を捨てるしかない──と。
「はぁ~……言わんこっちゃない」
エルネシアも頭を抱えている。彼女は最初から騎士団やら探求者たちに期待はしていなかったようだが、それがいざ現実のものになったことで、より一層、呆れと落胆があふれ出てしまったようだ。
「どんな立派な魔器を持ってても、正しく使わないと意味ないんだって。お兄ちゃんもいるのに、何やってんだか」
「お兄ちゃん?」
エルネシアに兄がいたとは初耳だ。というか、このアルケインの里に来てからエルネシアの兄の姿なぞ見たことがない。
「ああ、言ってなかったっけ。あたし、お兄ちゃんがいるの。でもお兄ちゃんは魔器職人にならなくてさ、王国騎士団に入隊しちゃった。魔器作りはてんでダメな兄だけど、扱い方は無茶苦茶上手いのよね。その腕を買われたみたい」
「そうだったのか」
それはそれで興味深い話だ。魔器の扱いに長けていることが、騎士団に入隊できる一助になったというのなら、この世界では魔器がどれだけ重宝されているのか、よくわかるというものだ。
しかし、そんな魔器の扱いに長けた兄がいる騎士団でも、魔器を使う前に壊れてしまったのでは意味がない。
「やっぱり原因は龍脈みたいだな……ん? 龍脈……あっ、そうか」
皆が落胆し、絶望の色を滲ませる中、彼の目には何故か力強い輝きが宿り始めていた。
嘉人だけは周囲の反応と違う姿を見せていた。
「エルネシア。もしかしてだが、君の協力があれば黒曜鉱山の災いを収束させることができるかもしれない。俺に協力するか?」
「えっ、本気で言ってるの!? どうやって?」
嘉人が耳打ちすると、エルネシアはなんとも形容し難い表情を歪ませた。
「本当にそんなことができるの!?」
「俺は不踏の大森林の大魔道士なんだろ? やってみせるさ」
珍しい嘉人の軽口めいた自信に、エルネシアは開き欠けた口を閉ざすしかなかった。




