第27話 決済と経済の再生
石造りの長い廊下に、二人の足音だけが規則正しく響いていた。
後ろを振り返れば、応接室の扉はすでに閉ざされている。里長であるバシュタールは同行しなかった。
嘉人がそのことに小さく視線を動かすと、前を歩くエルネシアが、背中越しにポツリと零した。
「……お父さんは、広場に行くんだと思う。工房の職人たちやその家族を集めて、あなたが食糧を用意してくれるって、希望を伝えなきゃいけないから。みんな、もう限界だったのよ」
彼女の言葉には、技術者としての冷静さと、里の娘としての悲痛な響きが混じっていた。
隠し通せなくなった絶望を、嘉人の提案という希望で上書きする。それが、今この瞬間にバシュタールにしかできない政治的な仕事なのだろう。
対して、嘉人の仕事はあくまで現場にある。里の最奥、崖の斜面を強固にくり抜いて作られた石造りの大倉庫がそれだ。
エルネシアが腰に下げた重厚な鉄の鍵を差し込み、力任せに回すと、湿った金属音と共に扉が開かれた。
ひんやりとした空気の中に、微かな魔力の残り香と、手入れの行き届いた油の匂いが漂ってくる。棚には、厳重に梱包され、宛先が記された札の付いた木箱が整然と並んでいた。
「思ったよりも少ない……か?」
「そりゃねぇ。うちの里で作られる魔器は、どれも特注品だから。あっちこっちから大量に注文されるものじゃないのよ」
そんなエルネシアの説明を耳に入れながら、嘉人は木箱の一つを開けた。
中に納められていたのは、豪奢な装飾が施された、一見するとただの装身具――腕輪だった。
嘉人は迷わずタブレットを操作し、その腕輪を【入庫】した。
一瞬の光と共に、実体としての腕輪が消える。
続けて嘉人は、追加されたばかりの【在庫】リストから、今取り込んだばかりのアイコンを長押しした。
「……なるほどな。確かにこれらは商品じゃない。すでに宛先が決まってる荷物だ」
詳細表示画面には、構成成分と共に特定の生体波長への極端な偏りと、外部干渉を拒絶する強力な属性定義が並んでいる。
持ち主の魔力特性に完全に同期させることで、魔法の行使効率を極限まで高める仕組みのようだ。いわば、その人物専用の〝魔法増幅器〟のような魔器だ。
「……わかるの? それは、隣国の名門魔道士家系から注文を受けた〝詠唱の触媒〟よ。次代の継承者が成人式で使うために、特定個人の魔力波形に合わせて、お父さんが数年かけて調整し続けた一点物なんだから」
エルネシアの言葉は、システムが弾き出した『使用者限定:認証ロック済』のログと完全に合致していた。
「だよな。汎用品なら市場で捌けるが、ここにある品々は注文先に届けなきゃ意味がない。逆に言えば、正しい宛先に届けさえすれば、これ以上に高い運賃が取れる『荷』もないわけだ」
嘉人は次の棚へと歩を進め、淡々と木箱を【入庫】させていく。
次々と目の前から消えていくワンオフの魔器を、エルネシアは縋るような、それでいて不安げな目で見つめていた。
「……本当にいいの? これらを全部買い取るなんて。どれだけ性能が凄くても、誰も彼もが欲しがるものじゃないわよ? ましてや街道は封鎖されてるんだから、どこにも持って行けないわ」
嘉人は手を止めず、視線をタブレットに向けたまま淡々と応じた。
「今すぐ運び出して転売しようなんて、そんな効率の悪いことは考えていないよ。言っただろ? これらは商品じゃなくて荷物だって」
あまりに即物的な物言いに、エルネシアは毒気を抜かれたように言葉を失う。
「じゃあ、なんであなたが買い取りを……?」
「物流が止まってる以上、この倉庫にあるものはすべてデッドストックさ。だが、俺が買い取れば、それは俺の資産に変わる」
嘉人は最後の一箱を【入庫】し終えると、空になった棚を振り返った。
「里の人間にとっては、動かせない在庫が今必要な食糧に化ける。俺にとっては、いずれ街道が再開した時に、確実な利益を約束する優良な手形に変わる。お互いにとって、これ以上に効率的な商売はないだろう?」
「……つまり、ヨシトにもちゃんと利があるってこと?」
「損をするような商売じゃ、物流は維持できないからな」
嘉人は倉庫内にある最後の木箱を【入庫】すると、「さて」と一息ついた。
「大瀑布の裏で入手した導魔石は、この倉庫に置いておけばいいのか?」
「あ、そうね。うん、ここに置いてていいと思う。どのくらいあるの?」
「えー……」
大瀑布の裏にある洞穴で見つけた導魔石は、とりあえず目に付く分だけを一括入庫したので総量まで把握していなかった。
余分な岩石を取り除き、導魔石だけの純総量で見ると──。
「三十七トンあるな」
「さんっ……トン!?」
さすがのエルネシアも絶句した。確かに彼女も【入庫】する瞬間を見ていたが、よもやそれほどの量だったとは夢にも思わなかった。
「そっ、そんな量、一気に出されても困るわ! 倉庫の床が抜けちゃうわよ」
「それもそうだな。じゃあ、小分けにするか。形もUSC──こっちの魔道書で自由に変えられるが、正方形のブロックみたいな形でいいのか?」
「そんなことまでできるの!? え、あ……じゃあ、そうね。正方形で……ええと、一ブロック五キロほどで……五百キロほどあればいいんじゃないかしら?」
「了解」
嘉人は手早くUSCを操作した。
【在庫】リストから、導魔石を選択。まずは〝構成編集〟で、石の内部に含まれる余分な岩石成分や不純物のデータを抽出、それらを一括で取り除いた。
不純物を排し、純度を高められた導魔石を、続いて【アセンブリ】で加工していく。
形を成さぬまま積み上がっていた三十七トンの純結晶を、立方体のブロックへと再構成していく。
単に削り出すのではない。システムが物質の形状を再定義し、指定された五キログラムという質量に寸分の狂いもなく加工していくのだ。
データの中では、無秩序だった導魔石の山が、瞬く間に規格化された美しいブロックへと姿を変え、整然とスタックされていく。
「よし、まずは指定の百個分を【出庫】と」
嘉人が空いた棚に向けてUSCを操作すれば、何もない空間から鋭利なエッジを持つ正方形の輝きが次々と現れた。
一つ五キロ、計五百キロ。
完全に規格化された導魔石のブロックは、薄暗い倉庫の中で、里の再起を予感させるほど強く、青白い光を放ちながら棚へと収まっていった。
「……信じられない。これ、本当にあたしたちが知ってる導魔石なの? 不純物が一つもない、最高品質の代物よ」
エルネシアは棚に並んだ、あまりに完璧すぎる導魔石を呆然と見つめていた。
「そういうもんなのか」
「導魔石は魔力伝導率が極めて高くて、ほぼロスがないんだけど、内部に他の鉱石が入っていれば、その分、低くなるの。でも、この導魔石にはそんな内容物がない。これで魔器を作ったら、理論値通りの効果を発揮するわ」
「なるほどねぇ。まぁ、何事も材料が良ければそれに越したことはないからな」
嘉人は感銘を受けるエルネシアを余所に、至極当然のことのように頷いた。
彼にとって、不純物を取り除くのはデータの最適化に過ぎない。
しかしそれは、この世界の職人にとって神話級の素材に等しい価値をもたらしていることに気づいていないらしい。
「さて。材料の搬入はこれでいいな。次は俺の支払いだ。食糧はどこへ届ければいい?」
嘉人の問いに、エルネシアはハッと我に返った。
「え、あ……そうね。広場がいいわ。お父様がみんなを集めてるはずだし、あそこなら配給もしやすいから」
二人は倉庫を後にし、石造りの廊下を足早に引き返した。
重厚な玄関扉を押し開けて外へ出ると、そこには里の住人たちが、広場を埋め尽くさんばかりに集まっていた。
ここにいる人々は、単なる物乞いではない。むしろ、国や貴族たちから注文が入るほどの超一流の技能集団だ。自らの腕で家族を養い、里を繁栄させてきた凄腕の職人たちである。
しかし、その自負も三ヶ月に及ぶ流通の完全停止によって、飢えと困窮の中に埋もれかけている。
そんな職人たちの眼差しが、嘉人ただ一人に向けられていた。
魔道士を自称する男が、この状況で何を取り出すのか。
期待よりも、値踏みするよう鋭い視線が痛い。
「さて、諸君」
そんな職人たちからの視線を一身に浴びながらも、嘉人は怖じ気づくでもなく気後れするでもなく、声を張り上げた。
「あなたたちが守り抜いた技術と、倉庫に眠っていた在庫はすべて俺が買い取った。どれも素晴らしい逸品だった。故に、その正当な報酬として、俺の資産から商品の対価を支払おう」
嘉人が【出庫】を確定させた瞬間、広場に圧倒的な〝質量〟が実体化した。
「なっ……!?」
ボーン・ボアやフォレスト・バイソンの巨大な枝肉が積み上がり、寒冷な地では貴重なビタミン源となる氷結菜や水を含ませれば数倍に膨らむ膨張豆、そして純白の輝きを放つ精製岩塩が次々と現れた。
「まずはそれを受け取ってくれ。あんたたちの仕事に対する、俺からの正当な対価だ」
嘉人が淡々と告げると、広場の静寂は、地響きのような活気へと塗り替えられた。
嘉人が指示を出すまでもない。職人たちは奪われていた誇りを取り戻したかのように、自発的に物資の分配と調理の準備を始めた。
彼らにとって、これは施しではない。
自分たちの仕事が正当に評価され、再び経済が動き出した証なのだ。
「……よかった。本当に、よかったわ」
隣で安堵の溜息をつくエルネシアに、嘉人はUSCの画面を閉じて応じた。
「とりあえず、これで里が潰れる心配はなくなったな」
「ええ。ありがとう、ヨシト」
「礼を言われる筋合いはないさ。俺は取引上の義務を果たしただけだ」
嘉人は、歓喜に沸く広場を一段高い場所から見下ろした。
もちろん、これで全てが解決したわけではない。
黒曜鉱山の異変も、街道の封鎖も、依然として解消されていない。
だが、それらは王国騎士団や探求者といった武力の専門家が対処すべき案件だ。
(……しかし、いつまでも悠長に待ってるわけにもいかないんだよなぁ)
嘉人はそう独りごちると、感謝を伝えようと歩み寄る里の人々をエルネシアに任せた。
人混みを避けて広場を後にすると、里の外で待機させているシルヴィとハルヴァの元へと足を向ける。
外で律儀に待っていてくれたのだ、約束の肉を心待ちにしているに違いない。
嘉人は歩きながら、彼女たちの分のボーン・ボアの部位を、USCの画面で手際よく選び始めていた。




