第26話 大魔道士からの取引
里長の家の応接室は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
だが、それは平穏な静寂ではない。重い石壁に囲まれた空間には、火の気の消えた暖炉から漂う冷気と、行き詰まった里の命運を象徴するような、湿った沈黙が沈殿している。
嘉人が想像する以上に、鉱山の閉鎖は大事なようだ。
「始まりは、三ヶ月ほど前のことでした。我らが里の生命線である黒曜鉱山から、一通の緊急連絡が届いたのです」
ゆっくりと話し始めたバシュタールの瞳には、今も拭えぬ困惑が焼き付いている。
「最初は、単なる落盤事故だと思われていました。第十四採掘層――最も深く、質の良い導魔石が採れる層で異変が起きた、と。ですが、救援に向かった者たちが目にしたのは、崩れた岩壁の隙間から溢れ出す、正体不明の〝何か〟だったのです」
「その〝何か〟とは? ガスなのか、液体なのか、それともまた別のものなのか……わかっていないのですか?」
嘉人の問いに、バシュタールは苦渋を滲ませて首を横に振った。
「私は直接、それを見ていません。命からがら戻ってきた者が言うには、見た目は水のようで、なのに暗い坑道の中で青白い光を放っていたと言います」
「光る液体……ですか」
「ええ。ですが、ただの液体ではございません。その〝光る液体〟が流れた場所では、近くにある導魔石が勝手に共鳴を起こし、聞いたこともない悲鳴のような振動を上げた直後に砕け散ったのです。それだけではありません。あらゆる魔器の導魔石が、内側から砕け散ったのです」
「導魔石が……砕け散る、か……」
嘉人は、以前USCで解析した導魔石のデータを脳内で参照する。
導魔石が魔力の半導体と仮定していた。その導魔石が砕け散る〝光る液体〟とやらは、規格外の魔力を孕んだ〝超伝導の流体〟と判断できそうだ。
「魔法の心得がある作業員たちは、その場に近づくだけで激しい眩暈と吐き気に襲われ、次々と倒れていったといいます。今や第十四採掘層から下は、その青い光に満たされた死の湖。我々では為す術もありません」
「………………」
バシュタールの抽象的な説明を、嘉人は脳内でこの世界で起こりうる物理現象へと置き換えてみた。
(確か、導魔石は龍脈の通り道で採掘されやすいんだったな。となると、吹き出した〝光る液体〟は……もしかして、龍脈そのもの、か?)
だとすれば合点がいく。
それは、本来なら炉の中で燃えるべき猛火が、家全体に燃え広がっているようなもの。あるいは、強すぎる毒性を秘めた原液が、希釈もされずに散らばっている状況か。
導魔石が耐えきれずに砕けるのは、あまりに過剰な魔力が流れ込み、石としての許容量を物理的に超えてしまったからだろう。
近づいた作業員が体調を崩すのも、毒というよりはあまりに濃密な魔力の奔流に〝当てられた〟結果の、一種の拒絶反応に近い。
嘉人は脳内で事象を整理し終えると、組んでいた指を解き、努めて冷静な声をバシュタールへ向けた。
「それで、黒曜鉱山から採掘できなくなったのはわかった。だが、その後は? 鉱山が止まったなら、なぜ他所から仕入れなかった? 複数の鉱山と契約しているのが普通だろう」
その問いに、バシュタールはさらに深く項垂れた。
「……おっしゃる通りです。ですが、このアルケインの里は、いわゆる加工貿易で成り立つ里です。導魔石を仕入れ、魔器として完成させ、それを売った金で食料を買い入れる。他里の鉱山とも交渉はしましたが……あいにく、この大森林の周辺では質の良い石が採れるのは黒曜鉱山だけなのです。他所から引くには、輸送コストが跳ね上がってしまう」
「……輸送コスト、か」
嘉人は短く呟いた。
この世界の物流インフラは、嘉人が知る現代社会とは比較にならないほど未発達だ。
空輸も高速道路もないこの世界で、重量物である鉱石を長距離運ぶことがどれほど非効率か。近場の鉱山が潰れることは、そのままサプライチェーンの破綻を意味する。
「さらに悪いことは重なるもので……鉱山の異変以来、里へ続く唯一の街道にまで異変が及びました。普段は臆病なはずの野生生物たちが、血走った目で商隊を襲うようになったのです。もはや、腕利きの護衛を雇ったところで、ここへ辿り着くのは困難です」
「街道の封鎖……つまり、人や物の出入りが物理的に不可能になったわけですね」
嘉人の冷静な要約に、バシュタールは力なく頷いた。
「左様です。仕入れ先を失い、販売ルートを絶たれ、挙句には買い出しの足すら奪われた。我々は今、自分たちが積み上げた技術という名の石ころに囲まれながら、飢えて死ぬのを待つばかりなのです」
(……なるほどな。鉱山から漏れ出した高濃度の魔力が、周辺の生態系まで狂わせているのか)
嘉人の目から見れば、それは〝災厄〟などという情緒的な言葉で片付けるべきものではなかった。完全にシステムがデッドロックを起こしている。
「これほどの大事だ、国からの支援は? 重要な技術拠点が潰れるのは、国にとっても損失でしょう」
「ええ、その通りです。すでに王国騎士団の精鋭部隊、そして腕利きの探求者たちが、事態の収拾のために現地へ向かっております。あの方々が持つ王室伝来の聖法具であれば、あの溢れ出した〝光る液体〟を封じ込めることができると期待しております」
バシュタールは縋るように、消え入りそうな希望を口にした。
「まさかそんなことになってたなんて……」
不意に、横から震える声が割り込んだ。
エルネシアだ。彼女は青ざめた顔で、縋るような目を父親に向けている。
「ただの落盤だって、すぐに道は開くから心配ないって、そう言ってたのに……それが真実だったの?」
「……エルネシア」
「命からがら戻ってきた者がいたことも初耳よ。私だけじゃなく、工房の皆だって何も知らないわ。……隠していたのね? そんな光る液体とか魔器が砕けるなんて異常が起きてるのを伏せたまま、いったいどうするつもりだったのよ」
「お前たちに余計な心配をさせたくなかったのだ。それに、得体の知れない現象を触れ回って、里を混乱させたくもなかった」
「隠し事をしてる時点でもう混乱してるわよ。大体、お父さんの言う『唯一の希望』ってのも、ちょっと期待しすぎじゃない?」
エルネシアは今度は、呆れを隠さずに肩をすくめた。
「騎士団が聖法具を持ってくれば解決するなんて、そんなのただの神頼みと同じだわ。道具っていうのは、その理屈を理解して、正しく調整して初めて機能するものなの。使い方も、相手の正体もわかっていない騎士たちが、法具を振り回してどうにかなるほど、甘い状況には思えないけど?」
彼女の指摘は、感情的な反発というよりは、現場を知る技術者としての現実的な懸念だった。
それは嘉人が脳内で分析した疑念と、期せずして方向性が一致している。
「里長。彼女の言う通り、外部の専門家に丸投げするのはリスクが高い。騎士団が空振りした時のことも考えておくべきでしょうね」
嘉人が淡々と、しかし冷静に補足すると、エルネシアが「そうでしょ?」と言いたげにこちらを向いた。
「何より、騎士団やら探求者とやらが事態の解決を果たす前に、里の生活が破綻してしまえば元も子もありません」
嘉人は椅子に深く背を預け、事実だけを積み上げるように静かに語り始めた。
「街道が止まって三ヶ月でしたか? この規模の里なら、食糧の備蓄もそろそろ底が見え始めているはずだ。エルネシアが無理をしてまで不踏の大森林に入ったのも、その焦りがあったからじゃないのか?」
嘉人が目を向けると、エルネシアは図星を突かれたように視線を逸らした。バシュタールもまた、重い溜息とともに頷く。
「……おっしゃる通りです。冬に備えた蓄えを切り崩し、配給を絞って、保ってあと数週間というところでしょう。騎士団が山を鎮めて商隊が来てくれるようになるのが先か、我らが力尽きるのが先か……」
「騎士団が失敗する可能性を考えれば、その数週間はあまりに短い。まずは、この里が破綻するまでの時間を延ばす必要があります」
「延ばす、と言われましても……。黒曜鉱山が止まり、里の灯火を維持するための導魔石すら手に入らぬ今、我々に何ができましょう」
「導魔石に関しては、エルネシアが命を賭けて持ち帰った在庫が山のようにありますよ。だが、問題は食糧だ」
嘉人はテーブルに置かれた、埃を被った魔器の図面を見つめた。
「里長。この里にある完成品の在庫を俺に売りませんか? 本来なら外で売るはずだったそれらを、俺が用意できる食糧と交換するんです」
「魔道士殿が……? だが、今のこの状況で、どうやってそれらを運び出すというのだ」
「物流の経路については俺の方で算段があります。今は、単なる支援ではなく『商売』として成立させたい」
嘉人は言葉を選び、丁寧に応じた。
「あなた方が作った魔器は、この里の誇りであり立派な産業だ。それらを滞留させておくのは、あまりにもったいない。俺がその在庫を引き受け、代わりに今必要な物資を払い出します。……いわば、この里の生産力を担保にした、前払いの決済だと思ってください」
それは、施しではない。職人たちの技術を正当に評価し、それを「今、必要な食糧」という形に変換する、極めて実務的な提案だった。
「買い取る……ですか」
バシュタールは、嘉人の申し出に感謝の色を見せながらも、困惑したように視線を彷徨わせた。
「魔道士殿。そのお言葉、そして我々の技術を信じてくださるお気持ちは、痛いほど身に沁みます。ですが、我々がここで作っているものは、ただの魔器として一括りにできるような代物ではないのです」
「……どういう意味ですか?」
「アルケインの魔器は、王侯貴族や高位の魔道士からの特注品が主でしてな。依頼主の魔力の特性を読み、それに合わせて石を削り、理を刻む……量産品のような汎用性はございません。言うなれば、主を待つ唯一無二の芸術品に近い代物なのです」
「…………」
嘉人は、以前USCで解析した導魔石の構造を思い浮かべながら、短く息を吐いた。
物流のプロとして彼が想定していたのは、どこにでも売れる汎用性の高い製品の流通だ。
だが、バシュタールの説明が正しければ、アルケインの里で作られる魔器は極めて換金性の低い、しかし一品あたりの価値が跳ね上がる〝究極の受注生産品〟ということになる。
「なるほど……つまり、それらはすべて届け先が確定している荷物というわけですね?」
「ええ、左様です。本来ならば今頃、貴族や富豪の手元にあるべきもの。それを魔道士殿が引き取られたとしても、捌き先に困るのではないかと……」
バシュタールの言葉には、支援を申し出てくれた嘉人への、職人らしい不器用な気遣いが混じっていた。
だが、嘉人はその話を聞いて、ますます自信を深めていた。
「問題ありません」
嘉人は迷いのない口調で、バシュタールの懸念を遮った。
「届け先が決まっているなら、話はむしろ単純だ。里長、まずは案内を。その唯一無二の在庫の現状を、この目で確認させてください」
嘉人の揺るぎない態度に、バシュタールは毒気を抜かれたように瞬きを繰り返し、やがて深く、深く頷いた。
「……わかりました。エルネシア、案内して差し上げなさい」
「ええ。こっちよ」
嘉人は立ち上がり、音もなく椅子を引いた。
王国騎士団や探求者たちが黒曜鉱山の問題を鎮めるのを待つ間、彼はUSCの盤面の上で、三ヶ月間の停滞を再起動させるべく、静かに、しかし力強く歩き出した。




