第25話 アルケインの里
石造りの重厚な正門が、重々しい音を立てて内側へと開かれた。
門の先には、馬蹄形に切り立った崖の懐に抱かれるようにして、アルケインの村の全貌が広がっている。
本来であれば、ここには職人たちが金属を叩く槌音や、魔力炉が放つ微かな駆動音が絶えず響き、路地には活気が溢れているのだろう。
だが、嘉人の目に飛び込んできたのは、静まり返った廃墟のような光景だった。
里の一員であるエルネシアの帰還に村人たちが広場に集まってはいるものの、顔色は一様に暗く、その衣服は綻び、手入れの行き届いていない家々はどこか寒々しい。
路地裏に転がっている魔器の残骸や、火の気の消えた作業場の様子が、この村の時計が止まって久しいことを冷酷に物語っていた。
「エルネシア! 本当に、本当にお前なのか……!」
静寂を切り裂くような叫びと共に、一人の男が転がるようにして駆け寄ってきた。
煤けた作業着に、深く刻まれた眉間の皺。年齢以上に老け込んで見えるその男は、エルネシアの姿を認めると、信じられないものを見たというように立ち尽くし、やがて震える手で彼女の肩を掴んだ。
「お父さん! ただいま戻りました……!」
「ああ……ああ、生きていてくれたか……」
男は絞り出すような声で娘を抱きしめた。その後ろからは、目元を真っ赤に腫らした女性がよろよろと歩み寄り、二人にすがりつくようにして泣き崩れる。
一ヶ月以上にわたる行方不明。不踏の大森林へ消えた娘が、無傷で帰ってきた。
それはこの村にとって、文字通り奇跡の光景だった。
だが。
その数歩後ろで、嘉人は深く眉根を寄せていた。
彼が視線を向けていたのは、抱き合う家族ではない。歩きながらさりげなく周囲を展望し、この世界の文明レベルを推し量っていた。
(……想像以上にひどいな)
嘉人は無表情のまま、門の内側から見える範囲を展望した。
建築様式は石造りと木材の混成。道路の石畳はすり減り、長らく補修された形跡がない。
何より、職人の里だというのに〝熱〟が足りない。
魔器を動かすための魔力以前に、暖を取るための薪や燃料すら節約しているのが見て取れた。
(単なる材料不足じゃないな、これは。薪や布といった生活物資まで消えている。商人の出入りすら途絶えているっぽいな。仕事が止まっただけじゃない、村の流通そのものが死んでるんだ)
道具があっても、それを動かす糧がない。
インフラという概念以前の、生存に関わる物資の欠乏。
これでは、自分が滞在する隙間さえあるのかどうかも疑わしい。
(これじゃあ、俺の依頼どころじゃないな。この村自体が、今日明日にも凍死か餓死しかねないぞ)
嘉人がそんな感想を抱き、険しい表情のまま歩みを止めた頃、ようやく娘の無事を確認し終えた男が顔を上げた。
娘を救ったという話だが、再会の喜びに浸る周囲とは明らかに一線を画す、その厳しい立ち姿に、少し気圧される。
門をくぐる際、エルネシアが叫んでいた〝魔道士〟という言葉。
そんな存在は聞いたこともないが、この村の窮状を瞬時に見抜いたようなその眼光には、否定しがたい威圧感があった。
「……あ、あの」
男は娘を片腕で支えたまま、嘉人に向かって深々と頭を下げた。
「私はこの里の長を務めております、バシュタールと申します。娘を、エルネシアを救い、ここまで送り届けてくださったこと、村を代表して心より感謝いたします」
隣にいた女性も、涙を拭いながら深々と頭を下げた。
「……母のセレスです。娘を……本当に、ありがとうございます」
二人からの感謝の言葉は本物だった。だが、その瞳の奥には隠しきれない当惑が混じっているのも事実だった。
「ですが……娘は『魔道士様』と言っておりましたが、不勉強ながら、貴方のようなお方が不踏の大森林に居を構えていたとはつゆ知らず……」
嘉人は、バシュタールの探るような視線を真っ向から受け止めた。
「でしょうね。よもや大森林の深部までやってくる者がいるとは思いませんでしたから。まぁ、こちらのことは詮索なさらない方が良いでしょう」
「そ、そうでしたか。失礼いたしました」
「それよりも里長。まずは落ち着ける場所を貸してはもらえないか? 村の様子を見る限り、あなたたちも今はあまり余裕がないようだ」
嘉人の言葉に、バシュタールがハッとしたように表情をこわばらせた。
揶揄する響きはない。ただ、あまりに淡々と、そして鋭く事実を指摘されたことに、里の長として痛いところを突かれたような反応だった。
「それは……その通りです。お恥ずかしい話ですが、今の里には満足なもてなしをする備えもなく……」
「もてなしを催促しているわけじゃない。俺にとっても、この村の状況は好ましからざるものなので」
嘉人はそう言って、自分たちがくぐってきた門の方を親指で示した。
「門の外に、俺の連れが二匹待機している。村の中に入れてやってほしい。村人たちが驚くのは承知しているが、なに、人を取って食うような奴らじゃない」
「門の外の……あの支配種を、村の中にですか!?」
男が絶句する。不踏の大森林を自在に闊歩する支配種を村に入れるなど、本来なら正気の沙汰ではない。
嘉人はその不安を汲み取るように、わずかに表情を和らげ、懐からタブレットPCを取り出した。
「その代わりと言っては何だが、これを」
嘉人はタブレットPCを指先で操作した。流れるような手つきは、理解が及んでいなければ魔法を発動させる所作に見えるだろう。
数回タップし、目当てのものを【出庫】を確定させる。
すると、拳大の結晶がいくつか音もなく地面の上に現れた。
「こ、これは……!」
バシュタールだけではない。こちらを見守る村人たちがどよめき、息を呑む音があちこちから聞こえた。
濁り一つなく、深みのある輝きを放つ導魔石が突如として現れたのだから無理もない。
何より、空間から物を取り出した不思議な業以上に里長の目を釘付けにしたのは、その結晶の質だった。
「実はここへエルネシアを届ける際に、魔器を一つ作ってもらう約束をしてね。それを作ってもらうにも、里がこのような状況では、望むものが作れるかどうかも疑わしい。なので、まずは里に活気を取り戻してもらわねば困るんだ」
嘉人は驚きで言葉を失っている里長を見つめ、静かに言葉を継いだ。
「材料があれば、職人たちの腕も振るえるだろう? 無理を言った分、もてなしは簡素で構わない。その代わり、この里の最高の技術を見せてくれると助かる。俺も、自分のQOL……ええとつまり、生活の質を上げることに妥協はしたくないんだ」
「ちょっ、ちょっと待って!」
するとそこに、エルネシアが声を上げて割って入ってきた。
「ちょっとヨシト! あなたの魔器はあたしが作る約束でしょ!? なんで他の職人に任せるようなことになってるのよ!」
小声ながらも怒鳴りつけるという器用な真似をして文句を言ってくるエルネシア。これには嘉人も、少し考え込んだ。
「いやでも、里で一番の職人に作ってもらった方が、効率的じゃないか」
「そういう問題じゃないの!」
ならばどういう問題なのだろうと嘉人は考え込んだ。彼女が自分の腕を証明したいという承認欲求なのか、それとも単なる意地なのか。
二人のやり取りを、バシュタールは困惑と、そして冷や汗を拭うような緊張感で見守っていた。
「魔道士殿。娘の言う通り、この子も未熟ながらこの里の職人です。ですが、もし貴方が望まれるものが、今の里の総力を挙げねばならぬほどのものであれば……」
「里長。それも含めて、一度詳しい状況をお聞かせ願えるだろうか?」
嘉人は不毛な口論を切り上げ、バシュタールへと視線を戻した。
「材料があれば里が動くのは分かった。だが、何故こうも追い詰められていたのかがわからない。他里の鉱山が閉鎖されたと聞いたが、代わりの仕入れ先すら確保できないほど、この地域の物流は冷え込んでいるのか?」
確かに今、嘉人のUSCには莫大な量の導魔石がある。けれど、それを使い終えた後はどうなるだろう?
単なる物資不足の裏にある、構造的な問題。それを把握しなければ、また同じことが繰り返される。物流マンとしての本能が、原因の究明を求めていた。
バシュタールの顔に、深い陰が落ちる。
「……おっしゃる通りです。事情は、一言では説明できませぬ。ここで立ち話も何ですから、どうぞ我が家へ。エルネシア、お前も来なさい。母さんは、魔道士様の客間の準備を頼む」
バシュタールは妻のセレスに目配せを送ると、自らは嘉人とエルネシアを促し、広場に面した一段と立派な石造りの建物――里長の家へと歩き出した。
周囲を取り囲む村人たちは、駆け寄ることもできず、ただ遠巻きに彼らの動静を見守っている。
エルネシアの帰還に安堵しているようだが、その隣を歩く〝大魔道士〟の得体の知れなさや、彼が虚空から取り出した導魔石のあまりの輝きに、誰もが言葉を失っていた。
期待と不安、そして得体の知れない存在への畏怖が、広場に重苦しい沈黙を強いているのが、嘉人にも肌で感じ取れた。
(鉱山の閉鎖、か……)
嘉人は里長の家の敷居をまたぎ、案内された椅子に腰を下ろしながら、脳内のタスクリストを更新した。
単なる資源の枯渇か、あるいは自然の驚異か政治的な封鎖か。
嘉人は里長が語るであろう不穏な内情に、耳を傾ける準備を始めた。




