第22話 不踏の森のベリーソース・ステーキ
不踏の大森林に、重苦しい夜の帳が落ちようとしていた。
迂回ルートの先にあった高台は、嘉人の読み通り、周囲より一段高く風通しの良い場所だった。
「よし、ハルヴァ、シルヴィ。今日はここで一晩過ごそう。ご苦労様」
嘉人はハルヴァから降りると、まず真っ先に彼らの四肢に異常がないかを確認してから、その太い首筋を力強く叩いた。
並の獣なら数日は動けなくなるほどの強行軍だが、支配種である彼らにとっては呼吸一つ乱すに値しない。嘉人も彼らの底知れない頑健さを信頼しているからこそ、余計な心配は必要ない。
代わりに、約束の報酬の準備に取り掛かる。
嘉人はUSCを操作し、在庫から調理済みで【入庫】しておいたボーン・ボアの肉を【出庫】した。
途端に立ち昇る香ばしく焼けた肉の匂い。塩加減もしっかり調整してある。
これこそが、彼らが嘉人との旅で最も楽しみにしている〝給料〟だ。
「お主、わかってるな。この焼き加減と塩の響き……これがあるから、お主のそばは離れられん。はっはっは!」
「本当にいつ味わっても別格ね。ふふ、合格よ」
満足げに肉に食らいつく二匹を横目に、嘉人はようやく自分の肩を回した。
「ひゃああ……やっと地面だわ。足の付け根のあたりが、まだ痺れてるみたいで変な感じ」
シルヴィの背から降りたエルネシアは、前傾姿勢で体を固定され続けていたことによる独特の疲労感に、膝を震わせながらその場にどさりと座り込んだ。さすがに慣れたのか、初日のように目を回してへたり込むことはないようだ。
それを見た嘉人は、やれやれと首を振ってUSCを操作した。
「エルネシア、悪いがそこをどいてくれ。そこに寝るわけにいかないだろ。今、まともな場所を用意するから」
嘉人は【在庫】の中からキャンプセットを選択し、更地の上に配置する。
パァン、と乾いた電子音が響き、キャンプ用の椅子とテーブル、それに木製の箱型の建物が【出庫】された。
「え……っと、今回は何を出したの?」
「キャンプセット一式さ」
「きゃ、キャンプ……? いやでもこれ……なんか、小さい小屋みたいなのが出てきてるんだけど……」
嘉人が取り出した〝キャンプセット〟は、現代でよく見るようなテントではない。そもそも、USCの【在庫】は、【入庫】した時点でデータ化されて〝時間の経過〟という概念が消失する。
なので、どんなにフォレスト・バイソンやボーン・ボアの毛皮があっても、なめしのような〝化学変化を伴う長時間の熟成工程〟には不向きなのだ。
結果、嘉人は服を作れずにいるし、布製テントのようなものも断念せざるを得なかった。
代わりに選んだのが、山小屋のような代物だった。
「俺、革をなめすことができないんだよ。今のところ材料も足りなくてさ。それだったら、少しでも平らな場所があれば設置できる、簡易的な小屋の方が合理的だろ? ああ、当然ながら中に風呂やトイレみたいな設備はないからな。本当に寝るだけの空間だ」
「それはいいんだけど……一般的に、テントより小屋の方が楽って考える人はいないわ」
「こっちの方が効率的なんだよ、俺にとっては」
嘉人はエルネシアの呆れ顔を無視し、手際よくテーブルの傍らに設置した焚き火台に火を入れた。
「さて。ハルヴァたちの給料は払ったが、俺たちも今のうちに腹に入れておこうか」
嘉人は自分たち用のボーン・ボアの生肉とデルタ・ポテト、それにクリムゾンベリーの実を取り出した。
相も変わらず、もはや食べるまでもなく口の中で味が再現できてしまうラインナップだ。
しかし贅沢も言ってられない。この過酷な大森林で、可能な限り快適な食生活の限界がこれなのだ。
「ねぇ、嘉人。クリムゾンベリーをソースにしない?」
そんな嘉人に、エルネシアが驚きの一言を口にした。
「その……食糧を分けてもらっているあたしが言うのもなんだけどさ、いつも塩を振っただけのお肉じゃない? たまには違う味も食べたいなぁって」
「ソースにできるの、これ?」
「できるわよ。というか、里でよく作ってたし」
クリムゾンベリーは、嘉人が元いた世界のブドウに似ているが、甘みよりも酸味の方がやや強い。普通に食べる分には問題ないが、肉のソースとしてはどうなんだろう? という疑問が拭えない。
しかし、エルネシアは自信満々だった。
「ああ、それなら今日はあたしが作る? 川に流されていたところを助けてもらったし、導魔石も大量に見つけてもらったし……少しは恩返しさせてよ」
「そんなことを考えていたのか? こっちも魔器についていろいろお願いするし、気にしなくていいぞ」
「いや……いい加減、塩だけのお肉に飽きてるのよ……」
「ああ……うん」
確かに、嘉人としても味に変化が加わるのであれば願ったりだ。ここはエルネシアの申し出に甘えようと思った。
「で、どうするんだ?」
「とりあえず、調理器具って何かある? 小型包丁とか鉢とか」
「すり鉢?」
「普通の」
「ちょっと待っててくれ」
言われるままに、嘉人はUSCから小型包丁と鉢を取り出した。両方とも持っていなかったが、構造が単純なこともあって、【アセンブリ】ですぐに作り出した。
それらの器具をエルネシアに渡せば、彼女は慣れた手つきでクリムゾンベリーの皮を剥いていく。瞬く間に鉢の中一杯になった。
「潰し器もある?」
「あー、はいはい」
もちろん潰し器──いわゆるマッシャーなんてものも、嘉人は作っていなかった。ただ、その理由は包丁や鉢とは少し違ってくる。
そもそも、食材の加工はすべてUSCの〝構成編集〟で事足りる。例えば皮を剥いたり、種を取り除いたりといった行程だ。
ただ、素材を種類ごとに仕分けることはできるが、潰す──すなわち、形状を保つ必要がなく、内部の細胞壁まで破壊する分離・混合の行程は、また別の話になってくるのだ。
現状で、嘉人は〝料理〟ということをあまり深く考えていなかった。
料理そのものが苦手というのもあるし、塩しかなく、素材も限られていれば、作れる食事も限られている。
なので、調理器具なんて無駄だと思っていた道具を作ることに、リソースを割いていなかったのだ。
「そして、これを軽く潰して、皮と種を取って──」
「ああ、皮と種を分離するならこっちに任せてくれ」
「そう?」
エルネシアから軽く潰したクリムゾンベリー入りの鉢を、嘉人は一旦、USCに【入庫】した。皮と種を取り除くだけなら簡単だ。
「はいよ」
「ホント、皮も種も欠片さえ残ってないわね……」
エルネシアが鉢の中を見て、ほとほと呆れ果てたような声を漏らす。USCから取り出したクリムゾンベリー入りの鉢の中には、種の薄皮一枚さえ残っていなかった。
そんな果肉だけのクリムゾンベリーを受け取ったエルネシアは、鍋に移して火に掛けた。
「火力調整できないのが面倒だけど、まぁ遠火にかけておけばいいでしょ。今のうちに、肉も焼くわよ。今日はフォレスト・バイソンね。あるわよね?」
「ボーン・ボアじゃダメなのか」
「フォレスト・バイソンの脂の方がいいと思うわ。だって牛でしょ?」
その辺りの違いはよく分からないが、料理をしているエルネシアがそう言うのなら従った方がよさそうだ。嘉人はボーン・ボアの肉はそのまま【在庫】に戻し、言われるがままにフォレスト・バイソンの肉を塊で【出庫】した。
「クリムゾンベリーの方が少し煮詰まってきたら、こうして焼いた肉の脂を混ぜると酸味がまろやかになって、コクが出るのよ」
「へぇ~」
嘉人に説明しながら手を動かすエルネシアは、フォレスト・バイソンから滴る油を数滴鍋の中に落とした。
透明な脂が赤い果汁に溶け込み、ソースに深い艶が生まれる。
「そして仕上げに塩ね」
それは、嘉人が唯一持っている調味料だ。味見をしながら振り入れていった。
ベリーの酸味に肉の濃厚な脂、そして味を引き締める塩。
それらが焚き火の熱で混ざり合い、とろりとした濃褐色のソースへと変化していく。
「あとは、このソースを焼いた肉にかけて……はい、完成!」
エルネシアが満足げに差し出したのは、焚き火の光を反射してルビー色に輝くソースがたっぷりとかかった、厚切りのフォレスト・バイソンだった。
漂ってくるのは、肉の焼ける香ばしい匂いだけではない。ベリーが煮詰まったことで生まれた、華やかで甘酸っぱい、これまでの嘉人の食卓には存在しなかった生活の香りがそこにはあった。
「じゃあ……いただきます」
嘉人は両手を合わせてから、箸でソースがたっぷり掛かったフォレスト・バイソンの肉を口に運んだ。
「──ッ!」
舌の上で鮮烈な酸味が弾けた。
野生のクリムゾンベリーが持つ力強い酸が、フォレスト・バイソンの濃厚な脂を、まるですすぎ落とすかのように軽やかに包み込んでいく。
噛みしめるほどに溢れ出す肉の旨味を、ベリーの果実味が力強く受け止め、一粒の塩がその輪郭を鮮やかに、研ぎ澄ませていく。
それは、単なる足し算ではない。
脂の重たさは消え、代わりに肉の甘みが強調され、ベリーの酸味はコクへと変わる。
USCで精緻に管理された素材だけの世界では、決して辿り着くことのできない味覚の重なりがここにあった。
複雑に絡み合う酸、脂、塩が口の中で完璧な調和を保ち、飲み込んだ後には驚くほど爽やかな余韻だけが残った。
喉を通るたびに、冷えた体に熱が戻り、鈍っていた感覚がはっきりと目覚めていく。
ただの栄養摂取を超えた、確かな食事の喜びを久しく忘れていた嘉人は、目から鱗が落ちる思いだった。
「どう? どう?」
感想を待ちわびているエルネシアが、目をキラキラ輝かせて聞いてくる。
嘉人はグッと親指を上げた。
「控えめに言って最高だな!」
「でっしょぉ~っ! これでもあたし、料理も得意なのよねぇ~」
大きく胸を張り、鼻高々なエルネシア。クリムゾンベリーという果実だけを使って、肉の味をここまで引き出す腕前には、嘉人も素直に感心するしかなかった。
「おお、なんだなんだ。いつもとは違う、美味そうな匂いがするな!」
そこへ、後ろで静かにしていたハルヴァがぬっと顔を出してきた。
「そんなにいい匂いを漂わせてちゃ、私らも味見をしないわけにはいかないわね」
いつもは、こちらから声を掛けない限り不干渉を決め込んでいるシルヴィまでやってきた。それどころか、嘉人の横からガブッと残りの肉を食べられてしまった。
「うぉぉぉぉい! 何してんだ、シルヴィ!?」
「あら! あらあらまぁまぁ! この酸味……支配種の渇いた喉には心地よい刺激だわ」
「ずるいぞ、シルヴィ! 儂にも食わせろ!」
大きな鼻をひくつかせ、今にもテーブルごと肉を奪いそうなハルヴァの勢いに、嘉人はやれやれと首を振った。
「エルネシア、悪いんだけどまた作ってくれるか?」
「ええっ、あの二匹の分も!? まったくもぉ~」
口を尖らせながらも、エルネシアは袖をまくり上げ、やる気満々で調理器具を構えた。
嘉人も手際よくUSCを操作し、次々とフォレスト・バイソンの塊肉と、クリムゾンベリーを【出庫】していく。
【出庫】したクリムゾンベリーは、USCの〝構成編集〟でベリーの皮と種を分離してある。作り方がわかったのだから、手間を省けるところは省いていけば、時短になるだろう。
「よし、ハルヴァ、シルヴィ。こっちは特別配給だ。味わって食えよ」
嘉人が差し出したフォレスト・バイソンのクリムゾンベリーソース掛けに、二匹は競い合うように食らいついた。
「うむ、美味い! この塩気の響きをベリーの酸が追いかけてくる……最高だ!」
「ふふ、これなら明日もどこまでだって走れるわね」
焚き火の火を囲み、食い意地の張った同行者たちが笑顔で肉を食らう。
嘉人は、新しく焼き上がった自分の肉にたっぷりとソースをかけ直し、今度こそじっくりとその味を堪能した。




