第18話 再び大瀑布へ
今すぐにでも大瀑布へ向かおうとするエルネシアをなんとか宥め、嘉人は彼女を再び毛布の中へと押し戻した。死の淵から生還したばかりの体で、不踏の大森林を突き進むなど自殺行為に等しい。
嘉人は〝準備と休息〟の重要性を説き、彼女の体力が回復するまでの数日間を、この拠点で過ごすよう言い渡した。
そうして始まった共同生活の中で、二人の間には文明の温度差とも呼ぶべき奇妙な対比が浮き彫りになっていた。
まずエルネシアを驚愕させたのは、嘉人の住居を構成する精緻さだった。
石造りの壁面は鏡のように平滑で、柱や梁の接合部には髪の毛一本通る隙間もない。椅子やテーブルといった調度品に至るまで、手仕事の揺らぎが一切排除されたその空間は、職人である彼女の目には〝神が定規を用いて切り出した光景〟のように映ったらしい。
「あなた……一人でここに住んでいるのよね? あ、いや、二匹のシルヴァン・フェリスが一緒なのはわかっているけれど、あの子たちが作ったわけじゃないんでしょ、これ」
寸分の狂いも無く形成された木製のマグカップをまじまじと見つめながら、エルネシアは驚嘆の声を上げる。
それはそうだ。
嘉人の住まいにあるものは、すべてUSCを用いた【アセンブリ】で作られている。一ミリ……いや、一ナノミクロンの誤差さえ存在しない。
一方で、嘉人の食生活はその住環境に反して、あまりに〝味気ない〟ものだった。
提供される肉料理は臭みもなく、鮮度も抜群だ。
しかし、味付けは単なる塩のみ。
香草による香り付けも、果実を用いたソースの彩りもない。
里で豊かな食文化を享受していたエルネシアにとって、それは空腹を満たすための作業に近く、嘉人の暮らしに決定的に欠落している〝文化の薄さ〟を物語っていた。
衣服についても、同様の逆転現象が起きていた。
嘉人が身に纏うのは、元の世界から転移したときに着ていた化学繊維の衣類。機能的で頑強ではあるが、あちこちほつれてみすぼらしい。
「なんでそんなボロボロの服を着てるの? え? 着替えがない? 服が作れない? こんな凄い家とか調度品があるのに!?」
まったく意味不明と言わんばかりの顔をされてしまった。
これでハッキリしたのは、嘉人の生活環境はハード面において異次元の技術を誇っているものの、ソフト面──すなわち、生活を豊かにするための文化面においてで言えば、最底辺だということだ。
この数日間の休息は、嘉人にとっても、自分が築き上げてきた生活がいかに歪なものであるかを自覚させる貴重な時間となった。
(豊かな生活っていうのは、道具だけで測れるもんじゃないんだなぁ……)
ため息も出ない嘉人だった。
「ヨシト! あたしはもう大丈夫だから、今日こそ大瀑布に行きましょう!」
自分の生活環境が歪んでいることを自覚した嘉人に、エルネシアが胸を張って宣言してきた。
確かに、ほんの数日前に漂着したばかりだというのに、彼女の元気は有り余っているように見える。思ったよりも回復が早い。
ただ、大瀑布へ行くにはシルヴィとハルヴァの協力が不可欠である。
人間の足では、草木が覆い、凶暴な野生生物があちこちで蠢いている大森林をスムーズに進むのは難しい。だが、二匹の背に乗っていけば半日足らずで着くからだ。
「シルヴィ、ハルヴァ、そういうことなんだけど行けるか?」
「うむ。ここしばらく退屈していたところだ、いつでも運んでやろう」
「……仕方ないわね。付き合ってあげるわ」
相変わらずハルヴァは前向きでやる気に満ちあふれている。対するシルヴィは面倒くさそうで腰は重いが、それでもなんだかんだと協力してくれるのは有り難い。
嘉人はUSCからランディング・ユニットを二セット取り出した。
一つはハルヴァに、もう一つはシルヴィに装着してもらう。
「私もそれを? 窮屈そうで嫌なんだけどねぇ」
「そう言うなよ。エルネシアが振り落とされたら大変だろ」
シルヴィはぶつぶつと文句を言いながらも、大人しくランディングユニットを着込んでくれた。
「それじゃ、エルネシアはシルヴィの背に乗ってくれ」
「え、いや……えぇ……あなた、シルヴァン・フェリスに何を着せてるのよ……」
せっかく乗り心地を良くしたのに、エルネシアは物凄く困惑した表情を浮かべていた。
シルヴァン・フェリスは、ここ〝不踏の大森林〟の支配種だ。今の人間では太刀打ちできないような凶悪な獣が跋扈する大森林において、その頂点に君臨する生物である。
そんな支配種に妙なものを着せて、さらにその背に乗ろうだなんて考えるのは、非常識を通り越して正気の沙汰ではない。
「そもそも、この……鞍? は、なんなの? 魔器とは違う……普通の道具でしょう? 凄い精緻で複雑で……いったいどうやって作ったの?」
「説明すると長くなるから、その話は後で。ともかくほら、早く乗りなよ」
「あ、ちょ、ちょっと……!」
嘉人は狼狽えるエルネシアの手を引き、シルヴィの背へと促した。
シルヴァン・フェリスの白銀の毛皮は、見た目の美しさに反して驚くほど強靭だ。そんな背に備え付けられているランディング・ユニットの座席に、エルネシアが恐る恐る腰を降ろすと、不安から一転、驚いたように目を見開いた。
「何これ!? あたしの体にぴったりなんだけど」
「シルヴィが走ってる間は、グッと体を沈み込むようにしてろよ。ある程度の衝撃は逃がしてくれるから」
「え、衝撃? それってどういう……」
首を傾げるエルネシアを他所に、嘉人もハルヴァの背に装着したランディング・ユニットに飛び乗った。命と同じくらい大事なタブレットPCをホルダーにセットし、準備は完了だ。
「よし、行こう。エルネシア、しっかり口を閉じてないと舌を噛むかもしれないぞ」
「えっ、そんなに速度が出る──ひゃあぁぁぁぁぁぁっ!」
エルネシアの言葉が終わるより早く、二匹の巨獣が同時に地を蹴った。
瞬間、視界が爆発したかのように後ろへと飛び去っていく。
人の足では、草木を刈って道を拓くのに一日掛かりになりそうな距離を、シルヴィとハルヴァは十数回の跳躍で埋めていく。視界を遮る巨大なシダや絡みつく蔦など、彼らにとっては障害物ですらない。
凄まじい風圧と、時折襲いかかる木の葉の礫。時折、なんらかの野生生物が飛び出してくるが、それらは二匹の爪や牙であっさり撃退されていく。
そんな移動が、どれほど続いただろう。
不意に、猛スピードで駆け抜ける風切り音の中に重低音が混じってくる。湿り気を帯びた涼やかな風が吹き抜け、唐突に視界が開けた。
そこには、断崖の上から白いヴェールを垂らしたような、圧倒的な水量の大瀑布が鎮座していた。
「よし、着いたぞエルネシア」
「あば……あばば……あばばばば……」
ぐったりしたようにシルヴィのランディング・ユニットに沈み込んでるエルネシアは、口から魂が抜け出ているかのように白目を剥いていた。
支配種の全力疾走、しかも重力を無視したような跳躍の連続は、どんなに計算し尽くして体にフィットするように作られたU字型のコックピットでも、彼女の三半規管を破壊するには十分すぎたらしい。
「おい、エルネシア。大丈夫か? ……シルヴィ、ちょっと飛び跳ねすぎたんじゃないか?」
「あら、この人間が『急ぎたい』って言ったんじゃない。私は優しいから、ちゃ~んと要望に応えてあげたのよ」
シルヴィが涼しい顔で尻尾を揺らす横で、嘉人はエルネシアをランディング・ユニットから降ろした。座席から解放された彼女は、そのまま河原の礫の上に両手を突いて崩れ落ちている。
「……やだ……もうやだ……何あれ正気じゃないわ……」
「そう言うなよ。おかげで半日もかからずに着いたんだ」
「そうは言っても、あんな出鱈目な速度で移動しながら、通りすがりにいろんな獣を蹴散らしてたのよ!? カースアラクネとかブラッドベアとか、国に騎士団の出動を要請するレベルの獣よ!?」
「まあ、いつものことだよ。それより見ろよ。君が探してたものがあるある場所へたどり着いたぞ」
嘉人が指差した先――轟々とうるさいほどに音を立てる大瀑布がそこにあった。
カナダのナイアガラの滝よりも広く、大きく、高い。落ちていく膨大な水は、飛沫となって周囲に虹の橋をいくつも架けている。
空を見上げれば、プテラノドンより大きそうな巨鳥が悠然と旋回しているが、それすらもこの大瀑布のスケールの前では小さく見えた。
「ここに、導魔石の鉱脈があるの……?」
「らしいね。ひとまず、ここで休憩しよう」
嘉人はUSCの【在庫】から、手慣れた動作で折りたたみ式のキャンプチェアを二脚、そして小さなアウトドアテーブルを実体化させた。
物流現場でも、休憩時間の確保は安全管理の基本だ。嘉人は呆然としているエルネシアの肩を叩き、椅子へと座らせる。
「ほら、座りなよ。水、飲むか?」
嘉人に言われるままに、エルネシアはコップを受け取るとキャンプチェアに腰をおろした。そこでようやく、ホッと一息付ける安心感を得た。
「って、これどこからだしたの? 椅子やコップどころか、こんな綺麗な水まで……そんな荷物、どこにもなかったわよね?」
「あー、簡単に言うと、俺が持ってる魔器のお陰……っとこかな」
「でもあなた、魔力回路がないんでしょう? 魔器を使うには自分の魔力が必要になるんだけど……」
エルネシアの視線は、嘉人が持つタブレットPCに向けられた。
「どう見ても、それはあたしが知ってる魔器と違うわよ」
「こういうのもあるってことだよ。世界は広いね」
嘉人は軽くあしらったが、エルネシアの表情は納得の色を見せていなかった。
「シルヴィ、導魔石のある洞窟は滝の裏って言ってたよな? ここからどうやって行くんだ?」
「どうもこうも、壁を駆け下りて行くのよ。私の背から降りる必要なんてなかったのに」
「……そこって、あの中か?」
嘉人は指を差した。膨大な水が叩きつけられる先は、あまりの落差に視界が届かず、深い谷底へと吸い込まれている。
落ちていく水流は、その半分が途中で砕け、白い霧となって巨大な白龍のように谷を埋め尽くしていた。
「そうよ。あそこに岩壁が抉れた隙間があるでしょう? あそこから中に入れるわ」
シルヴィが示したのは、断崖のちょうど中ほど――激流のカーテンが風に煽られ、薄く広がっている箇所のすぐ裏手だった。
「あんな絶壁の途中にあるのか……?」
「ちょっと待ってよ! あんな場所、どうやって行くの!? 足場なんてどこにもないじゃない!」
エルネシアが椅子に縋り付くようにして叫ぶのも無理はない。そこは、人間が物理的に到達できる場所ではなかった。
だが、シルヴィは琥珀色の瞳を細め、喉を鳴らした。
「何を言っているの。私たちがいるのよ」
その自信に満ちた物言いに、エルネシアは思わず口ごもる。だが、だからといって安心したわけでも納得したわけでもない。
「ヨシトぉ~……本当に大丈夫なの?」
「シルヴィがそう言うんだから、大丈夫って信じよう」
答えながら、嘉人はキャンプチェアやアウトドアテーブルを片付けてから【エリア・マッピング】を起動した。
画面上では、深い谷の断面図がワイヤーフレームで展開される。霧の向こう側に隠れた抉れた岩壁の位置が、透過スキャンによって鮮明な座標として特定された。
「よし。エルネシア、しっかりグリップを握ってろよ。今度は縦の動きになるからな」
「縦!? ちょっと待っ――ひゃああああああああっ!」
エルネシアの悲鳴を置き去りにして、シルヴィとハルヴァが同時に地を蹴った。
二匹は垂直に近い断崖のわずかな突起を足場にし、重力を嘲笑うような速度で崖を駆け降りていく。
眼下には、霧散した水流が作り出す底なしの白い海。
叩きつけられる水飛沫が霧となって舞い上がる中、シルヴィの巨躯が滝の裏側の「隙間」へと、弾丸のような精度で滑り込んだ。
一瞬、視界が真っ白な霧に包まれた。次の瞬間、耳を劈くような轟音が厚い岩壁に遮られたかのように遠のいた。
「おぉ……なかなかのアトラクションだったな」
嘉人が座席のロックを外すと、そこには外の喧騒が嘘のように静まり返った巨大な空洞が広がっていた。
「……あ」
エルネシアの声が、洞窟内に反響する。
パニックで半分涙目になりながらも、彼女の視線は洞窟の奥から漏れ出す光に吸い寄せられた。
洞窟の天井、壁、そして地面。
そこには、内部に淡い光の筋を宿した青い結晶が、壁といわず床と言わず、あちこちから顔を覗かせている
「あった……本当に、あった。しかも、こんなに……!」
見渡す限りに広がる導魔石が、ここには確かに存在していた。




