第15話 文明の味への回帰
朝、東の空が白み始めた頃に、嘉人は意識を浮上させた。
寝袋から這い出すよりも早く、すぐ側で丸まっていたシルヴィがスッと頭を上げた。黄金色の瞳には微塵の眠気もなく、既に周囲の安全を確認し終えている。
「おはよう」
「ああ、おはよう。もしかして寝てないのか?」
「私らシルヴァン・フェリス種は眠りが浅いのさ」
「そっか」
嘉人は短く頷き、寝袋からもそもそと這い出た。
まずは手近な川の水で顔を洗う。刺すような冷気が、眠気を強制的に追い払ってくれた。
それから嘉人はタブレットを操作し、【在庫】へ放り込んでおいた昨晩の〝引越祝い〟で作ったスープと蒸したデルタ・ポテトを簡易テーブルへ【出庫】した。
スープと言っても、塩も胡椒も何もない、白湯みたいなものだが、USCの【在庫】にあるのなら、それは調理直後の最適な温度を維持し続けている。
温かい汁とホクホクのデルタ・ポテトを胃に流し込み、エネルギーの補給はバッチリだ。これで昨日の続きもスムーズに進められる。
ただ、昨晩アセンブリを終えた『居住用一軒家ユニット×1』を降ろす前に、解決すべき事がある。
給排水の物理的な接続だ。
「さて、やるか」
嘉人は水源となる岩壁の窪みと、居住予定地の高低差を改めてスキャンした。
(川とパイプをただ接続するだけじゃ意味がない。この世界の素材で、メンテナンスフリーなシステムを組む。水質の担保も含めて、な)
嘉人は【アセンブリ】の画面を開き、新たな設計図を立ち上げた。
まず、水源となる窪みには、石材を隙間なく敷き詰めた「貯水槽」を定義する。さらに、その一角を深く掘り下げる構造に設定した。
(ここを深くすれば、砂利などの不純物が沈殿するトラップになる。ついでに、昨日ハルヴァが言っていた川魚を放り込んでおけば、鮮度を保ったままストックできる〝生け簀〟としても機能するな)
次に嘉人が着手したのは、貯水槽から家までを繋ぐ〝導線〟の設計だ。
選んだのは、在庫にあるボーン・ボアの骨だ。
この骨は中空構造を持ち、強靭で腐食にも強い。これを引き延ばし、継ぎ目のない一本の「骨の導水管」へと再構成する。
(この骨の管を、石材を板状に成形した土台ユニットの中に埋め込む。さらに土台内部には、多孔質化させた石材による濾過レイヤーを配置……管の内壁はカルシウム層で鏡面化。あとは仕上げに樹液の成分で抗菌処理、と)
嘉人が選択したのは、旧拠点の周囲に生い茂っていた巨木の樹液データだ。その樹液には、過酷な原生林で菌類や腐朽から身を守る強力な天然の抗菌成分が含まれている。
嘉人はその樹液を選択。さらに抗菌成分のみをフィルタリングして抽出した。
それをボーン・ボアの骨で作った導水管の内側に蒸着させる。
ただ塗るのではない。
USCの置換能力を使い、骨のカルシウム組織の隙間に抗菌分子を直接叩き込み、一体化させるのだ。
これにより、薬品が剥がれたり流出したりすることのない、恒久的な自己浄化能力を持つ導水管が定義された。
【アセンブリ】の画面上で、多段浄水機構を内蔵した石の土台が完成した。
それを、昨日完成させた『居住用一軒家ユニット×1』のキッチンの真下にくる接続端子と接続する。
嘉人の指先は、さらに排水ラインも追加した。
汚水は浄化用の石材レイヤーを通し、居住区から離れた低い方へと流す設定だ。
(これで、この世界の川水を『飲料水』レベルまで引き上げられているはずだ)
設計上の疎通確認は終わった。
次は、これを現実の座標に反映させる作業に移行する。
「次は配置だ」
嘉人は【エリア・マッピング】を起動した。
タブレットのカメラを通して見る世界に、グリッド状の透過レイヤーが重なる。嘉人は水源となる岩壁から居住予定地までをゆっくりとスキャンし、最新の地形データを読み取った。
画面の中で、仮想の導水管が実世界の地面へと投影される。
嘉人は指先で管の長さを微調整し、勾配も合わせて計算する。
(水源から土台までの距離は約二十メートル。高低差は三メートル。重力だけで十分に流れるが、管が地表に出すぎればシルヴィたちが足を引っかけるし、深すぎればメンテナンス性が落ちる)
嘉人は「骨の導水管」を、地表から五十センチの深度を通るように固定した。
さらに、地中の岩盤が特に硬い箇所を避け、最短かつ最も安定するルートへと配管のカーブを自動補正させる。
最後に、すべての接合部が一ミリの狂いもなく現実の座標に収まっていることを確認する。
(水源の座標ロック。導水管の埋設深度、固定。土台の水平度、許容誤差範囲内。……よし。全項目オールグリーン!)
「シルヴィ、ハルヴァ。今から地面と岩壁を別の物と置き換えるから、その場から動かないでいてくれ」
嘉人の警告に、二匹はそれぞれがゆったりとした動作で距離を取り、嘉人がこれから何をしでかすのか、興味と好奇心に満ちた目で見守る姿勢に入った。
そんな二匹の様子を確認してから、嘉人は【出荷】アイコンを静かにタップする。
──パァンッ、と。
空気が弾けたような短く乾いた音が、一度だけ周囲の森に響いた。
直後、嘉人の視界にある風景が、まばたきをする間もなく〝上書き〟された。
岩壁の窪みがあった場所には石造りの貯水槽が、デコボコだった地面には雑草一本残さず排除された石の土台と、一人で暮らすには十分な広さを持つ平屋が、最初からそこに存在していたかのように現出していた。
「一括納品完了ってな」
すべて計算通り、【アセンブリ】で設計した通りのものが目の前にある。
嘉人は満足げに頷いた。特に、シルヴィやハルヴァでも余裕を持って通れる引き戸式玄関の仕上がりは完璧だ。
「いやはや……今回は特に凄まじいな! 住処と水辺が一気に出現したではないか!」
「ホントにねぇ。ここまで規格外な技は初めて見るよ」
さすがに二匹も、嘉人が一気に水と貯水槽を一気に出現させたことに目を剥いていた。
「中もしっかり設計したからな。一緒にチェックしてみるか?」
「もちろんだ! 楽しませてくれよ?」
嘉人は二匹を促し、完成したばかりの平屋のドアを開けた。こういうこともあるだろうと、嘉人は二匹が窮屈しないよう、全体的に天井高と床面積はかなり余裕を持たせた。
室内には、旧拠点の森で切り出した巨木の瑞々しくも重厚な香りが満ちている。まだ家具らしい家具は何もないが、旧拠点で使っていたキッチンやかまど、囲炉裏は組み込んである。
それも、ただ組み込んだだけでなく、この住居に相応しい形へとアップグレードもしておいた。
嘉人はそんなキッチンへ向かい、バイソンの角を削り出して作った蛇口をひねった。
ゴボッ、と空気が抜けるような音の後、勢いよく水が噴き出す。
「ほぉ。家の中でも水が出るのか」
「すごいねぇ。これならわざわざ川まで行かなくて済む」
ハルヴァが身を乗り出し、流しに溜まる水を不思議そうに突く。嘉人はその水を掬い、一口飲んだ。
骨の導水管による抗菌と、石材の多段フィルタ。雑味のない、驚くほど澄んだ味がした。
「よし、インフラは合格だ。あとは、中身を詰めるだけだな」
嘉人はタブレットで家全体の気密性と排水のチェックを終えると、満足げに息を吐いた。
寝床と水は確保した。だが、まだ足りないものがある。
脳裏に浮かんだのは、今朝飲んだ味のないスープだった。
「さて。水が出たら、次は塩だ。いよいよ塩を摂りにいくぞ!」
嘉人の言葉に、シルヴィが黄金色の瞳を細め、ニヤリと笑った。
「次から次に、せわしないヤツだね。まぁ、ちゃんと案内してやるよ」
住居の確認を終えた一行は、岩壁の亀裂――その奥へと続く、暗い洞窟の入り口へと向かった。
「ここか……中は安全なのかな? 何かが住み着いてるとか……」
「私とハルヴァがいるんだよ。何かが居たところで問題ないわ」
それは頼もしい──と、嘉人は納得し、洞窟の奥へ踏み入った。
すると、すぐに外の湿気とは質の違う、乾燥して鼻を突くような刺激臭が漂ってきた。
嘉人はタブレットを取り出し、【エリア・マッピング】を起動する。
「うー……ピリピリする。やはりここの奥、かなり匂いが濃いな」
ハルヴァが鼻をヒクつかせ、警戒と不満が入り混じった声を出す。
嘉人の手元にある画面上では、カーナビのように自車位置――すなわち嘉人の現在地を中心とした半径一キロメートルの三次元マップが、リアルタイムで構築されていた。
タブレットPCに内蔵されているライトの光が届かない闇の先も、岩盤の厚みや空洞の広がりがワイヤーフレームで克明に〝視認〟できている。
「このまま道なりに五十メートルに進めば、開けた空間がある。岩塩らしき反応もそこっぽい。そこだけ岩盤の密度が異常に高いんだ」
「そんなことまでわかるの? 便利なもんだねぇ」
シルヴィが呆れたように、しかし頼もしげに喉を鳴らした。
やがて辿り着いたその場所は、ライトを向けると壁一面が白く結晶化し、幻想的な乱反射を繰り返す広大な岩塩層だった。
「あったな……。これが『ピリピリする石』の正体だ」
嘉人は壁に歩み寄り、表面を撫でる。
指先に伝わる鋭い刺激と、強烈な塩の気配。
ライトに照らされた壁面は、雪のように白い層もあれば、鉄分を含んだ淡いピンクや、マグネシウム等の成分によるオレンジ色がマーブル状に混じり合っている。
(地表近くでこれだけの規模……岩塩ドームの核が露出してるのか。これなら範囲指定で一気にいけるな)
嘉人はタブレットを操作し、純度の高そうな透明な層と、ミネラルが豊富そうな色付きの層をバランスよく選別して範囲指定した。
そして、一括【入庫】を実行する。
パァン! と、乾いた音が響いた直後、ライトに照らされていた結晶の壁が座標ごと切り取られて消失した。
在庫リストには、即座に『未精製岩塩:約三百八十キログラム』の項目が追加される。
「よし、引き上げるぞ」
目的は達成した。
念願だった塩の入手が、デルタ・ポテトやクリムゾンベリーを【入庫】した時より呆気なく終わったが、この手間暇を掛けない〝簡単さ〟のために、嘉人はこの地へ引っ越してきたのだ。
すぐに拠点へ戻った嘉人は、さっそくリビングで岩塩の〝構成編集〟の準備に取りかかった。
(大部分はミネラルを残したままの粗挽き岩塩にして、一部だけを特定用途用の高純度な精製塩にしよう)
嘉人が画面を数回タップすると、在庫リストの巨大な岩塩の塊は、用途別にパレタイズされた資材リストへと姿を変えた。
嘉人はその中から、日常使い用の粗挽き岩塩を一掴み分ほど【出庫】した。
掌に載ったのは、ほんのりピンクやオレンジが混じった、宝石の欠片のような結晶だ。
嘉人はタブレットの【在庫】画面を改めて確認し、今回の戦利品を確認していく。
「さて、結果はこんなところか」
【在庫:岩塩カテゴリ】
・粗挽き岩塩(ミネラル含有):三〇〇キログラム
・高純度精製塩:五〇キログラム
・濃縮ミネラル溶液(にがり成分):三〇リットル
・残渣資材(砂、シリカ等):残分
これだけの量があれば、個人消費なら一生分と言っても過言ではない。
しかも、不純物を分子レベルで分けただけで、一グラムも無駄にはしていない。保管コストもUSCの【在庫】データのままにしておけばゼロだ。
「それが、あんたが探していた塩なの? それはそのまま食べるのかしら?」
シルヴィが興味深そうに聞いてくる。
「ああ。そのまま舐めてもいいが、一番いいのは焼いた肉に振ることだ」
嘉人はタブレットを操作し、【在庫】から圧気発火器を取り出した。使い慣れた動作でシリンダーを押し込み、発生した熱を火種へと移す。
手際よく囲炉裏に火を点けると、新居の空気が一気に和らいだ。
続けて、フォレスト・バイソンの赤身肉も取り出す。そして、先ほど精製したばかりの粗挽き岩塩を、パラパラと振りかけて火に掛けた。
ジュウッ! と、小気味良い音を立てて、熱せられた石板の上で脂が弾ける快音が響く。
瞬く間に、暴力的なまでに香ばしい匂いが室内に広がった。
シルヴィは黄金色の瞳を細め、肉の表面で溶けていく塩の結晶を静かに観察している。
「……なるほど。塩は熱と脂を媒介にして、肉に馴染んでいくのね」
「良く見てるなぁ。ま、火入れは表面に焼き色が付くくらいでいい」
短時間で焼き上げたフォレスト・バイソンの肉を調理台の上に移し、切り分ける。
嘉人が切り分けた肉を差し出せば、シルヴィとハルヴァは躊躇なくそれにかぶりついた。
「────ッ!?」
ハルヴァのみならず、いつも冷静沈着なシルヴィまで表情を輝かせた。
噛みしめるたび、これまでの〝ただ焼いただけの肉〟とは明らかに違う、鮮烈な旨味が脳を突き抜けたのだ。
「これは凄いぞ! 噛むほどに肉の甘みが引き出される!」
ハルヴァが豪快に笑い、さらに肉を求める。
「ええ。塩というのはただピリピリするだけでなく、これほど肉の味を明確にするなんて思いもしなかったわ」
感激している二匹の姿に満足した嘉人も、岩塩のコクが染みた肉を口に運んだ。
今朝までの味気ないスープの記憶が一気に消し飛ぶ。ようやく、元の世界で味わった肉の味わいを取り戻せたのだ。
「あー……生活レベルが一段階上がったような気分だ」
だが、嘉人はここで満足したわけではない。
まだ塩が手に入っただけ。
食材も、フォレスト・バイソンの肉にボーン・ボアの肉、脂蝋樹の実にデルタ・ポテト、クリムゾンベリーで、片手で数えるしかないのだ。
それに、拠点の整備も終わったわけではない。
シルヴィとハルヴァが目を光らせてくれているとは言っても、野生動物が侵入しないような柵は必要だし、川が氾濫してもいいように護岸の整備もしないといけない。
そして、最終的には電気も使えるようになりたい。
まだまだやることは山のようにある。
「明日からも、もっと開拓していくぞ」
決意を新たに、嘉人は熱々のステーキを頬張った。




