第10話 巨大猫との交渉事
石皿の上から、あれほど山盛りだったボーン・ボアのグリルがあっという間に消えてしまった。
シルヴィとハルヴァは、満足げに喉を鳴らしながら前足を丹念に舐めている。肉の脂一つ残っていない皿は、まるで洗浄されたかのように綺麗だった。
「それじゃあ……ええと、話を聞かせてもらえるか?」
「ええ、いいわよ。美味しい肉を貰った分、ちゃんと答えてあげるわ」
シルヴィが氷青色の瞳を嘉人に向けて来る。いきなりガブッと来ることはないと信じてよさそうだ。
「感謝する。……そいえば、俺たちってこうやって言葉で意思疎通が出来てるけど、俺の言葉がなんでわかるんだ?」
嘉人は、この世界から見れば異世界人。現代の日本から、どういう理由か仕組みかわからないが、気づけばこっちの世界に来ていた。
当然、異なる世界なのだから使用されている言語も違うはず。挙げ句、相手はシルヴァン・フェリス種なる巨大な森の猫だ。とても同じ日本語を使っているとは思えない。
「あら、言語に〝意思疎通の魔法〟を乗せるのは、高位知性体なら生まれ持って使える魔法技能でしょ。世界中どこだって言葉は通じるじゃない」
「魔法? この世界には魔法があるのか!?」
「変な人間ね。どうしてそんな当たり前のことで……あら? よく視れば、おまえには魔力も魔法を使う回路もないわね」
「そうなのか?」
まるで全身をスキャンしているようなシルヴィの眼差しに釣られて、嘉人も自分の体をまじまじと見てしまう。
もしその言葉が本当なら、魔力や魔法はこの世界の生物特有のもので、異世界人である嘉人には適正そのものが備わっていないことになる。
「つまり俺は、魔法が使えないってわけか……」
「ふむ、お主はあれか、魔力回路を持たぬが故に言葉を交わせず、人里を追われ、この森の奥深くで一人でいるわけか。なんとも不憫だのぅ……」
ハルヴァが、なんとも憐れんだ眼差しを向けてくる。
そういうわけではないのだが、事情を説明するにも、嘉人自身が我が身に起ったことを正確に理解してない。言語化して伝えるのも難しいところだ。
「別に人里を追われたわけじゃない──とだけ言っておくよ。逆に、そっちは? もしかして、この辺りで生活してるとか? ここを根城にしているなら、俺がここに居座るのはそちらの生活を乱すことにならないかと思ってな」
「家? うーん、ちょっと違うわね。このあたり一帯が私たちの庭のようなものよ。気が向けばあっちの川へ行くし、眠くなれば眠る。私たちはこの森の『主』だもの」
「そうだな。俺たちが通りかかれば、大抵の魔物は逃げていく。……お主もあの美味い肉がなければ、今頃は逃げる側だっただろうけどな」
ハルヴァが喉の奥で低く笑う。それは冗談ではなく、明確な弱肉強食の事実だった。
「なるほど……」
ハハハ、と乾いた声で笑うしかなかった。
この二匹は、まごうこと無きこの森で暮らす野生の獣だ。一歩間違えれば、嘉人自身が餌になっていたかもしれない。
逆を言えば。
この二匹にとって、嘉人の存在が食うよりも有益な存在ならばどうだろう? 食われないどころか、こちらの味方になってくれるかもしれない。
つまり、交渉ができる相手だ。
「それなら、こういうのはどうだ? 俺は今後も、あんたたちに〝美味い肉〟を提供する。代わりに、そっちは俺の身の安全を守ってくれ」
「ふむ」
嘉人の言葉に、ハルヴァがシルヴィに目を向けた。どうやらこの二匹、最終的な決定権はシルヴィの方にあるようだ。
「……あら、素敵」
そしてシルヴィは、嘉人の〝提案〟に口角を上げた。
「おまえが約束を違わず肉を提供するのなら、ええ、いいわ。他の獣に襲われないよう、助けてあげようじゃない」
「……交渉成立だな」
嘉人は心の底から安堵し、深く息を吐いた。
これでひとまず、この森における最大の懸念事項であった二匹との関係が、捕食者と獲物から〝クライアントと契約社員〟みたいな形になったわけだ。
嘉人は脇に置いていたタブレットPCを手に取り、USCの【ナレッジ検索】を開いた。
「それじゃあ、俺が死なずに美味い肉を焼き続けるために、この場所の情報を整理しておきたいんだ。忘れないように記録させてもらうよ」
「ええ、いいわよ。その魔法の板で何を調べるつもり?」
シルヴィが興味深げに首を傾げる。
「まずは食料だ。肉以外に食べられる野草や果実がどこかにないかな? 俺は魔法が使えないらしいから、薬草の知識も欲しいな」
「死にそうな怪我をしたなら、私たちが直してあげるわよ」
「そんなことができるのか?」
「私もハルヴァも、魔法だったら一通り使えるからね」
思った以上に、この森林の主は規格外の力を持っているらしい。昨晩、ドアを吹き飛ばすような気まぐれを起こされなくて良かったと、今さらながらに思う。
「食べられるものとなると……あっちの窪地には腹持ちのいい根っこが埋まっていたわ。それと、向こう崖の下には甘い実がなる木があったかしら。……ハルヴァ、あとで教えてあげなさい」
「わかった。あの実は甘くてうまいんだ」
嘉人はハルヴァが示した方角を【エリア・マッピング】で調べてみた。が、半径一キロ圏内にそれらしい群生地は見つからない。
「その『腹持ちのいい根っこ』や『甘い実』ってのは、名前とかあるのかな?」
「名前?」
シルヴィが不思議そうに首を傾げた。
「私たちはただ、それを『腹持ちのいい根っこ』や『甘い実』と呼んでいるけれど」
「俺が間違えて別の毒草を引っこ抜かないためにも詳細が知りたくてね。じゃあ……そうだな、一度に言われても混乱するから、まずは『根っこ』の方から詳しく教えてくれ。見た目とか、色とか、味とか」
「根っこはね、皮が茶色くて、中身は真っ白。齧ると少し粉っぽいわね」
そんなシルヴィの言葉を頼りに、嘉人は【ナレッジ検索】に条件を一つずつ入力していく。
【ナレッジ検索:照合結果】
該当候補:デルタ・ポテト
外観:茶褐色の外皮。澱粉質が豊富。
(……これか。まずは一品目特定できたぞ。次は『実』の方だ)
嘉人は検索画面を一度クリアし、次の入力欄へ移った。
「次は実の方を教えてくれないか?」
「東の崖にある実は、赤くて表面にトゲがあるけれど、中身はとろけるように甘いの。採りに行くならハルヴァに任せてもいいわよ?」
「後で案内してもらうよ。その前に見た目とか知っておきたいし……よし、こっちはクリムゾンベリーで間違いなさそうだな」
タブレットPCの画面には、デルタ・ポテトと同じようにクリムゾンベリーの内容が画像付きで表示されていた。
二つの作物を個別に特定したところで、彼は【エリア・マッピング】の表示を最大に切り替えた。
(半径一キロ圏内には反応なし。……つまり、彼女たちが言う『あっち』や『向こう』、『すぐそこ』は、徒歩の俺にとっては数キロ先ということか)
二匹との身体能力の差を改めて突きつけられながら、マップに暫定のピンを打った。そして、最も重要な戦略物資について問いかける。
「……もう一つ、絶対に外せないものがある。この森に、岩塩が取れる場所や、塩気のある水が湧いている場所はないか?」
嘉人の真剣な眼差しに、ハルヴァが鼻先を動かした。
「岩塩……塩の岩か? それなら、ここからずっと北に行った崖の下に、舐めるとピリピリする石が転がっている場所があったな。俺たちはたまに、喉が変な時に舐めに行く」
「あるのか! 良かったぁ」
嘉人の指が弾む。
塩が確保できれば、保存食の製造も、何より料理のクオリティが劇的に上がる。嘉人はマップの北端に、巨大な【要確保:岩塩露出地点】のピンを立てた。
どれも場所は確定していないものの、シルヴィやハルヴァに連れて行ってもらえれば確実に発見できるだろう。
ただ……問題は距離だ。シルヴィは『ずっと北に行った崖の下』と言った。
『あっち』や『向こう』で数キロ先なのだ。もっと遠い──それこそ、嘉人の足では片道だけで数日かかる距離かもしれない。
「……なぁ、確認したいんだが……この森の広さって、どのくらいかわかるか?」
「広さ? そうねぇ……私たちが狩りをしながら十日ほど走っても、森が途切れることはなかったわね」
「むぅ……」
物は試しに、嘉人はシルヴィの言葉を頼りに森の広さを計算してみた。
まず、二匹の移動速度を推測する。狩りをしながらの移動だとしても、トータルで時速五十キロくらいだろうか。それで一日八時間の移動だとすれば、距離にして四百キロだ。
それが『十日ほど走っても途切れない」となれば、直線距離にして四千キロにもなる。
(いや、さすがに四千キロも直進し続けたわけじゃないだろう。蛇行してたり、外周を回ってただけかもしれない。それでも……一辺で八百から一千キロくらいにはなるのか? うへぇ……日本列島がすっぽり収まるサイズじゃないか!)
なんだかクラクラしてきた。
異世界に転移するにしても、どうしてこんなだだっ広い森の中に転移してしまったんだと、嘉人は頭を抱えた。
「どうかしたの? 急に頭を抱えて」
シルヴィが不思議そうに鼻先を寄せてくる。
「いや……改めて、ここはとんでもない場所だと思ってね」
こうなると、森からの脱出はほぼほぼ不可能だ。
いや、綿密に計画を立てて準備も疎かにしなければ可能かもしれないが、それならここでの生活をより良くした方が無難かもしれない。
何しろ今なら、二匹の心度良い用心棒もいるのだから。
「それじゃ最後に、これだけは聞かせてくれ」
ただ、それでも──。
「……人間が住んでる場所は、いったいどこにあるんだ?」
──せめて、この世界に自分以外の人間がいることだけは確認したかった。
自分は最後の人類ではない、と思いたかった。
「そうねぇ……ずっと遠く……おそらく、森を抜けた先にあるんじゃないかしら? たまに大瀑布に繋がる川に、人間の道具みたいなものが流れてくるわよ」
「そうなのか……!」
嘉人は思わず身を乗り出した。
その話が聞けただけでも、嘉人にとっては暗闇の中に小さな灯火を見つけたような心地になれた。
(川に道具が流れてくるってことは、上流のどこかに人間の文明圏がある証拠だ。今はまだ無理でも、いつかはコンタクトが取れるかもしれないぞ)
そんな嘉人の様子を横目に、シルヴィがじっと一点を見つめていた。
嘉人の手元にある、先ほどから光を放っているタブレットPCだ。
「……ねぇ。さっきから気になっていたけれど、その『板』は何なの? おまえ、呪文も唱えずにそこから食べ物の絵を出したり、光る線を引いたりしていたわね」
「え、これ?」
嘉人はUSCの画面をシルヴィに見えるように少し傾けた。ハルヴァも興味津々といった様子で、大きな鼻を近づけてフンフンと匂いを嗅いでいる。
「これは、まあ……俺の故郷に伝わる〝記録帳〟みたいなもんかな」
タブレットPCのことやUSCについて説明しても、おそらく正確には伝わらないだろうと考え、嘉人はざっくばらんな説明にとどめた。そもそも、嘉人自身も正しく説明できる自信がない。
「ほら、さっき教えてもらった根っこの特徴も、こうして書き留めておけるんだ」
「ふーん……。魔法も使えないのに、そんな妙な道具を使いこなすなんて。妙な人間ね」
シルヴィが面白そうに喉を鳴らす。どうやら〝魔法が使えない無能な人間〟から〝変な道具を使いこなす器用な人間〟へと、嘉人の評価が一段階スライドしたようだ。
「まあ、これがないと俺はこの広い森で一日と持たずに迷子になるからね。あんたたちにとってはただの板だろうけど、俺にとっては命の次に大事なライフラインなんだよ」
「まあ、退屈しないなら何でもいいわ。明日もあの肉、期待してるわよ」
シルヴィは満足げに欠伸をすると、大きな前足に顔を埋めて丸まった。




