第20話 目覚めたら頭の右半分が護符で左腕がなかった
テラスから差し込む日の光が、床や壁に散った血痕を輝かせていた。
テーブルはなぎ倒され、椅子は砕け、床には人が転がっていた。
切り刻まれた、腕。脚。胴。飛び散った肉片で何人の遺体があるかもわからない。
ただ肉片の一つが、美夜子の首だった。
◇◆◇
藤原家の門の前には、一台の車が停まっていた。
美夜子が近づき、窓をノックした。
窓が開いたので、
「主人に会わせてくれる? 日本にいるのはわかっているの」
とお願いした。
◇◆◇
美夜子を乗せた車は、住宅街を通り過ぎ、倉庫や工場が並ぶ海沿いにやってきた。
ある倉庫の門の前で車は止まった。
他の倉庫とは何も変わらない建物に見えた。
警備員の確認後、車は敷地内に入っていく。
案内された部屋には真行がいた。
真行は美夜子を見て驚いた顔をしていた。
「あなた、やっぱり日本にいたのね」と尋ねた。
真行は黙ったままだった。
「真一に会わせてください」
真行は我に返った様子で、
「あ、でも真一は治療中だから、今は……」
「あの子の母親なんですよ。側にいさせてください」
真行は悩んでいる様子だった。
「お願いです。あなた」
涙を浮かべた美夜子は、頭を下げた。
「わかった」
◇◆◇
美夜子と真行を乗せたエレベーターが降りていく。
表示パネルのマイナスの数値がさらに減っていく。
エレベーターがようやく止まり扉が開くと、白い廊下が続いていた。蛍光灯が均一な光を落とし、影が一つもない。空気は清浄だが、冷たかった。
真行が先を歩き、美夜子がその後に続いた。
廊下の突き当たりに、一枚のドアがあった。
真行がドアの横のパネルに触れると、ドアが開いた。
ドアの向こうには、ガラス越しにもう一つの部屋が見えた。
子供部屋のような空間だった。小さなベッドと、壁の棚には何冊かの本や何体かのフィギュアが飾られていた。真一の部屋を模しているようだった。
ベッドの端に、拘束衣を着た少年が丸くなって座っていた。
真一だった。
顔は傷一つなく元のままだったが、目はうつろで、身動き一つしていない。
「真一……」
声が震えた。ガラスの向こうの真一には届いていないようだった。
「中に入れてください」
真行は少し間を置いて、パネルに触れた。子供部屋へのドアのロックが外れる音がした。
美夜子は駆け出し、ドアを開けると、慌てて部屋に入る。
真一の前に膝をつき、両腕で抱きしめた。
真一は反応しなかった。うつろな目のまま、母親に抱かれている。
「ごめんね、真一」
真一の肩を抱く腕に、力がこもった。
――やっと、見つけた――
美夜子の唇が、わずかに歪んだ。
自分の口の中に手を入れて、刃を取り出した。
真一の首に、刃を走らせた。
首が落ちた。
美夜子は立ち上がり、転がった首を見下ろした。
笑みが広がった。口が裂けるほどに。人間の顔では作れない笑みが。
「藤原の子孫を殺してやったぞ! 私がこの手で」
◇◆◇
声が違う。低い声でダミ声だった。美夜子のものではない。
美夜子の体が膨らんでいく。美夜子の着ていた服が裂け、中から獣の毛が生え出した。顔が溶けてなくなると、そこから獣の目、口、鼻が現れ、まるで、狐か狸に似た妖怪に変わっていく。
「まさか、妻に化けるとは」
真行はつぶやいた。
「妻をなめすぎている。真一に会うためにわざわざ俺の許しを請うなんてしおらしいことをするわけがない」
妖怪が後ずさりする。
「あら、私はいつもしおらしくしているけど、気づいてないのかしら?」
真行の背後から、美夜子が現れた。
――まずい――
「いや、ち、違う。つ、妻に化けるなんて浅はかだったと言いたかったんだ」
と取り繕うとして、
「妻とは似ても似つかなかったぞ」と妖怪に言ってやった。
美夜子が続けた。
「そうよ。私はもう少し若いわよ。そんなに老けていませんから」
「そうだ。化粧でもっとごまかして……」
と真行がまた口を滑らせかけると、首筋に美夜子の短剣が突きつけられる。
「何か言いました? 聞こえなかったんだけど、もう一回言ってくれます?」
真行は引きつった顔で笑ってごまかそうとしている。
妖怪は二人の会話に割って入った。
「何をふざけている? 貴様らの子供を殺してやったんだぞ」
美夜子があきれ顔で言う。
「この妖怪さん、まだ気づいてないようね?」
真行もため息をつきながら、
「もうちょっとましな刺客はいなかったんだろうか?」と視線を真一の首に向ける。
妖怪が真行の視線の方を見ると、真一の首が丸太に変わっているのに気づいた。
「え!」
妖怪は思わず声を上げる。
美夜子も妖怪をからかう。
「妖怪さんが殺したと思っている私がここにいるんだけど、どういうことかわかっている?」
「罠だったのか? こうなれば……」
妖怪は二人に襲いかかった。
次の瞬間、無数の釘が飛んできて、妖怪の体を貫き、壁に縫い留めた。
妖怪は悲鳴を上げた。
真行が妖怪の前に立った。
「ここまで来てもらって、助かるよ。いろいろと聞きたいことがあるんだ」
◇◆◇
眩い光がさし、真一は夢から醒めた。
目が光に慣れると、白い天井が見えた。
仰向けになった状態で寝かされているのに気づく。
そばに黒ぶちの細い眼鏡をかけた外人の女性がいる。長い黒髪すべてを左肩にまわし、白衣を着ている。
――見たことのある女性だ。そうニューヨークで……――
ガラス張りの機器の表面に自分が映っていた。
頭部の右側が、削り取られていた。
そこには肌も骨もなく、代わりに紙片のようなものが蠢いていた。護符だった。赤黒く血に染まった護符が、傷口から何枚も重なり合って、ゆっくりと脈打つように動いている。
左腕の感覚がないことにも気づいた。映っているはずの左腕が、肩から先、消えていた。
吐きそうになった。それと同時に記憶が蘇った。
三崎愛理のあの悲しそうな片目と、
「あなたさえいなければ……」の言葉。
――ボクがいなければ、三崎愛理は死なずにすんだ――
真一は自分が映るガラスから目を逸らさなかった。
醜い自分の姿を、罰として受け止めた。
この姿こそが、自分にふさわしいと。




