第17話 好きな子に刺されたボクは好きな子を砂に変えた
「逃げよう」と三崎愛理が言った。
なぜか悲しげな顔をしていた。
三崎愛理に手を引かれ、真一は崩れかけた保健室から飛び出した。
校舎の廊下は半分が崩落していた。瓦礫の間を縫うように走る。天井から破片が落ち、粉塵が視界を白く染めている。
どこかで爆発音。悲鳴。ガラスの砕ける音。
廊下を走りながら、窓から外を見た。
化け物が暴れている。テントはなぎ倒され、万国旗は引きちぎられ、生徒たちが悲鳴を上げながら逃げ惑っている。化け物の足が地面を踏みつけるたびに、校庭に亀裂が走った。
そのとき、真一は見た。
黒いスーツの男たちが、生徒たちを誘導している。黒い着物を着た男たちは護符や五鈷杵を使い闘っている。
――陰陽師の人たちだ――
だが、倒れた化け物の体から黒い霧が噴き出し、近くにいた陰陽師の一人に取り憑いた。陰陽師の体が膨らみ、ねじれ、化け物の姿に変わっていく。
倒したはずの化け物が、霧となって別の人間に乗り移ったように見えた。
――これでは、倒しても無駄ではないか――
校舎の屋上で炎の柱が上がった。白いエプロンドレスを着た三つ編みの無邪鬼の両手から炎が噴き出し、鬼の前に立ちはだかっている。
屋上にはアンジェリーナの姿も見えた。彼女は別の牛鬼に両腕を伸ばしている。その牛鬼は重力に押しつぶされそうになっている。
校舎の壁をつたう牛鬼に、一人の女性が刃を交えている。
目を奪うような美しい跳躍と目にも止まらない剣技で牛鬼を切り刻んでいる。
もっと驚いたことに、
「ママ?」と思わず声に出してしまった。
意外にも戦っているのはママだった。
三崎愛理に引っ張られ、真一は走り続けた。
校舎を出て校門へ向かおうとしたとき、目の前に、一人の男がいた。
教室の蛍光灯を交換してくれる用務員のおじさんだった。
でも、いつもとは様子が違う。
よだれを垂らし、目はイッている。
突然、用務員の体が大きくなっていく。服が破れ、体が変形し、化け物になる。
立ち止まる三崎愛理。
牛鬼が咆哮を上げる。
「やっぱり、逃げられないのね」と三崎愛理が弱々しい声で言った。
真一の腕を持つ手が震えていた。
真一はその手を押さえ、
「大丈夫。ここはボクに任せて」と理由もない自信を見せる。
雰囲気だけで、その台詞を口にした。
三崎愛理の腕を掴み、彼女の前に立って、化け物と対峙した。
足も、腕も震えている。むしろ体中が震えているのがわかる。
――ボクが三崎愛理を守るんだ――
と思いつつ、真一の人生は終わったと確信した。
急に背中に激痛が走った。
尖ったもので刺された感覚だった。
視線を落とすと、赤く濡れたナイフが深く刺さっていた。
ナイフの柄を三崎愛理がしっかり握りしめていた。
「あなたのせいだからね!」
三崎愛理がつぶやいた。
彼女の両頬を涙が伝っている。歯を食いしばり、震えながらナイフを握っていた。
真一は何か言おうにも、痛みで声が出なかった。膝から力が抜け、床に崩れ落ちた。
真一の意識が溶けていく。
最後に見えたのは、三崎愛理のこの上なく悲しい顔だった。
◇◆◇
闇の中で、目を開けた。
まず目に入ったのは、とがった鼻と口元だった。
次に獣のような毛が生えた腕と鋭く伸びた爪が見えた。
それらは真一の体の一部だとわかった。
遠吠えをあげた。
真一の意志とは関係なく、体が勝手に動く。
三崎愛理と化け物に挟まれていた。
まず体を曲げ、力をためると愛理に襲いかかった。
「やめろ!」
真一は叫んだ。狼となった体は止まらなかった。
愛理は避けた。人間離れした動きだった。ナイフを構え、真一の脇腹を切り裂いた。痛みが走った。体は勝手に動くのに、痛みだけは感じる。
背中も切られた。化け物の尖った爪だった。
真一は飛んだ。両方が相手ではもたないと逃げ出した。校舎の壁に爪を立て、這い上がっていく。
真一が振り返ると、愛理はついて来ているが、牛鬼は遅れている。真一は愛理に爪で斬りかかった。爪は愛理の体操着の上から皮膚まで切り裂いた。
愛理の傷口から、砂が溢れだした。傷口から血ではなく、さらさらとした砂が流れ出ている。そして数秒後、砂が集まり、傷口は消えてなくなった。
真一は狼の目を通して、信じられない光景を見ていた。
――愛理の体は、砂でできている――
真一が愛理の肩を噛んだ。引きちぎった。肩が砂になり、崩れ、また元に戻る。
愛理が反撃した。ナイフが真一の前足を深く切った。真一は吠えた。
戦いは続いた。真一が愛理を切り裂き、愛理が真一を刺す。
――やめてくれ。やめてくれ! 三崎さんを傷つけるな!――
真一は叫び続けた。
愛理の体は傷ついても元に戻るが、着ている服は元に戻らない。
肌があらわになっていく。
◇◆◇
「真一様!」
声が聞こえた。無邪鬼の声だった。
戦闘で髪は乱れ、エプロンドレスも破れている。ひどい格好だった。
「その女はゴーレムです! 砂で作られた人形! 体のどこかに刻まれた文字があるはず! その文字を消すのです!」
三崎愛理の露出した肌をくまなく探した。
狼も無邪鬼の言っていることがわかったのか、文字を探るように動き回る。
だが、腕にも。胸にも。腹にも。背中にも。どこにも文字はなかった。
狼が愛理の髪を掴みあげ、頭を覗き込んでも見つからない。
髪の毛を引っ張られた愛理は真一の首元を掴み、地面にたたきつけた。
衝撃で息ができなくなったところを跨られた。
ナイフを両手で握り、真一の眼に突き立てようと振り下ろした。
真一は前足で抵抗した。三崎愛理の手首を押さえ、ナイフを受け止めている。
ナイフの切っ先と愛理の顔が目の前まで近づいている。
三崎愛理は泣いていた。
涙が頬を伝い、真一に落ちた。
涙に溢れた瞳の中に、文字が浮かんでいた。
涙で大きく、はっきり、
「M E T H」と右目の奥に見えた。
真一は見つけてしまった。
――だめだ――
狼の体は言うことを聞かなかった。
力を振り絞って愛理を押しのけた。
――やめろ! やめてくれ!――
向かってくる愛理の右目に真一は爪を突き刺した。
――おおおお!!――
真一の絶叫は、誰にも届かなかった。
三崎愛理の体の力が抜けた。
肌が乾き、ひび割れ、砂に変わっていく。足先、指先から。腕。腹。胸へと。
顔が最後だった。
崩れていく顔の中で、右の瞳は真一の爪が刺さったまま、残った左の瞳が真一を見ていた。
「あなたさえいなければ……」
三崎愛理の最後の言葉だった。
彼女の体はすべて砂に変わった。
真一の体から獣の毛が抜け、突き出た口元も元に戻っていくのが見える。
真一は座り込み、三崎愛理だった砂をすくう。
真一は泣いて、言葉にならない声で叫んだ。
砂を握りしめた真一の足元から音がした。
低い振動に変わり、地面にひびが走ると、ひびの奥から複数の太くて黒い爪が突き上がってきた。
一本の爪が、真一の左腕を抉って、肩から先を消した。
もう一本の爪が、真一の頭部の右側を削り取り、視界の右半分が消え、残った視界が赤く染まっていく。
痛みを感じる前に真一は倒れた。三崎愛理だった砂の上に。
真一の意識は薄れていった。




