第12話 迎えに行っただけなのに彼氏にされた
土曜日。昼まで寝ているつもりだったのに、ママに起こされた。
「真一、アンジェリーナさんがまだ帰ってきてないの。悪いんだけど、迎えに行ってくれない?」
ママはもう出かける支度をしていた。ママ友とランチの約束があるらしい。
「センター街の西口にあるスパにいるらしいんだけど。ママ、予定が入っていて迎えに行けないの」
午後からサトシとケンヤとオンラインで遊ぶ予定だった。
――後から合流するか――
しかたない。ママに頼まれたら断れない。ママは真一の頼みはなんでも聞いてくれるし、真一の弱みも知っている。最近ではベッドの下に隠していたフィギュアまでも、ばれていたことがわかった。
ママから一枚の護符を渡された。
アンジェリーナと会話ができるように無邪鬼に作ってもらった護符だった。
家では無邪鬼がいるので彼女と会話ができる。なぜか、彼女の言うこともわかるし、真一の言うことも彼女は理解してくれる。でも、無邪鬼がいないと会話が成立しない。
真一は護符を持って、アンジェリーナを迎えに行った。
◇◆◇
センター街の西口のスパの前に着くと、黒いスーツの男が立っていた。
真一を見て、男は軽く頭を下げた。
「真一様、申し訳ありません」
藤原家を守る警備だった。よく見かける顔だった。
「で、アンジェリーナさんは?」
「アンジェリーナ様は中にいらっしゃいます」
そこは女性専用のスパ。男性は入れない。
「私たちももう戻らないといけないんですが、代わりの者がいなくて」
「わかりました。ボクが代わります」
「助かります」
男はそう言って、去っていった。
真一はスパの入口の前のベンチに座って待った。女性専用。当然、中には入れない。
スマホでサトシに「今日は無理」とメッセージを送った。サトシから悲しい顔の絵文字が三つ返ってきた。
何時間待っただろう。お昼はとっくに過ぎていた。
アンジェリーナが出てきた。
何度も見ている風呂上がりの彼女の殺傷力は相変わらずだった。洗い立てのふんわりとした金髪に、潤いに満ちた、みずみずしい肌がさらに彼女を美しく見せる。家にいるときより露出の少ない服装だったので、真一はいつもより平静でいられた。
「あら、真一? どうしたの?」
「ママに頼まれて、迎えに来た」
「そう、お腹すいたんだけど、何か食べてかない?」
「いいけど、ボク、そんなにお金をもっていないよ」
「おごるわよ」
◇◆◇
ハイブランドの店が並ぶ通りを歩く。
アンジェリーナは、どこか知っている店で食事するつもりなのだろう。
「店はまだ遠いの?」
「もう少しよ」といって、立ち止まる。
立ち止まったのは、女性下着の店の前。
「昨日着ていた下着、捨ててきたの。だから、今なにも穿いていないの」とミニスカートのアンジェリーナが言った。
真一の思考が一時停止した。
真一はアンジェリーナに腕を引っ張られた。
「どれがいいか、選んでくれる?」
全力で腕を振り払った。
――この女、何を考えているんだ――
アンジェリーナはいたずらっぽく笑って、一人で店に入った。
真一は、女性下着の店の前で待った。
人通りが多くて、恥ずかしくてたまらなかった。
しばらくして、紙袋を下げてアンジェリーナが出てきて、
「どこか、穿く場所を探さないと」といって、真一の腕を引き、近くのハイブランドの店に入った。
真一は今度は一緒に店に入った。試着室を借りて穿くだけだろうと思ったが、彼女は店に入るなり商品を物色し始め、いくつかの服を持ってから試着室に入った。
次々と着替えては扉を開けて、真一に「どう?」と聞いた。オタクの真一に聞かれても、ハイブランドなんてわからない。ジーンズとチェックのワイシャツに赤いバンダナと革手袋がいけてるファッションと思っているのだから。
それよりも、「そのお……下着は?」と恐る恐る聞くと、「まだよ」と答える。
真一のリアクションに不満だったんだろう。最後には、下着姿のアンジェリーナが試着室の扉を開けて現れると、真一はすぐその扉を閉めた。
壁際に掛かっていた青いセーターが真一の目に入った。シンプルで、飾り気がない。でも、色がきれいだった。アンジェリーナの碧い眼に合うと思った。
「セルリアンブルー」という色だと店員が教えてくれた。真一はアンジェリーナに青いセーターを渡した。
アンジェリーナは鏡の前でセーターを体に当ててみせると、不満そうに「ちょっと地味ね」と言って真一を見た。
「まあ、いいわ」と言って、結局、買ったのはセクシーなドレスと青いセーター。セクシーなドレスに着替えて、青いセーターは袋に包んでもらった。アンジェリーナはすべて現金で払った。まだ、お金はたくさん残っているようだ。どこで手に入れたんだろうと、真一は不思議に思ったが、知らない方がいいかもと考えるのをやめた。
店を出ると、紙袋を持たされた真一はアンジェリーナに、
「早くご飯食べて帰ろうよ」
アンジェリーナは答えずに、真一の頭の先から足元まで見て、
「次はあなたの服ね」
「え?」
「その服じゃ、私と一緒にいると不釣り合いじゃない」
「別にいいよ」
「ダメ! あなたがよくても私が嫌なの」
「そんな」
アンジェリーナは真一の腕を掴んで、別の店に引っ張っていった。
黒いシャツ。細身のパンツ。薄手のジャケット。
試着室で着替えて鏡を見ると、知らない人間が映っていた。高校生にも見えない。
――誰だ? こいつは――
服を変えるだけでこんなに違うのか。
「いいじゃない」
アンジェリーナが腕を組んで頷いた。満足そうだった。
「いいよ。こんなの」
真一は断ったが、アンジェリーナは何も言わずレジに向かった。
◇◆◇
鉄板の上のステーキにワインをかけると火の柱があがった。
まさか、こんな高級な店に連れてこられるとは思わなかった。
「美味しい?」とアンジェリーナに聞かれた。
「うん。とても」
嘘ではない。でも、ママのステーキのほうが美味しかった。
――そういえば、ママより美味しい料理を外で食べたことがない――
「じゃあ、そろそろ帰ろうよ」と言うと、アンジェリーナは黙ったまま、あのいたずらっぽい笑みを浮かべた。
◇◆◇
夜も更け、繁華街は人の群れで賑わっていた。
先を歩くアンジェリーナに、紙袋を下げた真一は、
「もう帰ろうよ」と繰り返し言ったが、アンジェリーナは黙ったまま先へと進んだ。
路地を曲がると、重い扉の前に黒服の男が立っていた。クラブだ。
黒服はアンジェリーナを見て、慣れた様子で道を開けた。まるで常連だ。
中に入ると、重低音が体に響いた。暗い照明。色とりどりのライト。酒とたばこと香水が混ざった空気。
アンジェリーナが姿を見せた瞬間、空気が変わった。
男たちがざわめいた。
「お、来た来た」
「久しぶりじゃん」
女たちの視線が刺さった。
「また来たわよ、あの外人」
「知っている? 体売ってるんだって」
「珍しい、今日は最初から男連れてるじゃない」
黒服に案内され、VIPルームに通された。ソファに座ると、男たちが次々と挨拶に来た。
「今日も綺麗だね」
「どこ行ってたの? 会えなくて寂しかったよ」
アンジェリーナはにこやかに応じている。男たちは酒を差し出し、隣に座ろうとする。
真一は完全に場違いだった。ソファの端で、出されたオレンジジュースのグラスを握りしめていた。
男の一人が真一を見て聞いた。
「彼氏?」
「そうよ」
アンジェリーナはそう言って、真一の肩にもたれた。
男は意外そうな顔をして引き下がった。
しばらくすると、男が一人近づいてきた。上等なスーツ。高そうな時計。
「この後、二人で飲まない?」
アンジェリーナは立ち上がり、真一の腕に抱きついた。
「ごめんなさい。先約があるの」
男は舌打ちして去った。
しばらくすると、フロアの女性グループが近づいてきた。先頭の女が、アンジェリーナを見下ろして言った。
「体売ってるんだって、お願いだからここで商売するのをやめてくれる?」
アンジェリーナはグラスを傾けたまま、女を見上げた。
「そろそろ、お鼻のメンテナンスの時期じゃない? 鼻が歪んできているわよ」
女の顔が凍りついた。周囲がざわめく。女はグループに引っ張られるようにして去っていった。
アンジェリーナは何事もなかったように酒を飲んだ。
だが、別の男が真一に絡んできた。
「あれ、ガキがこんなところにいるんだけど? 店のスタッフに言っちゃおうかな?」
笑いが起きた。周りの男たちがニヤニヤしている。
真一は何も言えなかった。顔が熱くなった。いじめっ子に囲まれたときと同じだ。体が硬直する。声が出ない。
アンジェリーナを見た。
彼女は男たちと話していた。真一を見ていなかった。
真一は静かに席を立ち、VIPルームを出た。
誰も止めなかった。
重い扉を抜け、夜の空気を吸った。繁華街のネオンが目に痛い。
帰ろうかと思った。
でも、帰れなかった。一人では帰れない。
ママに頼まれたから、彼女と一緒に帰らなければならない。でも、それだけではない。なぜか、このままではいけない。そう強く思った。理由なんてわからなかった。
真一はクラブの入口の横にある段差に座り、膝を抱えて待った。
スマホを見る気にもなれず、ただ時間だけが過ぎていった。
一時間。
二時間。
日付が変わる頃、クラブの扉が開いた。
アンジェリーナが出てきた。たばこに火をつけ、煙を吐いた。
真一を見た。
一瞬、目を見開いた。
「まだ、いたの? もう一人で帰ったと思っていたわ」
「アンジェリーナさんを迎えに来たから」
アンジェリーナはしばらく真一を見つめていた。
「バカね」
そう言って、小さく笑った。




