第9話 最初に切るべき無駄
バルツの席が空いたままの会議室は、以前よりも広く感じられた。
物理的に何かが変わったわけではない。だが、空気が違う。重苦しく淀んでいたものが、わずかにだが流れ始めている。空いた席を誰も動かさないまま、全員がその位置を意識していた。
「では、始めます」
私は会議卓の先に立ち、集まった役人たちを見渡した。人数は前回より少ない。不要な部署を整理し、兼務を解消した結果だ。
「本日の議題は一つです」
「“切るべき無駄”を確定します」
ざわり、と空気が揺れる。誰もが理解している。それが、自分の立場に直結するということを。
「最初に言っておきます」
私は、はっきり告げた。
「能力の有無は問いません」
「問いませんが――“仕事をしているか”は見ます」
誰かが、喉を鳴らした。
「まず、こちらを」
マリアが前に出て、資料を配る。そこには、簡潔にまとめられた業務一覧があった。部署名、担当者、年間業務量、成果。
「……これは?」
「各部署の、実際の仕事量です」
私は続ける。
「役所の仕事は、“忙しそう”かどうかではありません」
「成果があるかどうかです」
誰も紙から目を上げなかった。
「例えば、この部署」
私は一つの項目を指した。
「年間の処理件数、三十六」
「平均すると、月三件」
役人の一人が、思わず顔を伏せる。
「それに対して、こちら」
「同じ人員数で、処理件数は二百を超えています」
視線が、自然と比較対象へ向く。
「業務内容が違う、という反論は理解します」
「ですが――」
私は、そこで一度言葉を切った。
「この領地には、余力がありません」
「“存在しているだけの部署”は、維持できない」
「では……どうなるのですか」
震える声で、誰かが尋ねた。
「統合します」
即答だった。
「役割が重複している部署は、一つにまとめる」
「管理職は減らします」
「代わりに、現場で動いている人間を昇格させます」
一斉に、ざわめき。
私は、ある男に視線を向けた。昨日まで、末席に座っていた人物だ。
「ユリウス」
呼ばれた男は、驚いたように顔を上げた。
「あなた、昨年の災害対応で、誰よりも早く現地に入っていますね」
「は、はい……」
「報告書も、きちんと読ませてもらいました」
「上に通っていなかったようですが」
周囲が、静まり返る。
「あなたを、暫定で部署統括に任命します」
ユリウスは、目を見開いた。
「わ、私が……?」
「はい」
「現場を知っている人間が、指示を出すべきです」
言い切ると、彼はしばらく固まっていたが、やがて深く頭を下げた。
「……全力で、務めます」
「期待しています」
その様子を見ながら、私は内心で確認する。
――これでいい。切られた人数より、引き上げられた一人の名前の方が、明日には遠くまで伝わる。
切るだけでは、組織は回らない。“報われる前例”が要る。今日ここで一人が引き上げられたことを、明日には全員が知る。それが次の一年の働き方を決める。
会議の終盤。一人の役人が、恐る恐る口を開いた。
「……職を失う者も、出るのですか」
「出ます」
私は、否定しなかった。
「ただし、即時解雇ではありません」
「再配置、もしくは退職支援を行います」
「そこまで……?」
「人を切り捨てる改革は、長続きしません」
私は、はっきりと言う。
「必要なのは、“働いた方が得をする”仕組みです」
その言葉に、空気がわずかに緩んだ。切られるかどうかしか考えていなかった顔に、初めて別の計算が入ったのが分かる。
会議が終わり、役人たちが退出していく。その背中は、来た時よりも少しだけ、まっすぐだった。
執務室に戻ると、マリアが控えていた。
「……反発、少なかったですね」
「ええ」
私は頷く。
「理由は簡単です」
「“次は自分かもしれない”と思わせすぎなかった」
改革は、恐怖だけでは進まない。恐怖で動く組織は、見られている間しか動かない。
「それに」
私は、窓の外を見た。
「もう、成果が出始めています」
マリアが帳簿を開く。
「……確かに」
「統合しただけで、維持費がこれだけ」
「無駄は、最初が一番分かりやすい」
私は、ペンを取り、次の項目に丸をつけた。
――農業税、再計算。
ここから先は、数字だけでなく、人の生活が変わる。
「……やっと、動き出しましたね」
マリアの言葉に、私は静かに答えた。
「ええ」
「まだ、序盤ですが」
机の上の帳簿には、はっきりとした変化の兆しが記され始めていた。
王都からの便りは、一通も来ない。追放した令嬢がどこで何をしているかなど、あちらは気にもしていないのだろう。
それでいい。気にされないうちに、片づけておきたいことが多すぎる。
この領地は、確実に――前に進んでいる。
次に彼女が触るのは、取る側ではなく取られる側の数字です。




