第79話 観察者
白曜宮・中央庭園。ノルディアの使節団が入城したのは、その日の朝だった。
銀狼の旗。整った隊列。無駄のない動き。兵の数だけが、あの年より少ない。
数年前と、何も変わっていない。変わったのは、迎える側の方だ。門の前に不安の顔はなく、道の脇の人だかりもない。国境共同監査は、もう年に二度の行事になっていた。
「久しぶりね」
庭園の東屋に、彼女は先に座っていた。金色に近い銀髪。氷のように透き通った瞳。エリナ王女は、茶を一口飲んでから、私を見上げた。
「ノルディア王国第一王女、エリナ」
「クラウゼン領主、エリス・フォン・クラウゼンです」
「知っているわ」
彼女は、目だけで笑った。
「あなたの領の去年の麦の作付けも、水路の補修費も、知っている」
私は驚かなかった。
「共同監査の枠内ですね」
「ええ」
エリナは頷いた。
「あなたが結んだ条項どおり。一枚も、余分には見ていない」
そのとおりだった。国境共同監査は、相互に開く。開いた以上、向こうも読む。読まれる前提で作った制度だ。
「感想を伺っても」
「面白かったわ」
彼女は茶器を置いた。
「あなたの国の数字は、よく揃っている。並びも綺麗」
「ありがとうございます」
「だから、読みやすかった」
「一つ、気づいたことがあるの」
エリナは言った。
「あなたの国の地方は、もう自分で読んでいないわね」
私は、表情を変えなかった。変えなかったつもりだった。
「なぜ、そう思われますか」
「返事の速さよ」
彼女は指を一本立てた。
「去年の秋、こちらから鉄の引き渡し時期の照会を出したの。七つの領に、同じ日に」
「返事は」
「三つが、同じ日に返ってきた」
沈黙。
「文面も、ほとんど同じだった」
エリナは、立てていた指を下ろした。
「残りの四つは、ばらばらの日にばらばらの返事。そちらの方が、私は好きよ」
エリナは笑った。
「遅いけれど、生きている」
私は膝の上で指を組んだ。外から見えている。内側で数えていたことが、国境の向こうからも同じ形で見えている。
「それで」
私は聞いた。
「今回のご用件は」
「穀物の買い付けよ」
彼女は即答した。
「昨年より、二割増やしたい」
「価格は」
「昨年と同じで」
私は少し考えた。
「二割増やして、同値ですか」
「ええ」
「根拠を伺えますか」
「あなたの国の来期の余剰見込み」
エリナは、茶器の縁を指でなぞった。
「共同監査で開かれている数字から、私の国の者が計算したの。余るのなら、安く出したいはずでしょう」
正しかった。そして、そこまでは想定の内側だった。問題は、その次だった。
「交渉は、どなたと」
私は聞いた。エリナが、目を細めた。
「そこよ」
彼女は言った。
「数年前、私はこの国と交渉するのが面倒だったの」
「なぜですか」
「相手が多かったから」
「中央が一つ。地方が七つ。軍が一つ。全部が違うことを言っていた」
彼女は続けた。
「時間はかかるけれど、間違いは起きにくいのよ。誰かが必ず、別の数字を持っているから」
沈黙。
「今年は、二人と話せば済みそう」
私は、何も言えなかった。
「便利になったわ」
エリナは微笑んだ。
「わたくしにとっては、ね」
風が庭園を抜けていく。刈り込まれた生垣が、揃った音を立てた。
「介入なさるのですか」
私は、あのときと同じことを聞いた。
「いいえ」
彼女も、あのときと同じように答えた。
「観察するわ」
そして、立ち上がった。
「均衡が変わる瞬間は、いつも美しいもの」
その夜。王都・迎賓の館。エリナは窓辺で、王国から届いた配信の写しを読んでいた。数字。要約。前年との差。そして最後に、一行の助言。
「上手ね」
彼女は呟いた。侍女が顔を上げる。
「何がでございますか」
「この国、誰も悪いことをしていないの」
エリナは紙を閉じた。
「その方が、ずっと崩れるのが速いのよ」
次の協議院で、エリスは初めて言葉に詰まります。




